1915年(大正4年)に起きた史上最悪の獣害事件、三毛別ヒグマ事件を題材にした伝統芸能「くま獅子舞」が29日、苫前町公民館で10年ぶりに演じられました。https://t.co/bGidbh2NBf pic.twitter.com/4LzpDApJzW
— 北海道新聞 (@doshinweb) 2017年10月31日
プロフィール:高齢子育て中、毎日吞まずにはいられない
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インターネット上でみかける、巨大なクマの写真・・・
僕とヒグマ、九州でもヒグマが見れます~カドリードミニオン(熊本・阿蘇)
僕とヒグマです(笑)。
子グマにかみ殺されて死んだ女性
89年2月夜7時ごろ、61歳の主婦が自宅から約1時間半ほどの、熊本県阿蘇町にある阿蘇クマ牧場十二支苑内の子グマ舎へ飛び降りて自殺した。
ドスーンという音を聞いた飼育係が駆けつけると、柵から2.5m下の子グマ舎では、68頭のクマが黒山のように1ヶ所に群がり重なりあっていた。消火器でクマを追い払うと、白い粉のなかから人の姿が浮かんできた。死体はすでに子グマに食い荒らされており、内臓はすっかりなくなって、胃から腸にかけてポッカリと大きな穴が開き、手や足など全身の数ヶ所にクマに食いちぎられた跡があった。衣服はズタズタに引き裂かれ、裸同然で、右目は飛び出していた。
彼女は熱心な仏教の信者で、以前から「自分は悪魔の世界に落ちる」「人間は死んでも魂は生き残る」などと語っていた。昼すぎに家を出るときには「私はあの世に行くように言われている」と言い残し、夫宛に遺書も残していた。近所からは変わり者と見られていた。
この女性は以前に「トラに食べられて死にたい」などともらしていたことから、クマ舎の隣にあるトラの檻に入ろうとしたが、鉄格子がかかっているため入れず、代わりに隣のクマ舎に飛び込んだとも噂されている。出典:megalodon.jp
「パンくん」で有名なあの動物園でクマ惨殺事件が起きていた
2014.12.08 07:00
同誌によると惨劇が起きたのは11月23日午後1時過ぎのことだった。「ベアバレー」の檻のひとつから、突然、「ヴォー」「ゴォウアー」というクマの奇声が響き渡った。目撃者は1頭のクマの上に6~7頭のクマが折り重なるように襲いかかっていたと証言している。「『バリバリ、ボリボリ』という音が響き渡り、生臭い匂いが漂ってきたんです。音は骨が砕けた時のもので、クマが食べられてる……そう気がついて、背筋が凍りつきました」
現場に居合わせた熊本市在住の主婦・Aさんは週刊ポストにそう語っている。
同誌が取材した飼育担当者によると、ヒマラヤグマの檻の中で、客が与える売り餌のチキンの取り合いになったのがきっかけのようだ。襲われたクマは程なくして死亡してしまったという。クマのケンカは勝っているほうに加勢する傾向もあるのだそうだ。
騒ぎのあった檻は、翌日から平常通りに営業している。
出典:twitter.com
【ヒグマ】サメより怖い?今でも毎年報告されるクマによる被害
ヒグマの分布
ヒグマは、世界では北半球に広く分布し、さまざまな自然環境に生息しています。日本では北海道にのみ生息しており、国内では最も大きな陸上動物です。
また、石狩西部のヒグマ個体群は環境省レッドリストで「絶滅のおそれのある地域個体群」に指定されています。体の大きさ
- 体長
オス: 約2.0m
メス: 約1.5m- 体重
オス: 約150~400kg
メス: 約100~200kg※産まれてすぐは400gくらい
ヒグマ目撃相次ぐ 冬眠前、餌求め活発化
2017/11/7配信
苫小牧市内では9月以降、市民らによるヒグマの目撃や痕跡の確認が相次いでいる。市への情報提供は昨年、同月から11月末までに9件だったが、今年は6日時点で13件に上っている。この時期はヒグマが冬眠前に餌を探して活発に動き回るが道によると今秋、苫小牧近郊の森では餌となる木の実の生育は芳しくない。このため、市街地や農地への出没が例年よりも増える可能性があり、市や道は注意を呼び掛けている。
史上最悪の獣害事件、三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)とは・・・?
