オタキング岡田斗司夫氏、庵野秀明・新海誠・宮崎駿・富野由悠季・片渕須直について大いに語る~『大人の教養として知りたいすごすぎる日本のアニメ』

岡田斗司夫氏の「大人の教養として知りたい すごすぎる日本のアニメ」、読了
大人の教養?
日本のアニメ?


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オタク第一世代の岡田斗司夫氏とアニメ史を俯瞰する

一気に読んだ
いやあ、楽しませてもらったよ
そんなに面白いんですか?
僕なんかは、世代でいうと「オタク第二世代」なんだよね
そして、この岡田斗司夫氏は「オタク第一世代」でちょうど僕らのお兄さん世代
アニメやマンガに対する視点がほぼ同じだから、基本的に共感するんだよね
オタクにも世代があるんですね
まあ、僕はなんちゃってオタクだけど(笑)
くまちゃんはどの分野においても「なんちゃって」ですからね(笑)
まあね(自慢)
まったく褒めてません
で、この岡田斗司夫著「大人の教養として知りたい すごすぎる日本のアニメ」
つい最近発売されたばかり
もう読了したんですね
くまちゃん世代以上が共感するってことは、どうせ『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)や『機動戦士ガンダム』(1979年)が沢山でてくるんでしょ?
そうじゃないんだよねー
最近の作品がメインだよ
すごすぎる日本のアニメとして、5つの作品を解説している
そして、この5つの作品の選択が絶妙
どんな作品ですか?
『シン・ゴジラ』(2016年)
『君の名は。』(2016年)
『風の谷のナウシカ』(1984年)
『機動戦士ガンダム』(1979年)
『この世界の片隅に』(2016年)
3つは、つい一昨年の映画じゃないですか?
それに『シン・ゴジラ』はアニメじゃないですよね?
『シン・ゴジラ』はアニメじゃないけど、アニメーション作家・庵野秀明によるアニメーションの可能性を知らしめた作品という意味だよ
2016年は凄い年だった、いずれターニングポイントとして語られる年かも?
この5作品も重要かもしれませんが、他にももっと代表的なアニメが・・・
他にもあるよ
『鉄腕アトム』(1963年)、『ルパン三世』(1971年)、『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)・・・などなど
『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)、『けいおん!』(2009年)、『魔法少女まどかマギカ』(2011年)・・・などなど
でも、やっぱり今、このタイミングならこの5作品は正解だよ
そして、この5作品の選択は・・・結局、監督ってこと
日本のアニメーションの歴史に君臨する宮崎駿と富野由悠季という二大巨頭と、それに立ち向かう次の世代の監督たちという構造なんだよね
巨匠に続く、『シン・ゴジラ』の庵野秀明、『この世界の片隅に』の片渕須直、『君の名は。』の新海誠ね
ふ~む
では、この本の章立ての順番で、僕もこの5作品5人の監督について、雑談をしてみたい
くまちゃんも、語りたくてうずうずしてるんでしょ?(笑)
そうなのよ(笑)

『シン・ゴジラ』~庵野秀明が日本映画を変える?

第1章 すべての映画はこれからアニメになる――『シン・ゴジラ』という庵野秀明の革命

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出典:Amazon

第1章は、庵野秀明の章だよね
ある意味、岡田斗司夫の盟友に宛てたエール
二人は一緒にアニメーションを作っていたんですよね
岡田も庵野もオタク第一世代
では、『シン・ゴジラ』の何が凄かったのか?
『シン・ゴジラ』は、アニメの方法論で作った実写映画なんだって
どういうことですか?
『シン・ゴジラ』ってアニメでしょ?~「役者さんがパーツとして超効率よくはまっているんで、あの密度感になってるんだと思うんですよね。」と、持論を展開

岡田:
 仰っていた『シン・ゴジラ』ってアニメでしょっていうのが面白くて。ちょっとそれを伺いたいんですけど。

氷川:
 庵野さんがもちろんアニメの監督をやっているっていうのはあるんだけど、世界観の構築だとか、最終的な作り方、世界をどういうふうに見るか、あるいは見せるかっていう部分の考え方が、やっぱりアニメなんじゃないですかね。たまたまパーツが実写の役者さんなだけでね。

