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【詩人】僕にとって、ずっと謎だった詩人・銀色夏生
銀色 夏生(ぎんいろ なつを、1960年3月12日 – )は、日本の女性詩人、随筆家、作詞家、写真家。
1960年、宮崎県えびの市に生まれる。えびの市立真幸小学校、えびの市立真幸中学校卒業。宮崎県立小林高等学校(小林市)卒業後、埼玉大学教養学部を卒業。
1982年に作詞家として活動を開始し、翌1983年に沢田研二の「晴れのちBLUE BOY」を作詞した。その後も大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」「ゴーゴーヘブン」や、2011年度NHK全国学校音楽コンクール課題曲「僕が守る」などを作詞した。また、山元みき子(やまもと みきこ)名義で太田裕美に歌詞を提供している。
1985年に第1詩集『黄昏国』を河出書房新社より刊行。のちに本の制作に専念し、著書に掲載する写真撮影とイラスト制作も自ら手がける。また詩だけではなく、創作物語なども執筆している。『君のそばで会おう』と『つれづれノート』シリーズを代表とする著書 は160冊を超える。
2018年1月18日、YouTube公式チャンネルにて「銀色夏生の穴ぐらラジオ 」を配信開始。2019年11月4日、noteにて音声ブログ「静けさのほとり」を配信開始。
【音楽】大澤誉志幸と描いた、キザでお茶目で都会的な世界観【ナルシスト】
【書籍】これもすべて同じ一日、銀色夏生の詩集やエッセイ
出典:Amazon
黄昏国(1985)河出書房新社
詩とイラストによる第一詩集。
「あの時 君がボクに与えたと思ってるものを
あの時 実はボクは 受けとらなかったんだ」
これもすべて同じ一日(1986)角川文庫
写真詩集。小さな写真と詩で構成された記念すべき最初の一冊。
その時にやりたかったことを全部やりました。
「ぼくはもう 学校にも月にも帰りたくないんだ。」
わかりやすい恋(1987)角川文庫
少女の写真と詩。
北海道の稚内や礼文島で撮りました。
「海をみたいと出かけても ずっと うつむいているような人だった」
君のそばで会おう(1988)角川書店
風景写真と詩。
「すこし遅れた時に私が あなたをつめたいと思い
すこし遅れた時にあなたが 私を気紛れだと言った
私たちは結ばれない恋だった それをどうすることもできなかった」
つれづれノート(1991-)角川文庫
日記形式のエッセイ、その第一弾。ここから始まったのですね。
「エッセイ風なものを書いてみました。日常生活の機微が伝わると思います。
いざ書いてみると、三枚目ですが、実際は気むずかしくて風変わりなのです。」
バイバイまたね(2001年)角川文庫
少女と詩。花のように風にとばされる、ことばのきれはし。
銀色夏生—その瞳の奥にある自由
南九州温泉めぐりといろいろ体験
近所の気軽な立ち寄り温泉から秘湯。初心者向けの山から本格的な縦走コース。よさそうな整体からハードな整骨。「基本的に出不精、家にずーっといて仕事してるのが楽しい」のだけど、ふらりと気の向くまま、いろんなところに行ってみました。同行者は小学校時代の同級生。見たこと感じたことおしゃべりしたことを、つらつらと記録した体験エッセイ。
銀色夏生の視点
これまで外界との交流を一切遮断して創作を続けてきた銀色夏生が初めて外にでた。インタビュー、サイン会、読者との対話、Q&Aなど、著者の新しい側面、創作への想いが伺える貴重な1冊。
自分が幸せだと思いたいのか人から幸せだと思われたいのか/本当に必要なものだけを残したらほとんどのものが消えた/孤独感はいつか底を打つ/わざわざ探すのではなく、たまたま出会う/人はそのままで素晴らしいけど、それだけじゃダメ/自分の心が嬉しくなることが魂の仕事/今ここにないものを求めないイラストと言葉によるメッセージ。
【動画】銀色夏生のYouTubeチャンネル「言葉とそれが示すもの」
22 子供の頃、人前で話すのが苦手だった話(銀まよ)
銀色夏生『自然農1年生 畑は私の魔法のじゅうたん』刊行記念スペシャルインタビュー
ある夜に覚えた孤独感に導かれ、たどり着いた自然農の世界。最初は野菜の葉の区別もつかずタネの撒き方もわからなかった。
日々、新しい発見と失敗を繰り返し、次第に豊かに育っていく野菜を眺めては、その味をかみしめ、思いは深くまた沈む。
必要があって自然に生まれるものはどんなことでも大変じゃない。ゆっくりやればやるほど、その途中にあるものがよく見える。
土を触りながら草を刈りながら実感した出来事の1年間の記録。