名前:くま(♂)
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1969年から2019年までの50年間を振り返るこの企画 ―――。
今の時代につながる萌芽(ほうが)を探すよ。
風船おじさんは今も夢の中を飛ぶ~バック・トゥ・1992
出典:bunshun.jp
●風船おじさん行方不明事件 (1992年11月)
ピアノ調律師の鈴木嘉和が琵琶湖畔から自作のゴンドラ風船に乗って出発し、2日後に消息が途絶える。無謀な“冒険”に乗り出した動機は諸説あるが、「島根県・琴ヶ浜の鳴き砂(踏むと音が鳴る砂)の保護を世の中に訴えるため」というのが有力。帰還を待っていた夫人は2017年に世を去った。
出典:www.news-postseven.com
当時はバカなオッサンとしか思わなかったけど・・・。
いくらなんでも無謀ですよ・・・。もう少し詳しく見てみましょう。
「風船おじさん」こと鈴木はそれ以前より、風船を使った“空中散歩”を繰り返していた。1989年の横浜博覧会では、来場者を乗せて飛行も行なっている。風船によるアメリカ行きの発想は、同志社大学の工学部教授だった三輪茂雄の申し出から生まれた。三輪は、日本の美しい海岸にある「鳴き砂」の保存を提唱しており、それをアメリカの人たちにも訴えるため、風船でメッセージを届ければ効果があるだろうと考え、鈴木に話を持ちかけたのだ。これに乗り気となった鈴木は、鳴き砂のある島根県仁摩町(現・大田市)の仁摩サンドミュージアムを出発し、米ネバダ州リノに着陸するという計画を立てた。そのために運輸省やアメリカの航空局に飛行の申請をしたものの、なかなか許可は下りなかった。
23日の琵琶湖畔での飛行は実験の予定で、午前から三輪教授や報道関係者が集まるなか行なわれていた。だが、鈴木はその日2度目の実験飛行にのぞもうとしていた午後4時20分頃、突然「行ってきます」と言って、自ら係留ロープを外す。「どこへ?」と三輪が訊くと、「アメリカですよ!」と答え、重り代わりの沖縄焼酎200本分を地上に投げ落とすと、そのまま上昇したという(関川夏央『人間晩年図巻 1990-94年』岩波書店)。ファンタジー号には、48時間分の酸素ボンベ、1週間分の食料のほか、各種の計器、携帯電話、毛布、パラシュート、撮影機材などが積みこまれ、また成層圏の低温対策として、鈴木はあらかじめ魚の冷凍庫で試した防寒具に身を包み、準備は万端のはずだった。
離陸後も鈴木は携帯電話で何度か東京の自宅と連絡をとっており、翌朝6時すぎには、朝焼けに感動して「きれいだよー、見せたいよー」と夫人に伝えてきたという。しかし飛行3日目の25日午前、ファンタジー号からSOS信号を受けた第三管区海上保安本部の哨戒機により、宮城県金華山沖の東800キロ、高度2500メートルで確認されたのを最後に消息を絶った。
出典:bunshun.jp
この記事は割と好意的な解釈だね。ウィキペディアやニコニコ百科で見ると、彼の破天荒さ、計画性のなさが記述されている。いろんな事業に手を出して失敗し、あちこちでトラブルも起こして、借金だらけ・・・。金に困ってイチかバチかの冒険に出たとも言われている。
出典:ja.wikipedia.org、dic.nicovideo.jp
このおじさん、52歳だったらしいけど・・・僕もその年齢に近づいて親近感みたいなものを感じる。
この人は性格や行動に難があったかもしれないけど、同時に夢も持っていた人だと思う。たぶん周りの人を喜ばせようという気持ちも沢山持ってたと思う。結果的に、迷惑も沢山かけてきたのだろうけど・・・。
日本って失敗を許さない社会でしょ。最近なんて特に、タレント、有名人の失敗に厳しい厳しい。そこまで責めなくてもいいじゃんと思う。とにかく迷惑かけちゃダメ。ダメダメダメ。
一人でも迷惑かけちゃダメですよ。それにタレントさんは影響力がありますからね。仕方ないのでは・・・?
