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【手塚治虫全部読む4】「陽だまりの樹」近代日本に手塚治虫のルーツを探る【1981年ビッグコミック】
この「陽だまりの樹」で幕末から明治維新、「一輝まんだら」で大正デモクラシー、「アドルフに告ぐ」で二・二六事件から敗戦を、そして「奇子」で敗戦から戦後復興をと、手塚治虫がビッグコミックで連載してきた作品は、時系列ではないとしても日本の近現代史をリアリティとユニークなアイディアとを組み合わせて描き続けていますが、その中でも最も長く、力の入っている作品がこの「陽だまりの樹」である、といっても過言ではないでしょう。
運命に翻弄される、美しい女性たち。なんとか幸せになれたのはどの女性でしょうか?
出典:「陽だまりの樹」手塚治虫
【手塚治虫が語る】三代前の先祖は手塚良仙、緒方洪庵に学んだ医者
手塚治虫が語る「陽だまりの樹」
私の三代前の先祖は手塚良仙といい、大阪の適塾にあって三五九番目の門人として、緒方洪庵に学んだ医者である。
三代前の先祖が、府中藩松平播磨守の侍医だった、ということは、以前からうすうす知ってはいた。ある日突然、日本医史学会の深瀬泰旦という方から、私の論文だが読んでほしい、貴男のご先祖のことを書いた、というわけで「歩兵屯所医師取締役、手塚良斎と手塚良仙」なる小冊子が送られてきた。
それによると、安政二年、良仙は江戸小石川三百坂の家を出て大坂へ向かい、十一月二十五日、適塾の門を叩いたのだった。
その八か月前、適塾には、福澤諭吉が三二八番目の門人として入門しているから、手塚良仙と諭吉とは、いわば”同期の桜”ということになる。
もしや、と思って私は「福翁自伝」をひもといてみた。すると、果たして適塾時代の記述の中に、あった。手塚良仙のエピソードがあった。手塚良仙は、適塾当時、良庵と名乗っていた。良庵は学問も熱心だったが、なによりも無類の道楽者だったようであった。女遊びにかけては、かなりだらしない男だったらしく、毎夜のような廓通いには諭吉も呆れ果てて、良仙に忠告をして、真面目に勉学をするようにしむけた。しかし女を断った良仙は、諭吉にとっては、どうもおもしろくない。そこで諭吉や同僚はわざと女文字の手紙をでっちあげて、さりげなく良仙に読ませ、良仙がけげんに思って廓へ出向こうとするのをとっつかまえて、寄ってたかって坊主にしようとした。良仙は平謝りに謝って一同に酒肴を振る舞うことで、やっと許してもらった、というエピソードなのである。
無類の女好き、という点では、恐縮だが私の父にそっくりだし、おっちょこちょいでだまされやすい、ということでは私の性格そのままである。読むほどに、やっぱり手塚家の血は、争えないものだと妙に感心した。
(後略)(日本興業銀行発行 「新開業事情」1986年9月 より抜粋)
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