【手塚治虫全部読む4】「陽だまりの樹」近代日本に手塚治虫のルーツを探る【1981年ビッグコミック】

サブカル
スポンサーリンク
スポンサーリンク
1960年代以降、手塚治虫が少年誌・青年誌・大人誌に連載した長編(中編)マンガを順不同でこれから全部読んでいきたい。
今回は1981年、ビッグコミックに連載された「陽だまりの樹」です。
名前:くま(♂)
プロフィール:酔っ払いおじさん、広く浅く世間を語る
特技:リフティング50回
名前:カエル(♂)
プロフィール:ゆとり世代(さとり世代)、独身、潔癖症
特技:インターネット超高速検索
スポンサーリンク

【手塚治虫全部読む4】「陽だまりの樹」近代日本に手塚治虫のルーツを探る【1981年ビッグコミック】

出典:tezukaosamu.net

1981年のキーワードを羅列する、「ぶりっ子」「校内暴力」「窓際のトットちゃん」「ルビーの指環」「セーラー服と機関銃」「神戸ポートピア’81」…と、そんな時代。
「陽だまりの樹(1981/04/25-1986/12/25)」は、1981年から86年にかけて、ビッグコミックで連載された作品です。
「陽だまりの樹」は近代日本を舞台にした物語。この作品には実在の人物、なんと手塚の三代前の先祖である手塚良仙が登場する。
へー。
その蘭方医・手塚良仙の息子の良庵、そして青年武士・伊武谷万二郎の二人が主人公だな。彼らの青春と人生が、江戸から明治へと変わりゆく日本を舞台に描かれる。西郷隆盛とか、坂本龍馬とか、勝海舟とか、人気の偉人も登場するよ。
どこまでが史実で、どこまでが創作か、そのへんを楽しめますね。

この「陽だまりの樹」で幕末から明治維新、「一輝まんだら」で大正デモクラシー、「アドルフに告ぐ」で二・二六事件から敗戦を、そして「奇子」で敗戦から戦後復興をと、手塚治虫がビッグコミックで連載してきた作品は、時系列ではないとしても日本の近現代史をリアリティとユニークなアイディアとを組み合わせて描き続けていますが、その中でも最も長く、力の入っている作品がこの「陽だまりの樹」である、といっても過言ではないでしょう。

出典:tezukaosamu.net

「一輝まんだら」はまだ読んだことないな。続けて、「アドルフに告ぐ」と「奇子」も再読したい。
これらの中でも、「陽だまりの樹」が一番ボリュームも多いみたいですね。
「陽だまりの樹」とても読みごたえのある、よい作品だったよ。しかし、美しい女性たちが運命に翻弄されて、なかなか幸せになれないのが辛い。そのなかで、若い頃もっとも不幸というか、もっとも身分の低かった彼女が強く人生を生き抜いたのには、瑠飲が下がったよ。
どの女性でしょうか?

運命に翻弄される、美しい女性たち。なんとか幸せになれたのはどの女性でしょうか?

出典:「陽だまりの樹」手塚治虫

スポンサーリンク

【手塚治虫が語る】三代前の先祖は手塚良仙、緒方洪庵に学んだ医者

出典:tezukaosamu.net

手塚治虫のひいおじいちゃん、になるのかな? 日本の歴史のなかで、なかなかの人生を歩んだ方ではないか。びっくり。
手塚先生の三代前のご先祖は、緒方洪庵に学んだお医者さんだったそうです。
手塚治虫が語る「陽だまりの樹」

私の三代前の先祖は手塚良仙といい、大阪の適塾にあって三五九番目の門人として、緒方洪庵に学んだ医者である。

三代前の先祖が、府中藩松平播磨守の侍医だった、ということは、以前からうすうす知ってはいた。ある日突然、日本医史学会の深瀬泰旦という方から、私の論文だが読んでほしい、貴男のご先祖のことを書いた、というわけで「歩兵屯所医師取締役、手塚良斎と手塚良仙」なる小冊子が送られてきた。

それによると、安政二年、良仙は江戸小石川三百坂の家を出て大坂へ向かい、十一月二十五日、適塾の門を叩いたのだった。
その八か月前、適塾には、福澤諭吉が三二八番目の門人として入門しているから、手塚良仙と諭吉とは、いわば”同期の桜”ということになる。
もしや、と思って私は「福翁自伝」をひもといてみた。すると、果たして適塾時代の記述の中に、あった。手塚良仙のエピソードがあった。

手塚良仙は、適塾当時、良庵と名乗っていた。良庵は学問も熱心だったが、なによりも無類の道楽者だったようであった。女遊びにかけては、かなりだらしない男だったらしく、毎夜のような廓通いには諭吉も呆れ果てて、良仙に忠告をして、真面目に勉学をするようにしむけた。しかし女を断った良仙は、諭吉にとっては、どうもおもしろくない。そこで諭吉や同僚はわざと女文字の手紙をでっちあげて、さりげなく良仙に読ませ、良仙がけげんに思って廓へ出向こうとするのをとっつかまえて、寄ってたかって坊主にしようとした。良仙は平謝りに謝って一同に酒肴を振る舞うことで、やっと許してもらった、というエピソードなのである。

無類の女好き、という点では、恐縮だが私の父にそっくりだし、おっちょこちょいでだまされやすい、ということでは私の性格そのままである。読むほどに、やっぱり手塚家の血は、争えないものだと妙に感心した。
(後略)

(日本興業銀行発行 「新開業事情」1986年9月 より抜粋)

出典:tezukaosamu.net

コメント

タイトルとURLをコピーしました