出典:originalnews.nico

これは、岡田とアニメ・特撮研究家の氷川竜介氏の対談
この本で語られていることはつまり・・・『シン・ゴジラ』はアニメってこと
ふむふむ
『シン・ゴジラ』は、物凄い早口のセリフで、役者に演技をさせなかったの
あたかもアニメのキャラクターみたいに、自分が操りたいように役者を操ったんだよ
あんなに早口だと演技をする余裕がないですよね
作品自体も、アニメの絵を作るように、完全に監督の意図通りに撮影した
岡田は、これから『シン・ゴジラ』の手法を使った邦画が増えていくのではないかと言っている
そういう意味で、『シン・ゴジラ』が選ばれたんですね
それに、『シン・ゴジラ』(2016年)は、ある意味『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012年)の続編だからね
さらに、その『シン・ゴジラ』の続編が、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(公開日未定)になるんじゃない?
新しいエヴァの完成はいつになるんでしょうか?
まあ、気長に待ちましょう

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『君の名は。』~世界に通用する新海誠のヴィジョン

第2章 世界標準の「ルック」とはどういうものか――『君の名は。』のもつ宇宙サイズの構造

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『シン・ゴジラ』や『君の名は。』が公開された2016年
僕らの住む熊本では、まさに熊本地震があった年でしょ・・・
そうです・・・
震度7を観測する地震が2016年4月14日夜および4月16日未明に発生しました

出典:ja.wikipedia.org

『シン・ゴジラ』にしても、『君の名は。』にしても・・・2011年3月11日に発生した東日本大震災が重要な意味を持っているでしょ?
本来なら、東日本大震災を体験していない、熊本に住む僕らは、震災とこれらの作品との関連について本当の意味で理解できなかったかもしれない
でも、これらの映画の公開直前に、僕らも熊本地震を経験しちゃったからね・・・
だから、映画を観て異様にリアルにカラダが反応してたよ・・・
『シン・ゴジラ』の公開は地震のわずか2か月後でした
そうだよ
熊本市周辺ではまだ軒並み映画館は閉鎖中だった
その時期は唯一、小川町の「TOHOシネマズ 宇城」だけで上映されたんだよね
僕はどうしても初日に観たくて、仕事終わって宇城まで行ったもん(笑)
若干映画を観に行くのも憚られる雰囲気はあったよ
そして、『君の名は。』は夏の終わりに公開されました
『君の名は。』もまだ同じだよ
「TOHOシネマズ 宇城」まで観に行ったもんね
『この世界の片隅に』の頃には、他の映画館も徐々に復旧しましたよね
2016年11月12日の公開でした

出典:ja.wikipedia.org

『この世界の片隅に』の場合は公開当時ミニシアター系だったからね
熊本では「Denkikan(電気館)」
だから年末の忘年会で街い出たついでに観たよ

※熊本では各大型シネコンは郊外に、ミニシアターの「Denkikan(電気館)」は繁華街にあります

くまちゃんの2016年の話は置いといて
失礼(笑)
それで、岡田斗司夫さんの『君の名は。』評は?
岡田氏は『君の名は。』が世界標準の「ルック」を持った映画だと評価している
つまり、世界の人々に衝撃を与えるだけの絵を見せることのできる作品とね
例えばスターウォーズの映像が世界に与えたような
新海誠のアニメーションは画面がキレイですからね
・・・だが、僕にはこれは建前に聞こえる(笑)
本音はこちらじゃない?
え?
『君の名は。』は”バカでも分かる”作品だからこそヒットした

 今回、新海誠が挑戦したのは“作家性のあきらめ”なんですよ。今までの新海誠は『ほしのこえ』とかでやってたような、男と女が何光年も離れて、男の方は女の子のことをずっと想っているはずが勝手に結婚しやがって、女の子の方は銀河の果てで宇宙人と戦いながら「いつかあの人に会える日が来るんだろうか」なんて考えているような、救いようのない切ない話を連続して書いてて、“そこそこの評価”はあった。

 でも、「このままではお前はジブリにはなれない。庵野(秀明)や細田(守)にはなれない」……と言われたかは分からないけど、そこで一念発起して、「よっしゃ、わかった! 俺は中学生・高校生、言い方悪いけど“バカ”でもわかる映画を撮るぜ! オラァ、作った! ほら、バカが泣いてる!」っていうのが『君の名は。』なんじゃないかと(笑)。作家性をあきらめて、誰にでも分かるように徹底的にベタな方向にした。だから、この作品は大ヒットしているんじゃないかと思います。

