ナマハゲなど「来訪神」、ユネスコ無形文化遺産登録へ https://t.co/VBjAKgR6QJ
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) 2018年10月24日
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【無形文化遺産】怖っ!仮面・仮装の異形の来訪神たち
ナマハゲなど「来訪神」、ユネスコ無形文化遺産登録へ
文化庁は24日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に推薦している「男鹿のナマハゲ」(秋田県)など「来訪神(らいほうしん) 仮面・仮装の神々」について、事前審査をしていた評価機関が「登録」を勧告したと発表した。
知らないのもあるから、ちょっと一覧にしてみよう
ワクワク!
①男鹿のナマハゲ(秋田県男鹿市)
大晦日の晩、それぞれの集落の青年たちがナマハゲに扮して、「泣く子はいねがー、親の言うこど聞がね子はいねがー」「ここの家の嫁は早起きするがー」などと大声で叫びながら地域の家々を巡ります。
男鹿の人々にとってナマハゲは、怠け心を戒め、無病息災・田畑の実り・山の幸・海の幸をもたらす、年の節目にやってくる来訪神です。
ナマハゲを迎える家では、昔から伝わる作法により料理や酒を準備して丁重にもてなします。
男鹿市内の「ナマハゲ行事」は、かつて小正月に行われていましたが、現在は12月31日の大晦日に行われています。後継者不足などで、年々行う地区は減っていましたが、近年、復活の動きもみせています。
昭和53年「男鹿のナマハゲ」として重要無形民俗文化財に指定されました。
親の言うこど聞がね子はいねがー
秋田県男鹿市、「男鹿」は「おが」と読むそうです
②吉浜のスネカ(岩手県大船渡市)
出典:sanriku-ofunato.blogspot.com
吉浜のスネカ(よしはまのすねか)は、岩手県大船渡市三陸町吉浜(旧・気仙郡三陸町吉浜)で、毎年1月15日に行われる恒例行事。
始まりは江戸時代とも言われているが定かではない。男鹿のなまはげと共通点があり、鬼に似たお面をかぶった役者が各家々をまわり、怠けている者への戒めを行う。お面は北上の鬼剣舞のような立派なものではなく、イヌのような鬼のようなといった独特の顔をしており、昔は桜の木の皮などで作ったらしい。衣装はなまはげと似た格好だが、地元特産のアワビの殻が付いており、歩く度に『ガラガラ、ガラガラ』と音を立てる。これがスネカの訪問の合図となり、子供たちの恐怖心をあおる。
囲炉裏やコタツに入ってばかりいて怠けて入る者の脛に付いた火の斑を剥ぎ取ってしまう、といった意味の「脛皮たくり」が「スネカ」の語源と言われている。同様に「脛かっちゃぎ」の略との説もある。また、厄祓いも兼ねているようだ。
ナマハゲより怖いかも
③米川の水かぶり(宮城県登米市)
この行事は毎年2月の初午の日に五日町の男子によって行われる奇祭である。宿の菅原家で藁の五三(しめ)縄(なわ)を各自で作り、裸に三本巻き付け頭には藁の冠をかぶり顔に炭をぬった男たちは、一斉に宿を出て大慈寺の火伏せの神である秋葉山大権現に参拝、これで初めて神の使いに化身する。
次に山門を出て往古大慈寺のあった諏訪森の麓へ、ここでも祈願。国道346号(旧狼河原町場)に出てからは準備しているバケツの水を家々に掛けながら、火伏せを祈願して歩く。八幡神社、若草神社を参拝し二股川を越え中嶋地区や四十田地区の裏通りの家々に水を掛けながら火伏せを行う。
沿道に見学に訪れた人々は、水かぶりの男たちが身につけた藁を抜き、自分の家の屋根に上げて火伏せを祈願する。この男たちが家々を巡る前には、オカメとヒョットコの姿をした者二人が家々を回りご祝儀を頂く。
鬼のお面はないけど、やはり異様だね
④遊佐の小正月行事(山形県遊佐町)
鳥海山が日本海に接する辺りに位置する女鹿、滝ノ浦、鳥崎集落。各集落に伝わるアマハゲ、鳥追い、ホンデ焼きなどの一連の行事が「遊佐の小正月行事」として平成11年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。一見して同じように見えるアマハゲですが、面、ケンダン(蓑)、所作は、それぞれの集落によって異なります。滝ノ浦のアマハゲは、声を発してはならないとされています。
根っこは一緒なんだろうなあ
⑤能登のアマメハギ(石川県輪島市・能登町)
出典:www.hokurikushinkansen-navi.jp
あまめはぎ
囲炉裏や火鉢に長くあたっているとできる火だこ(温熱性紅斑)のことをアマメと言い、怠け者の証しとされている。これを剥ぎ取る妖怪がアマメハギである。
類似の行事は日本各地に伝わっており特に裏日本に多く、秋田県男鹿のなまはげ、山形県遊佐町のアマハゲ、福井県のあっぽっしゃなどがある。
