どう考えても宮崎駿の最高傑作は『ルパン三世 カリオストロの城』だよ
「とうとうクラリスにはさわらせなかったよな、ミヤザキの奴め 大塚康生」
あの宮崎駿監督を「ミヤザキの奴め」呼ばわりしてますよ!
プロフィール:高齢子育て中、飲酒は週末のみ
特技:奥さんをフォローすること(嘘)
プロフィール:ゆとり世代(さとり世代)、独身、潔癖症、シニカルな視点は世代のせい?
特技:インターネット超高速検索
☆☆☆自己紹介ここまで☆☆☆
僕が好きだった宮崎アニメ~『未来少年コナン』(1978年)、『ルパン三世カリオストロの城』(1979年)
出典:『未来少年コナン』(1978年)
その後は言わずもがな・・・『風の谷のナウシカ』(1984年)でジブリが出来て、『となりのトトロ』(1988年)から『千と千尋の神隠し』(2001年)の間の10数年で、アニメファンのみならず、子どもから大人まで、みんなが好きなジブリアニメ、世界の宮崎駿になっていったよね
僕、ラピュタ好きですね、バルス!
ひょっとして・・・僕が好きなのは宮崎駿ではなく、大塚康生だったんじゃないか、とある時、ふと思ったのよ
とにかく、大塚康生について、ちょっと今日は調べてみようよ!
大塚康生さん、え~と(検索中)
「動き」へのこだわり~アニメーター・大塚康生とは・・・?
宮崎駿の先輩、日本アニメーションを牽引してきた伝説のアニメーター
1931年7月11日生まれ、島根県出身。日本アニメーションを牽引してきた伝説のアニメーター。
東映動画アニメーター第一期生。高畑勲、宮崎駿の先輩であり、後に『太陽の王子 ホルスの大冒険』『ルパン三世』『パンダコパンダ』『未来少年コナン』『じゃりン子チエ』などを共に手がける。
現在は第一線を退いて、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導に当たっている。
大塚康生さんは宮崎駿監督の先輩なんですね
アニメーターになるまでは麻薬取締官事務所に勤務したことも!
子供時代は山を超えて、機関車を一日中描き続けた。この頃から機械の仕組みを理解した非常に緻密な絵を描いていた。高校を卒業後、山口県の県庁に就職。その後上京し麻薬取締官事務所に勤務し、仕事の合間に風刺漫画の練習をしていた。しかし、体を壊し仕事を退職。病気を治した後、絵が描ける仕事を探して東映動画を訪れる。その後、アニメーションの試験を受け見事合格。森康二の下でアニメーションを学ぶことになった。
そして、アニメの仕事をすることなったら、最初は、森康二さんからアニメーションを学んでいるんだね
森やすじさん『フランダースの犬』アロアの設定画
こういうところから、日本のアニメーションの歴史はつながってきてるんだよね
動かすアニメーションにこだわり
『アニメーターとは演技者である』と公言し、動かすアニメーションにこだわりを持っている。
東映動画時代は魚が登場するカットを多く担当し、巨大な魚を泳ぐシーンを描くために自ら魚を飼って魚の泳ぎを研究した。迫力ある画面構成に勢いと重みのあるアニメーションが特徴であり、そのダイナミック&コミカルなアニメートは「大塚アクション」と呼ばれ、宮崎駿と組んだ『未来少年コナン』『ルパン三世 カリオストロの城』では、その能力を遺憾なく発揮している。
五右衛門が刀を抜くところです
そして、森康二、大塚康生から、宮崎駿へとつながっていく
鈴木敏夫氏曰く、『大塚さんは教えることの天才だ』
アニメーションの楽しさを教えることもモットーにしている。大雑把であっても生き生きとしたアニメーションの楽しさを知ってほしいと考え、精力的に活動している。イタリアへもアニメーションの指導を行ったことがある。東映動画では、直属の上司として新入社員・宮崎駿の指導育成に当った。
他にも指導を受けた人材(著名な人物)
杉井ギサブロー、月岡貞夫、芝山努、椛島義夫、近藤喜文、田中敦子、うつのみや理、貞本義行、田中達之、板垣伸
『耳をすませば』(1995)の近藤喜文、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)の貞本義行・・・
宮さんとオオツカさん
宮さんとオオツカさんだね
宮崎駿は大塚康生にクラリスを描かせなかった
ほぼ日刊イトイ新聞「ジブリの仕事のやりかた。宮崎駿・高畑勲・大塚康生の好奇心。」より
以下、糸井重里氏の問いかけに対する、鈴木敏夫プロデューサーの語りです宮さん(宮崎駿さん)は、そうです。だから、『カリオストロの城』のクラリスというお姫さまも、勝手に大塚さんに描かれるのがイヤなんですよね。
忙しくて映画宣伝用のポスターなんて描けないときにも、宮さんは「ポスターを描く条件がある。オオツカさん、クラリスを出すな!」と言った……。出典:www.1101.com
有名な話だよね・・・宮崎駿は大塚康生にクラリスを描かせなかった
「もっとうまくなれ みやざきはやお」
「これ誰が描いた?俺じゃないぞ! 大塚康生」
宮崎駿は言うことがコロコロ変わる・・・
ほぼ日刊イトイ新聞「ジブリの仕事のやりかた。宮崎駿・高畑勲・大塚康生の好奇心。」より
以下、糸井重里氏の問いかけに対する、鈴木敏夫プロデューサーの語りです(宮崎駿さんは、)人の言葉も、尋常な解釈はしない人なんです。
まぁ、宮崎駿という人は、すごくよく言えば、「その時々に正直で誠実」というタイプなんです。つまり、1日のなかで、言うことがコロコロ変わるんです。
朝と昼と夜と、言っていることがぜんぶちがう。
これは、まじめに受けとめてしまうタイプのアニメーターは、アタマがおかしくなっちゃうんですね。そういう悩みを持つ人なんかは、たいがい、大塚さんのところに相談にいくんですけど、彼は一言しかアドバイスしないんです。