出典:originalnews.nico

この発言は当時炎上してたよね
これは若い人は怒るでしょう・・・
岡田はやっぱりまだ、宮崎・富野・庵野・片渕ほど、新海をアニメ作家として評価してないと思うよ
もしくは、この若造っていう気持ちが絶対ある(笑)
えええ・・・
あの年、まず『シン・ゴジラ』が公開されてみんな衝撃を受けた
その興奮も冷めやらぬうちに、次は『君の名は。』が観客動員数・興行収入で『シン・ゴジラ』以上のインパクトを残した
オタク第一・第二世代はちょっと面白くない気持ちもあったんじゃなかな?
そうなんですか?
ところがさらに、年末に『この世界の片隅に』でまたまた衝撃を受けることになる
オタク第一・第二世代にとって、『君の名は。』に対するモヤモヤした気持ちがあったけど、『この世界の片隅に』の持つ凄まじいまでのクオリティの高さで溜飲を下げることができたんじゃないかな?
それ、なんかイヤですね・・・
だから岡田も、新海について、この本ではずいぶんオブラートに包んで書いていると思うよ(笑)

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『君の名は。』を観た後から、テッシーが気になって仕方ない・・・

『風の谷のナウシカ』~宮崎駿と本当のナウシカ

第3章 誰も語らなかったジブリ作品の「変遷」――原作版『風の谷のナウシカ』から読み解く

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そしていよいよ巨匠の話
宮崎駿監督についてですね

 ジブリの本によると、宮崎駿さんは映画版のラストシーンでも、王蟲が迫ってきて、ナウシカがそこに立っているラストシーンにしたかったんだけど、高畑勲と鈴木敏夫が2人がかりで、「これでは映画としてのカタルシスにならないよ!」と言って、「生き返ることにしよう」と言ったと。
 それで生き返らせたんだけど、本人は「あれで結局、宗教映画になっちゃったよ」と。
 でも、その宗教映画にしたおかげで、アニメ版の『ナウシカ』は大ヒットした。
 なので、いつまで経っても「『ナウシカ』は、そういう話だ」と、みんなに思われてると、いまだに宮崎駿は、あんなラストにしちゃったことを後悔してる。
 人間を描いたはずなのに、ラストにほんの気の迷いで奇跡を入れちゃったばっかりに、鈴木敏夫と高畑勲に口説かれて、奇跡を入れちゃったばっかりに、「俺が一番嫌いな宗教映画を作っちまったよ」と。

(中略)

 ようやく1993年に、最後の連載が再開されて、94年の3月に連載が終了して、7巻が出ます。
 この単行本の最後の7巻に宮崎さんは「腐海が役割を終えた時に来る平和な時代」というのは、否定しているんですね。
 つまり、腐海が存在して、もう一回地球をキレイにしている。
 これは事実なんですけど、そのキレイな世界の中では、人類はすでに生きて行けない。
 なぜかと言うと、1000年前に起きた大戦争の結果、今の『ナウシカ』の世界の人類というのは、すでに改造を受けたものだと言うんです。
 「お前は変だと思わなかったのか?」と。「なんであんな単純なマスクを口につけただけで、人間があんな腐海のなかで生きていけるんだ?」と。
 風の谷の人間が、寿命は短いといっても生きていけるんだと。
 それは何故かと言うと、人間がもうすでにキレイな世界では生きていけないからだと。
 さんざん実験してみた。人間とかいろんな生物をキレイな空気のなかにおいたら、みんな、肺から血を噴き出して死んでいく。
 「もうお前たちは、キレイな世界では生きていけない生物なんだ」と、ナウシカが言われるんですね。
 ここにおいてようやっと、ここにおいてようやっとですよ、『ナウシカ』の1巻2巻のころに、宮崎さんが『ナウシカ』というアニメを作って、「宮崎駿さんはエコロジーの人だ!」とか、「ナウシカはエコロジーだ!」と言われたことに、ようやっと大反論が開始したわけです。
 もう本当に10年がかりで反論した(笑)。

出典:ch.nicovideo.jp

これは本の内容と同じ
インターネット上でも公開されている
『ナウシカ』は、映画とマンガでは違うんですね
映画はマンガのほんの最初の方だけだからね
マンガのラストは決してハッピーエンドや希望のある内容ではないと・・・
だね
マンガを描き終えたのは、『紅の豚』(1992年)の後の1994年
そして、宮崎駿はこのテーマをさらに、『もののけ姫』(1997年)、『千と千尋の神隠し』(2001年)、『ハウルの動く城』(2004年)、『崖の上のポニョ』(2008年)、『風立ちぬ』(2013年)と掘り下げ行く
作品のテーマと己の思索が連動してるんだね
ジブリ作品の変遷、その端緒は原作版『風の谷のナウシカ』のマンガにあったのですね
考えてみたら、『風の谷のナウシカ』のマンガ
僕は全部読んだ気になっていたけど、1990年代以降の部分はまだ読んでないわ・・・
自分が読んだか読んでないかも忘れていたんですか・・・(苦笑)
いや、ずいぶん昔に全巻買って持ってはいるんだよ
さっそくこれから読もうっと
また楽しみが増えたぞ!


