【1973年11月29日】熊本地震、雷ときて…大洋デパート火災を思い出すオヤジ【国内デパート火災史上最悪】

熊本ぼちぼち新聞
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昨夜は雨が凄かった。熊本地震から少しずつ復興の歩みが始まってるのに、今度は大雨とか、もうやめてほしいよ…。
昨夜の大雨で複数名の死亡者も出たようです。

名前:くま(♂)
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特技:リフティング50回
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【熊本地震】地震、雷とくれば…

熊本地震、雷ときて…大洋デパート火災を思い出すオヤジは僕です(笑)。昭和40年代の熊本で大きな火災があったのしってる?
熊本で大きな火災ですか?
大洋デパート火災だよ。

僕が4歳になったばかりの時かな。
え~と(検索中)…僕がまだ生まれていない頃の火災ですね。へー。
検索はやっ。
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【1973年11月29日】熊本で大洋デパート火災

P15-01_2

出典:消防防災博物館
昭和40~49年 画期的な既存遡及制度の施行

大洋デパート火災(たいようデパートかさい)は、1973年(昭和48年)11月29日午後1時15分に、熊本県熊本市(現在の同市中央区)下通1丁目3番10号にあった百貨店の「大洋デパート」(鉄筋コンクリート地下1階、地上13階建て・一部9階建て)で発生した、火災事故である。

火災発生当時は隣接する櫻井総本店ビル3階-8階への増築および改装工事をしながら、また、年末に向けての書き入れ時の中での営業だった。出火原因がタバコの火の不始末か放火か、または改装工事の際の火花なのか、様々な憶測は出たが現在に至るまで判明していない。

従業員の誘導で従業員60名・客70名ほどが屋上に避難して助かった。はしごで救出された人数は67名。また、増築用の足場を利用して25名が救出された。この火災で3階以上延べ1万3500平方メートルを全焼し、年末に向けての買い出し客や従業員、工事関係者ら103人が死亡、124人が重軽傷を負うという、日本のビル火災では大阪市の千日デパート火災(1972年5月13日)に次ぐ大惨事となった(千日デパートはいわゆる寄合百貨店であり、百貨店ではないため、デパート火災としては史上最悪)。

出典:ja.wikipedia.org

1973年11月29日は木曜日だっけ。火災の起きた週に、実は僕も大洋デパートに両親と買い物に行ってるんだよね。
へー、危なかったですね。

大洋デパートといえば…火災の1年前だかそのくらいに、おもちゃ売り場で、おもちゃのロボットの真似をしていて、見事にショーケースに頭から突っ込んで流血したんだよね。
え?
親は焦ったと思うよ。子どもを抱えて病院へ直行したらしい。額の周辺に小さな傷が残ったけど、幸い大きな怪我ではなかった。
ところで、割ったショーケースは弁償ですか?
当時は弁償しなくてよかったらしいよ。それより子どもの怪我を心配してくれたみたい。
そういう時代だったんでしょうか、大洋デパートの方がいい人でよかったですね。
すみません、以後気をつけます…。
ところで、大洋デパート火災は100名以上がお亡くなりになったんですよね。死者の数では、今回の熊本地震より多いです。
だよね、Wikipediaにも「デパート火災としては史上最悪」と書いてあるもんね。

「一緒に生きて人生を送ってほしかった」大洋デパート火災から50年 遺族たちが慰霊碑に祈りを捧げる

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【ダイエー熊本下通店】その後の大洋デパート【複合商業施設「COCOSA」】

その後、元・大洋デパートの建物は次のような運命を辿ります。
建物のその後と解体

大洋デパートの建物は2014年5月までダイエー熊本下通店として営業していた。
1979年10月、大洋デパート跡地にユニード資本による百貨店とスーパーの複合商業施設として「熊本城屋」が開業。のちダイエーの資本参加により「城屋ダイエー」となり、1995年に「ダイエー熊本下通店」となる。しかし、建物の老朽化に伴い、2014年5月でダイエー熊本下通店はいったん閉店して南栄開発に売却され、建物は8月から解体工事が始まる。解体直前の2014年7月2日には南栄開発主催で慰霊祭が営まれた。これにより旧大洋デパートの建物は消滅した。

跡地には新たな複合商業施設「COCOSA」が建設され2017年4月27日より営業を開始した。ダイエーも再出店する予定となっていたがダイエー自体が完全なイオングループ子会社となり、その過程で九州からダイエーが全面撤退した事から同店における食品スーパー事業は同じイオングループのマックスバリュ九州(現:イオン九州)が受け持つ事となった。

出典:ja.wikipedia.org

熊本地震の直前に、建物が解体されていて良かったね。もしも、この古いビルが地震にあっていたら…。
酷いことになったかもしれないですね。
思うんだけど…大洋デパート火災の後に、消防関係のいろんな基準が厳しくなって、熊本では特にそれが守られていたって言うでしょ。ひょっとしたらこのおかげで、今回の地震で被害に合う人を少しでも減らした要因になっているかもしれない。
かもしれません。

消防関係の法令や条例の厳格さについては、今でも熊本市は全国一

 この火災の翌年には消防法も改正された。
 法律の原則に「遡及適用の禁止」というものがあることは一番最初に述べたが、1974年の消防法の改正で最も画期的だったのは、この法律の大原則に例外を定めた点であろう。公共的要素の高い旅館やホテル、デパート、病院、地下街などについては、過去に建造したものであっても現在の基準に適合させるよう義務付けたのである。
 筆者が思うに、戦後の建造物火災の頻発と、それに伴う法令強化のイタチごっこはここに至ってようやく決着をみたのだ。消防法は、近代法の大原則を踏み越えるという掟破りをあえて行うことで、戦後日本の建造物火災という黒歴史にピリオドを打った。その最後の決定打になったのが大洋デパート火災だったのである。
 消防関係の法令や条例の厳格さについては、今でも熊本市は全国一であるという。

出典:事故災害研究室
大洋デパート火災(1973年)

ちなみに…大洋デパート火災後は、いろんな都市伝説があった。
えええ…といいつつ検索すると、焼けたマネキンの写真が出てきますね
ごめん、それ、ここには引用して掲載しないでね。怖いから貼ってほしくない…。
はい。興味ある人は検索してみて(笑)。
確かにね、「城屋」時代も、あの建物のフロアには、ところどころ不気味なところがあったよ。別に霊感強くないけど、なんとなくどんよりした雰囲気?
ネットにも、霊感の強い女性が放火の犯人を霊視した話や、「城屋」オープンのチラシが心霊写真みたいだったいう話が、いろいろ見つかりますね。
え?放火なの?チラシに霊が映っていた話は有名だよね。でも、あの場所は熊本下通りの一等地だし、これからどうなるのかね。

※その後、複合商業施設「COCOSA」が2017年より営業を開始しました。

待ち合わせ場所でも有名ですよね。
熊本地震の復興とあわせて、県民がわくわくするような施設ができるといいね!
期待しましょう!

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