【追悼:白土三平】『忍者武芸帳』『カムイ伝』…白土三平のマンガを読みなおしたい!【劇画・忍者マンガの巨匠】

サブカル
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享年89歳か…天寿を全うされたと言ってよかろう。
劇画『カムイ伝』などで有名な白土三平先生がお亡くなりになりました。
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【訃報】白土三平氏 岡本鉄二氏 ご逝去

ご兄弟で一緒に仕事をされていたのか。
白土三平さんと4日違い、相次いでお亡くなりになったようです。
「カムイ伝」「サスケ」白土三平さん89歳で死去…作画手がけた弟も4日後に

2021/10/27 06:14

 壮大で思索的な歴史ドラマ「カムイ伝」などで知られる漫画家の白土三平(しらと・さんぺい、本名・岡本登=おかもと・のぼる)さんが8日、 誤嚥 性肺炎のため死去した。89歳だった。告別式は近親者で済ませた。

(中略※後述)

 また、白土さんの弟で、多くの作品で作画を手掛けた岡本鉄二(おかもと・てつじ)さんが、12日、間質性肺炎のため、死去した。88歳だった。

出典:www.yomiuri.co.jp

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【プロフィール】白土三平のマンガは60年代末学生運動で挫折感を抱える大学生にも幅広く読まれたという【劇画・忍者マンガの巨匠】

出典:mainichi.jp

矢口高雄『釣りキチ三平』の主人公の名前「三平三平(みひら さんぺい)」、姓の三平は大毎オリオンズの三平晴樹から、名の三平は漫画家の白土三平から取ったという。マンガ家からもリスペクトされるマンガ家だったということだな。

出典:ja.wikipedia.org

『釣りキチ三平』の矢口高雄先生も大御所ですよね。

※ちなみに、矢口高雄先生は2020年に81歳でお亡くなりになっています。

※訃報記事より抜粋
 プロレタリア美術の論客だった洋画家、岡本唐貴の長男として東京に生まれた。紙芝居の制作を経て、1957年、貸本用の単行本「こがらし剣士」でデビュー。「甲賀武芸帳」を経て、戦国大名らの支配層に地侍や農民らが一揆を起こす「忍者武芸帳 影丸伝」は、思想誌「思想の科学」などで評価された。60年代末には、学生運動で挫折感を抱える大学生にも幅広く読まれた。

 少年漫画誌でも「サスケ」などで活躍。64年からは、「月刊漫画ガロ」で、差別的な江戸時代の身分制度を背景に、忍者や農民、武士らが時代にあらがう「カムイ伝」を連載。漫画表現の可能性を広げた同作はライフワークとなり、掲載誌を変え2000年まで連載された。1963年「シートン動物記」「サスケ」で講談社児童まんが賞。千葉県の漁村に住み、アウトドアライフのエッセーも執筆した。

出典:www.yomiuri.co.jp

白土三平のお父さんは有名な左翼活動家でもあったらしい。当然その影響もあるんだろうなあ。
白土三平先生の作品は、1960年代末に学生運動で挫折感を抱える大学生にも幅広く読まれたそうです。

カムイ伝「あのシーンがすべて」 白土三平さん明かす

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【代表作】『忍者武芸帳』『カムイ伝』…白土三平のマンガを読みなおしたい!

出典:www.asahi.com

僕も『カムイ伝』は若い時に読んだ。大学生だか社会人になりたての頃だから1990年前後、その頃に読んでも衝撃だったよなあ。
時代を超えて訴えてくるものがあるということですね。
しかし、『カムイ伝』はちゃんと読んだことあるけど、外伝や第2部は読んでないかも。あらためて読み直してみたい。てゆーか、『忍者武芸帳』をちゃんと読みたいと今思ってる。
え~と(検索中)、では、白土三平先生の代表作を以下リストアップしておきます。ほとんどが電子書籍でも読めるみたいですよ!

出典:www.yomiuri.co.jp

一代の怪物、影丸。彼を中心に強烈な個性を持つさまざまな人間たちが入り乱れ、運命に翻弄されながらも信念をつらぬいていく。因縁の糸が絡み合う大河歴史コミック

のびのびと明るい少年忍者・サスケの成長を通して生命の尊さを描いた、巨匠・白土三平の若き日の名作。特に、スピード感溢れる忍者たちの戦いぶりは日本中の少年たちを熱狂させ、現在も多くのファンを魅了している。

「カムイ」とは主人公である忍者、およびサブストーリーとして語られる狼の名前である。主にカムイ(非人)、正助(農民)、竜之進(武士)という三者三様の若者を中心に物語は展開されてゆくが、非人のカムイは物語の進展にともない傍観者的になり、農民の正助が物語の中心になっていく。