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『機動戦士ガンダム』~富野由悠季、ファーストガンダムにあってオリジンにないもの

第4章 緻密な演出が「優れた」SFドラマを生む――『機動戦士ガンダム』と富野由悠季の思想

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ガンダムについても、本の内容に近い発言が、インターネット上に公開されているので、一部引用しておこう
『機動戦士ガンダム』は、SFだったのか?
『機動戦士ガンダム』は、SFだったのか?

 昔、「『機動戦士ガンダム』は、SFか?」という大論争があったんだ。

 そのとき、SF作家の高千穂遙(たかちほ はるか)は、「あれはロボットものであってSFじゃない」
と言ったんだ。

 だけどガンダムは、やっぱりSFなんだよ。

 富野監督は、最後に出てくる“ニュータイプ”という思想を、“遺伝”でなくて“進化”と捉えてるんだよね。

 つまりガンダムは、人間が宇宙空間に行ったら認識力が広がって、他人の考えていることや、思いやりとかがわかる。

 それを戦闘に利用されてしまうという話なんだ。

 たぶん富野さんの世代は、今西錦司(いまにし きんじ)という生物学者の影響をすごく強く受けているんだよね。

 今西錦司という人は、京都大学の名誉教授なんだけども、“今西進化論”というのを編み出した人なんだ。

 同じ生物でも、棲み分ける環境によって変化が起きる。
 そして変化が起きたら、その変化は種全体に一斉に広がる。

 そう言ってるんだよね。

 僕が『ガンダム』を「いいSFだ」って思うのは、アムロが最後にア・バオア・クーからコア・ファイターで脱出する時に迎えるシーンなんだよ。

 みんなが「アムロは?アムロは?」って言って迎えるんだ。

 そしたら“おちびちゃん3人組”がニュータイプとして覚醒して、アムロに脱出経路を教える。

 その時、おちびちゃん3人組はアムロよりさらに進化したニュータイプになっている。

 ミライさんも、フラウ・ボゥも、カイ・シデンも、ハヤトすらも、アムロからの声が聞こえる。

 つまり、もうニュータイプになっちゃってるんだ。

 少なくともテレビ版・ガンダムの最終回で富野由悠季が描いたのは、そこにいたホワイトベースの仲間たちが、アムロと時期こそ違え、どんどんニュータイプとして進化していく瞬間をバーッと描いたんだ。
 
 そして面白いことに、ブライトさんは最後まで進化しないんだよ。

 ブライトさんは、最後まで進化しなくて、ミライとか、セイラさんに、「お前は、アムロとまだ連絡が取れるのか。」と聞く。

 そして最後、アムロが帰ってきた時に、全員が喜びの顔で迎えて一斉に手を伸ばすんだ。

 ガンダムで描こうとしたのは、“種は進化する”とか、“人類はニュータイプという革新を迎える”ということじゃない。

 ニュータイプとして革新を迎えたセイラさんであろうと、ニュータイプとして革新を迎えなかったブライトさんであろうと、両方がアムロ・レイを笑顔で迎えるというのがクライマックスシーン。

 つまり大事なのは“進化”じゃなくて、「自分が帰れる場所があるか、仲間がいるか」っていうことを映画の中で描いちゃった。

 だから『機動戦士ガンダム』というのはすごいSFなんだよ。

 普通のSFだったらここで、進化する・しないに、意味づけをしちゃう。
 でもそうじゃないんだと。

 宇宙空間に行っても、人は進化するかどうか、わからない。
 わからないけど、仲間がいなくなったら心配して、みんなで力を合わせてそいつを探す。

 この大きい流れをガンダムはやってくれた。

 この辺が『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』に無いところだよね。

出典:ch.nicovideo.jp

あらためて、あの感動的なエンディングを思い出すよね・・・
ブライト艦長だけ進化しなかったんですか?
それもブライトらしくていいんだよ(笑)
へー
でも、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』
絵はキレイだけど、なにかが足りないんだよなあ・・・
『機動戦士ガンダム』にあって、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』にはないもの
それはなんだろう?