三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)とは、1915年(大正4年)12月9日から12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町三渓)六線沢で発生した、クマの獣害(じゅうがい)としては日本史上最悪の被害を出した事件。六線沢熊害事件(ろくせんさわゆうがいじけん)、苫前羆事件(とままえひぐまじけん)、苫前三毛別事件(とままえさんけべつじけん)とも呼ばれる。エゾヒグマが数度にわたり民家を襲い、開拓民7名が死亡、3名が重傷を負った。事件を受けて討伐隊が組織され、問題の熊が射殺されたことで事態は終息した。
※ウィキペディアを短く再編集しました。
11月初旬、池田家の騒動
1915年(大正4年)11月初旬のある夜明け前、六線沢の池田家に巨大なヒグマが姿を現した。飼い馬が驚いて暴れたため、その時の被害はわずかなものに留まった。村は開拓の端緒にかかったばかりの土地でもあり、このような野生動物の襲来は珍しいものではなかったが、主人である池田富蔵(いけだ とみぞう)はぬかるみに残った足跡の大きさに懸念を持った。
12月9日、太田家の惨劇
12月9日の朝、三毛別川上流に居を構える太田家で、当主の太田三郎(おおた さぶろう、当時42歳)が仕事で出払っている間、三郎の内縁の妻・阿部マユ(あべ まゆ、当時34歳)と太田家に預けられていた少年・蓮見幹雄(はすみ みきお、当時6歳)がヒグマに襲われた。
幹雄は土間の囲炉裏で喉元をえぐられ死亡、マユは血痕とともにヒグマにさらわれ、翌日遺体が見つかった。人間の肉の味を覚えたヒグマは、マユを雪に隠し保存食にしようとしていたという。12月10日、太田家への再襲
夜、太田家では幹雄とマユの通夜が行われたが、村民はヒグマの襲来におびえ、参列は少なかった。案の定、酒宴の途中で大きな音とともにヒグマが室内に乱入。幸い犠牲者はでなかったが、混乱の中、ある男はあろうことか自身の妻を押し倒し、踏み台にして自分だけで梁の上に逃れた。以来、夫婦の間では喧嘩が絶えず、夫は妻に一生頭が上がらなかったという。
同10日、明景家の惨劇
前日の太田家の騒動を受け、明景家に避難した女性や子供らは火を焚きつつおびえながら過ごしていた。明景安太郎の妻・ヤヨ(当時34歳)、長男・力蔵(りきぞう、当時10歳)、次男・勇次郎(ゆうじろう、当時8歳)、長女・ヒサノ(当時6歳)、三男・金蔵(きんぞう、当時3歳)、四男・梅吉(うめきち、当時1歳)の6人と、斉藤家から避難していたタケ、巌、春義の3人、そして要吉の合計10人(タケの胎児を含めると11人)。
護衛は近隣に食事に出かけ、さらに太田家へのヒグマ再出没の報を受けて出動していたため、男手として残っていたのは要吉だけで、主人の安太郎は所用で鬼鹿村へ出掛けており不在だった。太田家から逃れたヒグマは、まさにこの守りのいない状態の明景家に向かっていた。
ヒグマの夜襲にあった明景家では、雑穀俵の影に隠れた力蔵と、失神したヒサノ以外はみな惨殺された。胎児の命乞いをしたタケにいたってはその願いもかなわず、無残にも上半身から食われたという。12月11日
12月9日、斉藤石五郎(さいとう いしごろう、当時42歳)は太田家の惨劇を伝える使者役として、明景家に家族を預け、苫前村役場と古丹別巡査駐在所、幹雄の実家である力昼村(現・苫前町力昼)の蓮見家に行っていた。11日昼近く、戻ってきた石五郎は妻子の受難を知らされ、呆然と雪上に倒れ伏しただ慟哭をあげるしかなかったという。石五郎の使者役は最初に選ばれた男が嫌がったための代役だった。