大自然を生きる動物たちを描いたシートンの名作を、白土三平がリアルタッチで劇画化。高い評価を得た、正確な動物描写の傑作。

抜け忍・カムイと追忍との、様々な秘術を尽くした死闘を描く連作集。

第二部においては岡本鉄二が一貫して作画を行なっており、作画者としてもクレジットされている。なお、「カムイ伝 第二部』は連載中に完結しておらず、単行本(二種)も最後まで収録されないまま続刊の発行を中止。2006年発行の単行本『カムイ伝全集[第二部]』第12巻に初めて連載分の最後まで全てが収録され、さらにラストの5枚が追加され完結となった。

戦争に行ったまま帰らぬ夫をずっと待ちつづけた一人の女性の戦後悲話「泣き原」をはじめ、全3編を収録した、白土三平の異色作品集。

マンガ界の生きる神話・白土三平のほぼ唯一の本格評伝。『忍者武芸帳』『サスケ』の大ヒットで一躍時代の寵児となったマンガ家が、左翼画家の父のもとで戦時下に受けた過酷な体験から戦後の紙芝居時代、貸本時代を経て、自由な表現をもとめて月刊『ガロ』を創刊。『カムイ伝』で激動の時代を刻印し、やがて房総の小さな漁師町で『カムイ伝第二部』を描きつぐまで。孤高の作家の創作の秘密、ベールに包まれた私生活と思想の原点を描ききった、渾身の書。単行本刊行後、構想中の『カムイ伝第三部』に言及した一節を新たに収録した増補決定版。図版、著者近影も掲載。

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【差別と闘う】白土三平のマンガって左翼が読むマンガなの?

出典:k.mandarake.co.jp

小学校の同級生に、両親とも教師をやってる奴がいてね。その両親の部屋に立派な本棚があって、なんか難しそうな本の中に、この白土三平の『カムイ伝』全巻が並んでいたことをよく覚えている。
1960年代の共闘世代のご両親なんでしょうか。
学生運動をやっていたかどうかはしらないが、年代的にはそうだよね。それが怖そうな教育ママでね(笑)。自分の子どもたちにはスパルタ教育ママ、学校では恐怖の女教師、学校の外ではたぶん日教組とかの活動を積極的にやっていたんじゃないかしら。
かなり憶測入ってませんか?(苦笑)
いやホント、そんな感じのお母さんだったんだって。子ども心に、そこの家庭に生まれないでよかったと思ってたもん(笑)。だから、白土三平、カムイ伝、って聞くとあそこの家庭を思い出す(笑)。
いい思い出だか、なんだかわからないですね(苦笑)。
ま、ともかく、白土三平のマンガ、劇画には、根底になんかそういうのがあるんだろうね。
左翼的な思想ですか?
決して『カムイ伝』が特定の思想のプロパガンダだとは思わないけど、その根底には世の中の不条理に対する怒りがある。しかし、それがエンターテインメントとして、または芸術作品として昇華されているから、誰が読んでも感動するんだと思うよ。
決して説教じみてる訳でも、教条的でもないってことですよね。
ちゃんとした娯楽作品、エンターテインメントの中に、ま、そういうプロテストの魂も宿っているのでしょう。
ご本人が亡くなられても、その思想はこれからも残っていきそうですね。

出典:mediag.bunka.go.jp

※ウィキペディアより生い立ち
1932年、東京府の豊多摩郡(後の東京市杉並区)に出生。幼少時は画家をしていた父の活動により神戸や大阪の朝鮮人部落のそばなどを転々とする。

1938年春、大阪から東京に戻る。1944年、私立練真中学校(旧制)に入学。直後に戦争が激化したため、長野県小県郡中塩田村(現上田市の八木沢駅付近)に一家で疎開し、旧制長野県上田中学校(現長野県上田高等学校)に通う。この旧制中学にいた白土牛之助という軍人の苗字が、後にペンネームの由来となる。特高警察の拷問の後遺症で脊椎カリエスを病んでいた父に代わり、山仕事や力仕事で家計を支える。1年ほど塩田で過ごした後、真田へ引越しさらにその後、西塩田に引越した。

1946年、東京に戻る。白土の弟・真は近くの被差別部落(東京都練馬区)に住んでいた荻原栄吉(後の部落解放同盟練馬支部長)と同級生で仲がよく、真は荻原の家業を手伝ったりもしたため、荻原は「『カムイ伝』など白土三平の漫画には練馬での体験が影響しているのかと思うことがある」と述べている。

出典:ja.wikipedia.org

出典:mediag.bunka.go.jp

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