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『この世界の片隅に』~片渕須直、ジブリに青春を奪われた男の復讐

第5章 そしてアニメは新次元に到達した――『この世界の片隅に』のすごすぎるリアリティ

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片渕須直は、アニメーターとして、「青春期の才能を、宮崎駿とスタジオジブリに吸い取られた」んだって
えええ・・・
青春期の才能を、宮崎駿とスタジオジブリに吸い取られた、不運の56歳

監督は片渕須直さん。

魔女の宅急便を下ろされた人、なんですね。

別に宮崎駿に下ろされたわけじゃないんですけどw
『魔女の宅急便』は片渕さんで進行してたんだけど、
スポンサーが、宮崎駿でないとダメだ、ってことで引き摺り下ろされて。

その時鈴木敏夫が、
「あんたは最後までいなきゃだめだよ」
てことで、演出補で参加してフォローしたと。

36歳で『名犬ラッシー』作って、41歳で『アリーテ姫』という遅咲きなんだけど。

それまで青春期の才能を、宮崎駿とスタジオジブリに吸い取られた、という僕的には不運の56歳。

ラッシー良かったんだけどね。
僕、娘が小さい頃一緒に見てたんだけど、
「うめえな~」と思いながら見てたから。

で、この片渕監督。
主人公のすずというキャラクターをずっと「すずさん」と
インタビューでも言ってるんだ。
それくらい実在するものとしている。

ひとえに、このすずさんっていうキャラクターを、
実在させる、信じさせるために、3つのポイントを立てたって言ってるんだね。

ひとつめは、徹底した現地取材。
広島の街とか、呉の街の現地取材がすごい。

これまでのアニメで、いわゆる聖地ってやつあるじゃん。
ある地方都市とかを、すごいちゃんと背景とか描いたので
「そこが聖地になりました」
というやつ。

申し訳ないけど、はっきりいってそんなのがバカみたいに見えるくらい、描写がすごい。

その時代にタイムスリップして行ったとしか思えないくらい。
だってもう存在しないわけだよ。
広島なんかさ、原爆で消えちゃった街だし。
呉もそうなんだけど、B29の爆撃でほとんど街が燃えちゃったんだ。

だから今はない、もう僕らが見ることができない街を、あらゆる資料を調べに調べて、存在させたんだよ。

その描写がものすごい。

なんでそこまでしたかっていうと、
ひとえに、ここにすずさんがいたんだ。
この橋の欄干を、さわったかもしれないんだ。
というのを観客に信じさせるための、膨大な取材なんだよね。

だからご飯の炊き方とか、竈の火のおこしかたとか、これまでジブリのアニメでもやったような描写あるんだけど。

そういうジブリの自然主義が、つまらなく見えちゃう。

なんでかっていうと、ジブリの描き方っていうのは、
風呂釜の炊き方、昔はこうだったんだよ、って子供に教える炊き方なんだよね。

昔はこうだったんだよ。
ほらほら手作りで素晴らしいでしょ。
という教える描き方なんだけど。
『この世界の片隅で』の描き方は、キャラクターの存在を信じさせるための描き方なんだ。
だからレベルがぜんぜんちがう。

