「【幕末の思想家】横井小楠(しょうなん)の遺髪が埋葬された『小楠公園』(熊本市東区沼山津)のヘンテコ遊具で遊ぶ」くまとR子の子育て日記(509日目)

公園(熊本)
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『小楠公園』(熊本市東区沼山津)も熊本地震で結構やられてたんだよねー。
場所も、熊本市東区と益城町の境、震源地に近い場所だもんね。
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2021年、くま(51歳)とR子(45歳)の子育て日記です。
第一子むーちゃん(♀)は7歳、そして、第二子たろー(♂)は4歳になります。
高齢出産、高齢子育て・・・引き続き、が、頑張ります。
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幕末の思想家・横井小楠(しょうなん)の遺髪が埋葬された『小楠公園』(熊本市東区沼山津)に遊びに行ってきました。
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【幕末の思想家】横井小楠(よこいしょうなん)の遺髪が埋葬された小楠公園

「よこいこぐす」って、熊本の偉人のひとりというくらいしか知らないんだよね。幕末に活躍した人なんでしょ。
「こぐす」じゃなくて、横井小楠(よこいしょうなん)! 恥ずかしい。ホントに知らないのね(苦笑)。
だれだれー?
だれだれー?

横井小楠(よこいしょうなん)は、熊本生まれの幕末の思想家で、坂本龍馬(さかもとりょうま)や吉田松陰(よしだしょういん)とも交流のあった人物です。明治2年(1869年)、京都で刺客に襲われて暗殺され、京都の南禅寺天授庵(なんぜんじてんじゅあん)に墓があり手厚く葬られていますが、遺髪が熊本の地に持ち帰られ、現在の小楠公園に埋葬されています。この遺髪に関しては、暗殺のとき刺客が小楠の首を取り持ち帰ろうとしたのを警護の者が取り返し、遺髪を門人の岩倉俊貞(いわくらとしさだ)が熊本に持ち帰ったという逸話があります。静かなこの公園には裃姿に刀を携えた横井小楠の銅像もあり、毎年2月15日には墓前祭も行われています。

出典:kumamoto-guide.jp

小楠公園からクルマで約5分の場所には、「横井小楠記念館・四時軒(しじけん)」もあるそうです。そのうち行きます。

「遺髪墓」です。京都で暗殺され、その遺髪が故郷に戻ってここの公園に祀られてるようです。

徳富蘇峰が植樹したという「銀杏の木」です。

「横井小楠像」と「頌徳碑(しょうとくひ)」が並んでいます。※頌徳碑は天草から持ってきた石だそうです。運ぶの大変そう…。

こらこら、登るなって!

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【もう少し詳しく】横井小楠(よこいしょうなん)とは…?

出典:ja.wikipedia.org

横井 小楠(よこい しょうなん)は、日本の武士(熊本藩士)、儒学者。横井 時存(よこい ときひろ/ときあり)とも呼ばれる。
熊本藩において藩政改革を試みるが、反対派による攻撃により失敗。その後、福井藩の松平春嶽に招かれ政治顧問となり、幕政改革や公武合体の推進などにおいて活躍する。明治維新後に新政府に参与として出仕するが暗殺された。

出典:ja.wikipedia.org

なんだよ。熊本出身の横井小楠だけど、後の偉人を熊本は追い出してるじゃん。熊本の役人、見る目ねーなあ(苦笑)。
ただかなり個性的な方だったみたいね。
横井小楠の思想

彼の魅力はたくさんありますが、まず第一に江戸時代の封建社会のさなかに、共和制が理想政治だと公言したところです。現代の我々から見ても、これほど斬新的な政治思想はないと思います。また、彼は富国策でも独特の考えをもっていました。
越前藩にいたころ、彼はいままでどこの藩でもやったことのないまったく新しい事業に取り組みました。というのは、貿易をすることによって得る利益は、当然藩のものだと考えるのが普通の考えでしたが、しかし、これを民の利益とし、民を富ませることを目的とした事業をしようとしていました。
富国とは藩の財政が豊かになることではなくて、領民を豊かにするのが先決である。領民が豊かになれば自ずと藩も豊かになるはずだということを、繰り返し繰り返し説いていました。新しい技術の導入や技術指導なども藩政府が一切負担し、利益は民という原則をつらぬく、藩の利益は外国貿易から得ればいい、とにかく民を富ませる事が先決という考えでした。小楠は、「利政」と「仁政」の違いを藩士全部にわかってもらいたかったのでした。この考えは、彼の「国是三論」(富国論、強兵論、士道論)の中の富国論に基づくものでした。

横井小楠の人物像

横井小楠という人間の評価は、棺の蓋を閉めてもなお決まる事無く、もしかしたら彼が本当に理解されるようになったのは、死後百年以上もたってからではないでしょうか。
勝海舟は、「おれは今までに天下で恐ろしい者を二人見た。横井小楠と西郷隆盛だ。横井は自分で仕事をする人ではないが、横井の思想を西郷の手で行われたら幕府なんぞもはやこれまでと思ったよ。」
しかし、たいていの人は小楠をとりとめのないことを言う人だとしか思っていません。明治維新の初めに大久保利通ですら、「新政府に小楠を招いたが案外な人物だった」といいます。
海舟は、「小楠という人物は、とても尋常の物差しでは分かるめぇ」とも言いました。だから死後にそしられたり誉められたり、けなされたりするのは当然のことでした。しかし、それは小楠にとってはどうでもいいことであったでしょう。

※横井小楠」著者(熊本日日新聞情報センター発行)老人保険施設「孔子の里」施設長  山下 卓氏の文章より抜粋

出典:kumamoto.guide

勝海舟に、「おれは今までに天下で恐ろしい者を二人見た。横井小楠と西郷隆盛だ。」と言わしめるほどの考え方の持ち主だったなんて、きっと凄い人だったのであろう。今度、近くの「横井小楠記念館・四時軒(しじけん)」にも行って勉強しよう。
そのうち行こうかね。
どーでもいいから、こうえんではやくあそぶぞ!
はやくあそぶぞ!



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【熊本市東区】ヘンテコ遊具、ブランコ、鉄棒もあります!『小楠公園』(熊本市東区沼山津)で遊ぶ

『小楠公園』(熊本市東区沼山津)は、県道28号熊本高森線沿い、場所は熊本市方面から益城町方面へ、高速道路と交差する手前だね。ちゃんと駐車場もあるぞ。
駐車場に何台かクルマとまってるけど、公園は誰もいなくて静かね(笑)。
たーちゃん、おいでー。ヘンテコゆうぐがあったぞー。
ねーねー、まってー!

県道28号熊本高森線沿い、ちゃんと駐車場もある公園です。

ちょっと古いトイレです。

なんの変哲もない普通のブランコです。

シンプルな鉄棒がちゃんと置いてある公園は実は貴重なのです(探すと意外と鉄棒のない公園も多い)。

そして、奇特な賢人・横井小楠を象徴するかのような謎のヘンテコ遊具。これって登って遊べはいいのでしょうか? 

小楠公園も2016年熊本地震の被害を受けました。ほぼ復活してますが、周辺はまだ整備中(※写真は2021年5月現在)のようです。

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