12月12日
討伐隊が組織され、待ち伏せしたが、ヒグマは現れず、作戦は失敗に終わった。
12月13日
旭川の陸軍第7師団から歩兵第28連隊が事態収拾のために投入される運びとなり、将兵30名が出動した。一方、ヒグマは村人不在の家々を荒らし回っていた。飼われていた鶏を食い殺し、味噌や鰊漬けなどの保存食を荒らし、さらに、服や寝具などをずたずたにしていた。
12月14日
討伐隊に、山本兵吉(やまもと へいきち、当時57歳 )という熊撃ちが加わった。天塩国でも評判が高いマタギだった。彼が11月に起こった池田家の熊の出没さえ知っていたなら、9日の悲劇も10日の惨劇も起こらなかったものと、だれもが悔しがった。
兵吉は討伐隊と別れ、単独で山に入った。ヒグマは頂上付近でミズナラの木につかまり体を休めていた。その意識はふもとを登る討伐隊に向けられ、兵吉の存在には全く気づいていない。音をたてぬように20mほどにじり寄った兵吉は、ハルニレの樹に一旦身を隠し、銃を構えた。銃声が響き、一発目の弾はヒグマの心臓近くを撃ちぬいた。しかしヒグマは怯むことなく立ち上がって兵吉を睨みつけた。兵吉は即座に次の弾を込め、素早く放たれた二発目は頭部を正確に射抜いた。12月14日午前10時、轟いた銃声に急ぎ駆けつけた討伐隊が見たものは、村を恐怖の底に叩き落したヒグマの屠(ほふ)られた姿だった。
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ヒグマによる獣害事件一覧
- 三毛別羆事件
言わずもがな、日本史上最も被害を出した獣害事件。- 石狩沼田幌新事件
日本史上二位にあたる規模の獣害事件。祭りの後を襲った恐ろしい事件。- 札幌丘珠事件
日本史上三位にあたる規模の獣害事件。冬眠中のヒグマを討ち損じて大惨事。かつてはこれが一番有名だった。- 下富良野事件
留守中に少女がヒグマにさらわれ、藪の中で食い殺された事件。- 風不死岳事件
警報を無視して登った結果の惨事。- 福岡大ワンゲル部・羆襲撃事件
ヒグマの習性を世に知らしめる結果となった事件の一つ。- 秋田八幡平クマ牧場事件
クマ牧場のヒグマが起こしたものとしては最大の事件。- グリズリーマン
クマを愛する男が起こした、自業自得と言えなくもない事件。
人とヒグマの共生~アイヌの儀礼「イオマンテ」
イオマンテ
イオマンテ (iomante) とはアイヌの儀礼のひとつで、ヒグマなどの動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界 (kamuy mosir) に送り帰す祭りのことである。
イオマンテの準備。画面右では長老がカムイに捧げるイナウを削り、女たちは酒の用意をしている。画面左では村人が熊の檻を囲んで踊り、神との別れを惜しんでいる。
熊を檻から引き出し、ロープをかけて広場に連れ出す。右から、熊の世話係だった女性が従う。
熊を広場の杭につなぎ、エペレアイ(儀礼用の矢。刺されにくく加工されている)を射かけ、「遊ばせる」。1914年に撮影された写真。
伊藤久男 イヨマンテの夜1975
” iyomante no yoru” 北海道・東北地方の民族であるアイヌの「豊穣の祭り」として、古来から森に生息するヒグマを捕獲し、村の酋長が弓矢でそれを殺し、神の元に送り届け、自然の恵みを感謝し、集落の安寧を祈念する儀式を讃えた昭和歌謡です。NHKの「のど自慢」でも以前は自分の歌唱力を誇示する楽曲として頻繁に歌われたという名曲です。