たとえば『となりのトトロ』ってさ、トトロとかネコバスが空を走るシーンはすごいじゃん。

あれは、トトロやネコバスが存在していることを、宮崎駿が信じてるからだよね。

その信じてることを伝えるためだったら、宮崎駿のパワーが最大限出るんだけど。

昔の火はこうだったんだよ。昔の家庭はこうだったんだよ。
昔のご飯の作り方はこうだったんだよ。と教える立場になっちゃうと、急にアニメーションの熱量が下がっちゃう。

だから、キャラクターを信じさせるための、背景描写とか自然なアニメーションがとにかくすごい。

あとね、仮現運動。
これね、心理学用語なんだけど。
すずさんを現実化させるふたつめのポイントね。

仮現運動とは何かと言うと、
点がふたつ点滅して、交互に点いたり消えたりしていると、
人間の目には、これが動いているように見えて、残像まで見えてしまう。

こういう見えてないものを補完して、動いてるように見えるのを仮現運動と言うんだけど。

アニメーションの原理って、この仮現運動でできてるんだ。

監督のインタビューで、これまでのアニメーションは、ロングレンジの仮現運動でできている。

だから、中抜きというのが存在する。

中抜きっていうのはどういうことかと言うと、
原画で、大きい人間の動きをやった時に、
途中、動画で本来埋めるべきところを、わざと動画抜いちゃうんだ。

そうすると、スピーディに動いているように見える。

これの一番シンプルな例が、
『もののけ姫』のサンの戦いのシーン。

一番最初に、サンがエボシ御前と戦うところ。

ナイフを抜いてさっと腕を振る時に、
腕が伸びているところの腕を描かずに、
ナイフの先だけを、空中に描くんだ。

そしてここ(サンがナイフを自分の胸に引きつけているところ)は、
ちゃんと描く。

腕を伸ばしたところは描く。

ところがこの途中の空中、は腕を全く描かずに、
ナイフの刃だけを描くんだよね。

そうすると人間は、残像でこれが一瞬光ってるように見えて、
ここの動いている間を、脳が補完して見えてしまう。

こういうのを片渕監督は、ロングレンジの仮現運動と呼んでるんだ。

つまり、こういう大きい動きの仮現運動というのは、アニメーションではよくやられてる。

だから日本のアニメーションは、
フルアニメでぐねぐね動くのではなく、中抜きして、
アクションシーンがスピーディで、かっこいいと言われるんだ。

ところが、『この世界の片隅に』で使われたのは、
ショートレンジの仮現運動。

人間のものすごい細かい小さい動きを、
あえて中に作画をいっぱい入れることによって、
人間の目に残像現象を起こす、という実験をやってる。

それが冒頭の行李っていう大きい荷物を、すずが担ぐシーン。

ものすごいゆっくりした動きをやってるんだけど、めちゃくちゃリアルに動いているように見える。

あと動きが可愛らしいんだよね。

この辺のあえて、ロングレンジの仮現運動でなく、
ショートレンジの仮現運動やったというのは、
宮崎駿のアンチとも言える。

日本アニメのこれまでやってなかった領域への、挑戦とも考えられる。

作画の指示も、仮現運動の思想を徹底してて。

インタビューで監督が言ってたんだけど、箸を取るシーン。

日本のアニメは、ようく見てくれたらわかるんだけど、
お箸をとったら、次の瞬間もう、箸が正しく持てている。

これがふつうのアニメーションなんだけど、
『この世界の片隅に』では、
ショートレンジの仮現運動っていう思想でやってるもんだから、
ふつうのアニメではやらないことをやるんだ。

お箸を持ったあと、お茶碗を持ってる手で押さえて、持ち替えるじゃん。これが正しい箸の持ち方。

これをわざわざやってる。

そんなことやってるもんだから、アニメーションとしての表現がとんでもないところに達している。

だからアニメ好きには見て欲しい。

これがふたつめ。
ショートレンジ仮現運動思想による、アニメーションの新たな領域に入ってしまった、
リアリティの追求です。

出典:blog.freeex.jp

これはほぼ、今回の本で語られている内容と一緒
「ショートレンジの仮現運動」というのがあるんですね
「ショートレンジの仮現運動」ね
そんな技が使われていたんだね
『この世界の片隅に』は、アニメーションとしての表現が革新的なんですね
あとね
僕なんて号泣して観てたんだけど、最後まで泣かずに我慢してみると、もっといろんな映画のいいところがみえてくるんだって
今度は冷静に観よっと
くまちゃんは年末に号泣したって言ってましたよね(笑)

関連エントリー→
年の瀬の映画館で『この世界の片隅に』を観て、かなり泣きました
『この世界の片隅で』を観た後から、“ばけもん(人さらい)”のことが気になって仕方ない・・・

もっと岡田斗司夫氏と戯れたい人はこちら・・・

出典:originalnews.nico

岡田斗司夫氏の笑い方が品がないとか・・・言う人もいるが
それは置いといて(笑)
そうなんですか?
岡田斗司夫氏の人間性については、まあ・・・いろんな意見があると思うけど、アニメの視点に関しては大いに共感するし、いつも勉強させてもらっているよ
人間性に疑問?
どうゆうことでしょう?
今日はそのへんは触れません(笑)
え~と(検索中)・・・ああ!
えええ・・・!
ホントですか・・・?
検索するとすぐわかるようだね
だから、そのへんは触れないって(笑)
・・・(赤面)
赤くなって、黙るなよ!(笑)
では、オタク第一世代の代表格・岡田斗司夫氏のアニメ論についてももっと知りたい方はこちら!

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