能登地方では、正月と小正月の1月6日・14日・20日に輪島市の各地区で、節分の日に能登町で行われ、若者や子供が仮面を被って家々を回る。農閑期の終わりを前に、農民を管理していた当時の役人が農民達の怠惰を戒める為に鬼のような形相で各戸を訪問してきたことがルーツとされている。
⑥見島のカセドリ(佐賀市)
見島のカセドリ(みしまのカセドリ)は、佐賀市蓮池町の見島地区で小正月に行なわれる来訪神行事。
カセドリとは、神から使わされた雌雄のつがいのニワトリと考えられている[1]。毎年2月の第二土曜日の夜、土地の独身男性2人が藁蓑に身をつつみ、手甲、脚絆、白い足袋、笠を身につけ、カセドリに扮する。
カセドリはまず熊野神社の拝殿に走り込み、先が細かく割られた長さ1.7メートルほどの竹を床に激しく打ちつける。続いてカセドリ一行は地区内の家々を順番に訪れ、その年の家内安全や五穀豊穣などの祈願のため、同様に竹の先で家の床を打ちつけて悪霊を払う。その後、家人が酒や茶などを振る舞い、カセドリは顔を伏せたままそれに応える。このときにカセドリの顔を見ると幸せになるといわれ、家人はカセドリに顔を上げさせようと、底の深い器を接待に用いる。
このように来訪神に扮した者が家々を訪れる民俗行事は日本各地に伝わっているが、見島のカセドリは北部九州での同様の行事として、日本人の民間信仰の理解の上で貴重なものとして注目されている。また、カセドリが竹で悪霊を祓う所作は他の類例がほとんどなく、地域的特色も豊かとされて地域の人々に親しまれている。
さきほどもあったけど、お面がない系だね
カセドリが竹で悪霊を祓う所作は他の類例がほとんどないです
⑦甑島のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)
トシドンとは・・・
毎年12月31日(大晦日)の夜、家々を訪れる祝福の神様です。
下甑の各地では、トシドンは天空や高い山や岩の上から、首のない馬に乗ってくると言われています。
シュロの皮やソテツの葉などを使い、鼻の長い恐ろしい顔をしたトシドンが、3歳~8歳の子どもがいる家々を訪れ、外から「おるか、おるか、○○はおるか!来て障子を開けー!」と言って家に入ります。
子どもたちの日ごろの良いところを褒めたり、諭したり、歌を歌わすなどして、最後に年餅と呼ばれる大きな餅を与えて去っていきます。
尖った長い鼻が異様だね
しかし、子どもを脅すのではなく、褒めるそうです
⑧薩摩硫黄島のメンドン(同県三島村)
毎年旧暦の8月1日から二日間、鹿児島郡硫黄島の熊野神社に奉納される「硫黄島八朔太鼓踊り」に登場する仮面神「メンドン」。メンドンは天下御免で、その様子は南方系の特徴を残しており、手に持っているスッベン木の枝で観客を叩きます。叩かれると魔が祓われると言われています。
⑨悪石島のボゼ(同県十島村)
ボゼは、鹿児島県トカラ列島の悪石島に伝わる来訪神行事である。奇祭として知られている。
ボゼは盆の終わりに現れるとされる仮面装束で、その出現理由には諸説あるが、盆行事の幕を引くことで、人々を死霊臭の漂う盆から新たな生の世界へ蘇らせる役目を持つと指摘する研究者もいる。また、盆時期には先祖の霊とともに悪霊も現世にやって来るので、その悪霊を追い払うものとする説もある。
かつてはトカラ列島の中之島にもボゼが現れたというが、現在ではボゼ祭りの風習は悪石島にだけ伝わっている。
悪石島という島の名前もなんだか曰くありげ
地名の由来は、「島のあちこちに石があり、崖から落ちてきそうだから」や、「平家の落人が、追手が来たがらないような名を付けた」など諸説があるそうです
⑩宮古島のパーントゥ(沖縄県宮古島市)
宮古島北部・島尻集落に伝わる伝統行事で国の重要無形民俗文化財。パーントゥとは宮古島の方言で鬼神や妖怪を意味する。キャーンと呼ばれるつる草の衣装で頭から全身に泥を塗り付けたパーントゥ3匹が集落内を駆け回り、泥を塗って無病息災を祈願する。厄払いは誰彼かまわず人や新築家屋に泥を塗りつけて回るというもので、泥を塗ると悪霊を連れ去るとされている
これインパクトあるよねえ
無表情なのが怖いです・・・
【来訪神】一年に一度、鬼や異形の神に叱られる人間
らいほうしん【来訪神】
1年に1度,時を定めて異界から人間の世界に来訪して,さまざまな行為をし,人々に歓待される神々を一般に来訪神とよぶ。来訪神はいわば異人の一種であり,〈まれびと〉である。われわれは,われわれの住む世界が自己(もしくは自己の仲間たち)と異人という二元的構成をとっているとみなしており,異人に対しては畏敬の観念をもつとともにこれを厚くもてなす異人歓待の観念が発達している。来訪神の多くは人々が仮面仮装した異形の姿であらわれるが,こうした来訪神信仰は,日本のみならず未開社会と文明社会にわたる多くの社会に存在している。
出典:kotobank.jp
僕らの中の、恐怖、畏敬・・・そしてそれは感謝とか謙虚さにもつながる?
人間よ、奢るな!
みたいな
勇気を出せとか、もっと頑張れと、とかく言われがちだけど・・・怖がって、分相応で生きていくこともひとつの知恵かもね
自然体でのんびり生きていこうよ、という結論に達する僕であった