ディランのスピーチのテキスト、読んだ?!
僭越(せんえつ)ながら、この僕ですら!
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街角の歌がノーベル賞をとった瞬間(©田島貴男)
出典:www.barks.jp
今回、いろんな意味で、ノーベル文学賞の印象が変わった人も多いのでないでしょうか?
ノーベル賞授賞式に出席できなかったボブ・ディランの代わりにA Hard Rain's A-Gonna Fallを歌うパティ・スミス。あまりの緊張のため歌い直す彼女。それでも本当に素晴らしい歌と演奏。街角の歌がノーベル賞をとった瞬間。https://t.co/RcEPYR3RnI
— 田島貴男 1月13日Love Jam (@tajima_takao) 2016年12月11日
キップリング、ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、ヘミングウェイ・・・
名誉ある賞をいただき私が光栄に思っていることを知ってください
私は幼い頃から、キップリング、ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、ヘミングウェイなど、この栄誉に相応しいと考えられた人々の作品に慣れ親しみ、読み、吸収してきました。その作品が学校で教えられ、世界中の図書館に収納され、敬意を持って語られる、これら文学の巨匠たちにはいつだって深い感銘を受けていました。いま、私がそのリストに加わるとは、本当に言葉がありません。
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最初に文豪の名前が出てくるよね
僕がわかるのは・・・カミュ、ヘミングウェイ、あとトマス・マンも・・・ちょっとこの文豪たちについて、軽く教えてよ
ジョゼフ・ラドヤード・キップリング (Joseph Rudyard Kipling, 1865年12月30日 – 1936年1月18日)
イギリスの作家。代表作は、『ジャングル・ブック』、『少年キム』など。
ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw, 1856年7月26日 – 1950年11月2日)
アイルランドの作家。代表作は、『ピグマリオン』、『聖女ジョウン』など。
パウル・トーマス・マン(Paul Thomas Mann、1875年6月6日 – 1955年8月12日)
ドイツの作家。代表作は、『ヴェニスに死す』、『魔の山』など。
パール・サイデンストリッカー・バック(Pearl Sydenstricker Buck, 1892年6月26日 – 1973年3月6日)
アメリカの女性作家。代表作は、『大地』、『つなみ』など。
アルベール・カミュ(Albert Camus、1913年11月7日 – 1960年1月4日)
フランスの作家。代表作は、『異邦人』、『カリギュラ』など。
アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway、1899年7月21日 – 1961年7月2日)
アメリカの作家。『誰がために鐘は鳴る』、『老人と海』など。
よく考えて草稿を書いたんだろうね・・・
劇作家シェイクスピアと歌手ボブ・ディラン
シェイクスピアの言葉は、読まれるのではなく話されるためのもの
この驚きの知らせを受けたとき、私はツアー中で、それを呑み込むのに数分以上かかりました。そして、偉大な著述家、ウィリアム・シェイクスピアのことを考え始めました。私は、彼は自身のことを劇作家だと考えていたと思います。文学を執筆しているという思いは彼の頭の中になかったでしょう。彼の言葉はステージために書かれたものです。読まれるのではなく話されるためのものでした。ハムレットを書いているとき、彼は多くの別のことを考えていたと思います。“これらの役に相応しい俳優は?”とか“どう演出すべきか?”“本当にデンマークを舞台にしたいのか?”などといったことです。彼が、自分のクリエイティブ・ヴィジョンや大志を第一に考えていたのは間違いないでしょうが、“資金は大丈夫なのか?”“パトロンに十分いい席を用意できるのか?”“骸骨はどこで手に入れたらいい?”など、考えなくてはならない、対処しなくてはならない、より俗世的な事柄もあったでしょう。“これは文学なのか?”という質問は、シェイクスピアの中では最も縁遠いものだったと私は確信しています。
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今となっては偉大なシェイクスピアも、文学のためではなく、舞台を成功させるために奮闘しただけではないかということですね
シェイクスピアも、ボブ・ディランも・・・すべてのクリエーターも(僕も?)、目指すところただひとつ!
たくさんのレコードやコンサート~全ての中枢にあるのは、曲です
パフォーマーとして私は5万人を前にプレイしたことも50人を前にプレイしたこともあります。そして、50人を前にプレイするほうが難しいのです。5万人は1つのペルソナとなりますが、50人はそうではありません。1人1人が、それぞれ別の違ったアイディンティティ、言葉を持ちます。彼らは物事をより明確に見抜くことができるのです。あなたの誠実さ、それが才能の深さとどう結びつくのか、試されるのです。ノーベル委員会は小さい、これが意味することを私は理解しております。
しかし、シェイクスピアと同じように、私も創作に最善を尽くすと同時に、“この曲に最適なミュージシャンは?”“相応しいスタジオでレコーディングしているのか?”“この曲はこのキーでいいのか”などと俗事に追われることが多々あります。400年経っても変わらないことはあるのです。
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シェイクスピアも舞台の大きさや配役なんかに気を使い、ディランもスタジオの良し悪しや曲のキーを考えながら創作活動を続けてきたんだよ
僕も、どう表現すればブログ・・・ウェブの表現で多くの人、または一人の個人に伝わるのだろうかと考えているんだよ・・・根っこは一緒じゃないの?
くまちゃんの中に果たして、シェイクスピアやディランが伝えようとしているような人類の普遍的なテーマがあるのでしょうか?(笑)
私の曲は文学なのか?その答えは・・・
私の曲は文学なのか?
“私の曲は文学なのか?”と、自分に問いかける時間を持ったことはありませんでした。
ですから、この質問を考察する時間を持ち、最終的に、こんな素晴らしい答えを見出してくれたスウェーデン・アカデミーに感謝します。
みなさまのご多幸をお祈りします。ボブ・ディラン
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私の曲は文学なのか?
その答えは・・・
Blowing In The Wind (Live On TV, March 1963)