「宮さんの言うことは、右から聞いたら左へ流しなさい。自分の好きなように描け」
これを守った人が、いいアニメーターに成長するんです。
出典:www.1101.com
「セルなんかとっとくな ステロ ステロ、過去はステロ!!忘れろ!!前へ進め!! みやざき」
宮崎駿と大塚康生は、キャラクターとしても対照的
ほぼ日刊イトイ新聞「ジブリの仕事のやりかた。宮崎駿・高畑勲・大塚康生の好奇心。」より
以下、糸井重里氏の問いかけに対する、鈴木敏夫プロデューサーの語りですふたりは、キャラクターとしても、実に対照的ですね。
たとえば、大塚さんは外国に出かけて、誰とでも堪能にやりとりをして、実践でおぼえた言葉を駆使して、さまざまな話を聞いてきて、なおかつ、いろんな買いものをしちゃう。
ジープなんかも買ってきてしまうような人です。ところが、宮崎駿は、とにかく外人に英語でしゃべりかけることはゼロ。
しゃべりかけられると、必ず彼は、一歩、後ずさりするんです。大塚さんと一緒に仕事をした人や、大塚さんから習った人というのは「アニメーションってたのしいなぁ。仕事ってたのしい」と思うのですが、宮崎駿と一緒に仕事をした人は、「仕事っていうのは苦しいし、アニメーションはたいへんな道のりだ」と考えるわけです。
この差は大きいですよね。
出典:www.1101.com
「この次元すきでーす 大塚康生」
大塚康生の凄み~マンガの神様・手塚治虫へのダメ出し
ちょっと長いけど、引用させて
●技術を軽視していた手塚治虫さん
『鉄腕アトム』の功罪については、方々でいろいろと語られています。手塚先生は「原作漫画があれば準備はおろか宣伝さえもいらない」風潮を巻き起こし、テレビアニメ時代を出現させました。しかし、私がお会いして語った印象では御自身はあれではとても満足しておられなかった。本当は心の底からディズニーを超えるフルアニメーションの大長編を作りたかっのだと思います。ただ、実際に長編をやってみて驚かれたと思うんですね。自負していたのとは随分違う。それは、繰り返しますが、技術を甘く見ておられたということに最大の原因があったのではないかと思います。手塚先生は技術集団を鍛え上げることにも熱心ではなかった、と私は考えています。
こんなことがありました。私共が『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年12月15日公開 宮崎駿監督)を完成させたあと、手空きがあったものですから『火の鳥(2772 愛のコスモゾーン)』(1980年3月15日公開 手塚治虫総監督・杉山卓監督)を手伝うことになりました。手塚さん自身が原動画全員に話をしたいということでテレコムにいらっしゃいました。
手塚先生は、「私はまだ『カリオストロ』は見てません。(虫プロの人によると試写室に籠りっきりで繰り返し御覧になっていたそうです)噂に聞くと3コマ作画だそうですけど、今度皆さんに手伝ってもらう『火の鳥』はオール2コマ・フルアニメーションですからそのつもりで宜しくお願いします」と言われるので、皆緊張していました。しかし、届けられたカットを見て、私たちは唖然となりました。たしかに、2コマで作画してありましたが、3コマ用に描かれたものを「…(点々々)」と言いまして、原画と原画の中に何枚入れるかを変えただけで、2コマにしなければならない特有の描き方や工夫が全く入ってないんですね。必要もないシーンにただ枚数が増えているだけで、私たちは本当に驚きました。
2コマ使用ということはかなり小さな演技(仕種)を拾うことになりますから原画と原画の間の密度が高くなり1カットの原画の枚数も3コマ使用よりもずっと増えてしまいます。『カリオストロの城』は基本的には3コマ、速い所は1コマ・2コマを自由に使っていますが、この時どうやら手塚先生は理念としてのフルアニメーションに憧れていらっしゃるが、技術的な使い方は御存じないのだとわかりました。
今、私がこういうことを言っても先生を傷つけることにはなりません。長編アニメーション特有の技術は、先ほど言いました「移転」が必要だったのです。さもなくば、研究と準備に資金を投入して、テストしながら効果を確かめて使用しなければなりません。フルアニメーションは、ただ枚数が増えているだけではないのです。描き方の細かいところで違っているのです。
また、これも技術的な話になりますが、例えば「熱狂的に拍手する」仕草を感じよく見せるには1~2コマでないと気分がでません。しかし、3コマでもポーズがよかったら充分鑑賞に値する演技として成立するのです。場合によってはフルアニメーションでは鬱陶しいだけになってしまうこともあるのです。
手塚先生は、心の底から2コマのフルアニメーションが好きだったと思います。しかし、当時すでに天才漫画家として超売れっ子だった先生が、東映やディズニーを訪れて基礎技術を学ぶということはあり得ませんでしたし、そんな資金も時間もなかったでしょう。冒頭に話しましたように、東映が長編のスタートに当たって、いかに慎重だったかを思い出してみてください。
「あのくらい、ぼくでも出来る」といった手塚先生の過信が、真摯な生徒として一から学ぶには遅すぎたともいえましょう。私は、他の誰よりも、手塚先生がすでに東映が蓄積していたフルアニメーションのテクニックを一から学んで出発してほしかったと思っております。
でも、手塚治虫だって、一人の人間、完璧じゃないよね
僕も宮崎駿も好きだからね、作品ほぼ全部見てるし!
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