【昭和・平成・令和】熊本・上通りを見つめ続ける、カッパの目~金龍堂まるぶんのカッパ像の由来

熊本ぼちぼち新聞
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まるぶんの、あのカッパ像。
僕が子どもの頃からあるからね。
上通りの本屋さんの前にある、あるカッパ像ですか?
名前:くま(♂)
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金龍堂まるぶんのカッパ像の由来

ちょっと、まるぶんのカッパ像の由来について調べてよ。
え~と(検索中)・・・、あ、すぐありましたよ。金龍堂まるぶんのホームページから引用します。
上通りにカッパがやってきた

金龍堂まるぶん顧問 樋口 欣一

 熊本市上通五丁目に新しい店舗を作るとき、店構えについてずいぶん考えた。建ぺい率の関係でどこかに空き地を作らなければならない。それを店先に取ったのは大きな冒険だった。なにせ当時でも坪百万円もするところを解放するのだから。しかし私には読みがあった。

 人の流れをいかにして抑止するか。それにはまず店舗を注視させる必要がある。一書店でもプラザとかスクエアが作れるのではないかという確信だ。舞台装置については専門家とディスカッションを重ねた。熊本の水―噴水、城下町―長堀を模したショーウインド、森の都―緑の壁面という、郷土の持つイメージを生かした構想ができあがってきたが、噴水のモニュメントをどうするのか、でハタと行き詰った。芸大の先生の描かれたデッサンは抽象的で親しみがなく、「考える人」ではあまりにもそれらしい。

 もう開店まで二十日もなくなったとき、博多のデパートでフランスの古美術品即売展が開かれるというので妻と出かけた。噴水のモニュメントにはどれも帯に短く、たすきに長く、デパートを出て、ふと街中で見かけた美術品店に車をとめて中に入ると、異様な河童の像が私の目をとらえて離さなかった。まったく偶然の出会いである。そしてよく注意して見ると、外を通る人がほとんど例外なく河童像を眺め、子供は「あ、カッパだ!」と声を上げ、指さして親に話しかけていく。「これだ」と思い、妻の顔を見ると、笑ってうなずいた。

 店員に買いたいと申し出たら、「売り物ではありません」。売らぬとなるとますます欲しくなる。その店の本社まで車を飛ばして、作者にすぐ了解を取ってもらいたいとお願いした。一週間後、高岡市在住の作者、米治一氏から譲ってよいとの封書を受取ったときには、大いに安堵するとともに新しい宿題を背負い込むこととなった。一体、河童と書店との関係とは。芥川龍之介の「河童」がすぐ頭に浮かぶが。

 これはお客様の勝手なご解釈に任せることとした。河童におさい銭を上げたり、しばしたたずんで河童の顔を眺めたりと結構、楽しい市井の空間となった。昭和四十五年一月のことだ。

 この年のベストセラーは、塩月弥栄子「冠婚葬祭入門」、曽野綾子「誰のために愛するか」、石原慎太郎「スパルタ教育」。そして三島由紀夫事件が起きた年だ。

熊本日々新聞 2009/05/15掲載

出典:www.kinryudo.co.jp

へー。なるほど・・・そうだったのか。米治一氏って有名なのかしら?
え~と(検索中)・・・。
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米治一氏の作品はAmazonや楽天にも売っていた!

米治一(こめじいち)さんか。
米治一(こめじいち)さんは・・・。
米 治一(Jiichi Kome)工芸家, 彫刻家

1896 ( 明治29 )~ 1985 ( 昭和60 )

【出身地・師系】
富山県高岡出身 東京美術学校彫塑科卒 師、高村光雲

【略歴・作風など】
富山県工業学校彫刻科を卒業後、東京美術学校彫塑科ついで同校研究科で高村光雲に師事。
美術学校終了後は郷里高岡に戻り高岡銅器や銅像の研鑽を深め秀作を次々に秀作を発表、1924年には秩父宮殿下立山御登山の際には「子英仙人噴水器」を献上、その翌年の摂政宮殿下(天皇陛下)北陸行幸の際には「伏姫」、「大石良雄像」、「菅公」の三点の展覧および「菅公」を買上の栄誉を受けている。
戦後は48年に高岡美術作家連盟委員長に就任し53年には高岡市民功労者表彰、65年には高岡文化財審議委員に就任、68年富山県功労者表彰、71年勲五等雙光旭日賞受賞など高岡銅器の発展と文化財保護に尽力を示した。
作品では主に銅器・ブロンズの彫刻を得意とし人物、動物、孔雀などの鑑賞作品を残しているが1943年の第5回新文展では陶器製の象亀置物を製作し出品・入選している。
そのほか皇居二重橋桁の龍唐草及び照明台、皇居新宮殿屋上瑞鳥の制作に従事。

出典:meikan-web.com

富山県出身の彫刻家さんかあ。へー。
米治一さんの作品は、今もAmazonや楽天で売っているようです。
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よく見ると、カッパ像のところに作者の言葉も彫ってあった

河童像

作意

カッパそのものを一つの人間として把らえ
悪から善へと導こうとしている姿
つまり過去の悪夢悪態を禅によって心身共に清めかつ善導仏心となる真の心を現わそうとしたものである

作者
米 治一

この前、カッパ像を眺めていたら、作者の言葉が彫ってあるのに気づいたよ。
へー。これはどういう意味でしょうか?
・・・なんかよくわからんけど、哲学的?宗教的?
人間の世の中の善悪について、カッパが瞑想して考えてくれてるんじゃない?
瞑想するカッパですか?
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熊本・上通りを見つめ続ける、カッパの目

1970年(昭和45年)だから、僕が生まれた頃だよ。
ずっと熊本の上通りで、繁華街を行きかう人間たちを眺めてきたんですね。
そうだね。無垢な子どもの頃の僕から、思春期の不埒な妄想に支配され本屋で物色する僕まで・・・カッパにはお見通しだったのかもな(笑)。
昔、まるぶんでいかがわしい本を買ったことがあるんじゃないですか?(笑)
いかがわしい本から、高尚な本まで、いろいろ買ったよ。全部カッパは知ってるのか・・・(笑)。
ですね(笑)。
昭和・平成、そして令和。これからも熊本の繁華街を哲学的に眺め続けるカッパであった!

上通りを歩く。必ず、まるぶんにちょっと寄る。(2019年撮影)

ハロウィン仮装のカッパ。(2017年撮影)

熊本地震の後、リニューアルしたまるぶん。カッパ像は屋内になりました。(2016年撮影)
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