【90年代東京】ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ、「ドント・テイク・ユア・タイム」の衝撃!

サブカル
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マジか…。
ソフト・ロックの象徴的な名盤でも知られ、カーペンターズ「愛のプレリュード」「雨の日と月曜日は」等の名曲を残した作曲家ロジャー・ニコルズさんが逝去、享年84歳でした。
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【訃報】ポール・ウィリアムズが自身のSNSで…

ポール・ウィリアムズのSNSで第一報が…。
え~と(検索中)…以下、ポール・ウィリアムズさんの投稿です。

ロジャー・ニコルズと私が書いた最初の曲は「it’s hard to say goodbye.」と呼ばれた。 「… 残念ながら、私たちは頭を打った。 ロジャー・ニコルズは4日前に平和に亡くなった。彼の美しい家族と家で… 彼の妻テリーと彼がとても誇りに思っていた娘たち、クレアとケイトリンは彼の側にいます。 彼らは彼の夢がかなった。 彼の最大の喜び

ロジャーは私のライティングパートナーで音楽学校だった… 協力者
何年も、そして一生の友人。 A&Mレコード出版社に契約されたとき、私は音楽のキャリアを求めていた職場の俳優でした。 彼らはロジャー・ニコルズの歌詞家を探していた。 私の人生を変えた産業的な強さ、幸運な休暇。

私たちは数年間ほぼ毎日書いた。 彼は才能があるのと同じくらいしつけのある人だった。 私はウミカワウソの注意力を持っていた… 私は3時間後に休憩の準備ができていたのに、ロジャーはあと4、5時間前に進むだろう。 彼の完成したメロディーの中の美しさから言葉が生まれた。
聞いたことを書きました、メモ用にメモ… 一言一言。 彼の音楽の中に既に感情の中で待っている歌詞。 彼はそれを簡単にしてくれた。

多くの素晴らしい生産的な年月を経て、私は映画のために歌を書いて欲しかった。 彼はまた夢を見た。 彼は私が釣りに行きたいと言った… モンタナに戻りたい。 彼は微笑んで、家族がいて、小さな川のほとりに家を作るかもしれないと何か言いました… 彼が既にいないことは明らかだった。 数年前、私は彼を訪ねて、川沿いの家でテリーと女の子たちに会いました… そして、彼が夢を見つけたことを知った。

最後の話。 ロジャーは娘のケイトリンが去年の9月に結婚するとき、本当に興奮していた。 彼は笑いながら尋ねた。「娘の手を握って、私の車椅子で通路を走り降りている私が想像できますか? ”

もちろん、その時はイエスと言ったよ…. そして今ロジャー、私はあなたのゴージャスな音楽に合わせて通路を歩いたり、父と娘のダンスを踊ったりした何千人もの誇り高き父とその美しい娘たちをイメージすることができます。私たちはまだ始まったばかりです… あなたが彼らの人生と私の人生に持ってきたものを、立って拍手を送っている彼らを想像してください。 あなたはこの世界に愛と美しさをもたらしました、そして私たちはあなたを決して忘れません。

多くの愛を込めて感謝の気持ちを込めて… ポール

出典:www.instagram.com

ハーパース・ビザール 「ザ・ドリフター」- The Drifter (1968年)
モンキーズ 「サムデイ・マン」- Someday Man (1969年)
カーペンターズ 「愛のプレリュード」- We’ve Only Just Begun (1970年)
カーペンターズ 「雨の日と月曜日は」- Rainy Days and Mondays (1971年)

カーペンターズ 「あなたの影になりたい」- Let Me Be the One (1971年)
カーペンターズ 「愛は夢の中に」- I Won’t Last a Day Without You (1974年: 1972年録音)
スリー・ドッグ・ナイト 「アウト・イン・ザ・カントリー」- Out in the Country (1970年)
ポール・アンカ 「想い出よいつまでも」- Times of Your Life (1975年)

出典:ja.wikipedia.org

日本での人気

1968年に発売された、アルバム『Roger Nichols & The Small Circle of Friends』は、当時日本国内盤の発売もなく、70年代にアルバムから数曲が大瀧詠一のラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』でオンエアされたが、日本のマーケットではほとんど認知されていなかった。

1987年、このアルバムのレコードが当時のキャニオンレコード (現ポニー・キャニオン)によって、音楽プロデューサーの長門芳郎の監修のもと世界で初めてCD化され、日本のマーケットでも広く知られるところとなった。このCDのライナーノーツを当時ピチカート・ファイヴの小西康陽が担当、ニコルズとその曲に対する愛情あふれるレビューは、90年代に渋谷系と呼ばれる音楽に携わった人々の源流となった。また、当時のソフトロックの流行に寄与した[2]。特に「Don’t Take Your Time」「Love So Fine」 といった曲は渋谷系と呼ばれたグループの多くがオマージュ作品を発表している。その日本人気にあやかった形で1995年に日本限定のアルバム『Be Gentle With My Heart』が新譜としてレコーディングされ、リリースされた。

以降も日本のマーケットに向けたアルバムが発表されており、日本企画の編集アルバムとして2016年に『トレジャリー』が、2018年に『トレジャリー・エクストラ・トラックス』がリリースされた。

出典:ja.wikipedia.org

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【90年代東京】ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ、「ドント・テイク・ユア・タイム」の衝撃!

あの頃、音楽って僕らのアイデンティティだった。どのアーティストを好きかというのは自己表現の重要な要素。チャゲアス?チューブ?ハウンドドッグ?ダサ(笑)、とロジャー・ニコルズを聴きながら悦に入る僕。でも、カラオケいくとチャゲアス、チューブ、ハウンドドッグも喜んで歌うんだけどね(笑)。
自分も田舎者のくせに、すぐにそうやって…(苦笑)。
1990年代、あの頃の東京、渋谷、下北沢、吉祥寺…。レコード店CDショップ、本屋さん、古着屋さん、居酒屋さん。何もかもみな懐かしい。
遠くを眺めて、涙ぐまないでください(苦笑)。

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