だけど・・・失敗してもまた挑戦できる世の中になってほしいなあ。風船おじさんも、無意識のうち、窮屈な日本と戦ったドン・キホーテだったんじゃない? てゆーか、きっとまだ戦ってるかも? 夢の中を飛んでいるんじゃないかなあ。
奇しくもこの年・・・宮崎駿監督の『紅の豚』が28億円、『ドラえもん のび太と雲の王国』が16.8億円のヒットだった。みんな空を飛びたくなるような時代の空気だったのかもね。
私がオバサンになっても~遥か平成4年への旅
出典:bunshun.jp
私がオバさんになっても
泳ぎに連れてくの?
派手な水着はとてもムリよ
若い子には負けるわ
「私がオバさんになっても」(1992年)
僕らの世代が昔を振り返るとき、この歌ほど象徴的な歌はない。
森高千里さんはくまちゃんとは同じ年、しかも同郷ですしね(笑)。
しかも、高校のクラスメートには、森高千里と中学時代に同じクラスだったやつ何人もいたし(自慢)。
間接的に森高さんと友達って言いたいんですね(苦笑)。
この歌が流行っていたときは、50歳になっている自分なんて、これっぽっちも想像できなかたもんね。将来のことなんて全く考えていなかった(自慢)。
かつて森高は「私がオバさんになっても」(1992年)で、オバさんになったらミニスカートは無理だと歌った。しかし、49歳となっていた昨年5月、デビュー30周年のファイナル企画でコンサートを行なったときも、20代と変わらない堂々のミニスカート姿でシングル全45曲を歌い切った。そもそも彼女の歌で、人がオバさんやオジさんと呼ばれる原因は、ルックスの変化より、むしろ態度や物言いにある場合が多い。先述の「臭いものにはフタをしろ!!」でも、主人公の女の子は、相手の男が自分の考えや趣味を押しつけてくることにこそ「おじさんと呼ぶわよ」と反発していた。
出典:bunshun.jp
でも、「私がオバさんになっても」といいながら、あっという間に、僕らはオジサンオバサンになってしまった。あとは、いわゆるオジサンオバサンの態度や物言いに自分がならないよう、かつ、柔軟過ぎて年齢不詳のイタい人にならないよう、バランスをとって老いていきたいものよのう・・・。
痛々しい若作りなど、気をつけたいですよね(苦笑)。
50歳になった森高千里。同級生です。しかも、僕とは(間接的に)クラスメートです!
出典:bunshun.jp
なお、平松愛理「部屋とYシャツと私」がヒットしたのもこの年。今にして思えば、「部屋とYシャツと私」の女性像は古びていった印象? 僕的には「部屋とYシャツと私」の女性も好きだけどなあ・・・。
ロマンスグレーになって 冒険の人生
突然選びたくなったら
最初に相談してね 私はあなたとなら どこでも大丈夫
「部屋とYシャツと私」(1992年)
【自分史】適当に決めていた会社に就職することをやめて、夢を追うフリーターへ・・・
出典:www.tbs.co.jp
サザンオールスターズ「涙のキッス」が主題歌、TBSドラマ『ずっとあなたが好きだった』がヒットしたのもこの年。そこから「冬彦さん」という流行語が誕生した・・・冬彦さんブームってやつだね。
マザコンの象徴、冬彦さん。ちょっと男らしくない態度をとるとすぐ冬彦扱いしやがって・・・。
当時の女性全般だよ! しかし、この時代の自分って、ほんと無計画だった思う。自戒をこめて、当時の心持ちを思い出してみよう。
大学3年までに単位をほとんど取ってあとは卒論のみだった。割と目の前のことには計画的だったが、将来に対しては全く無計画という。何故だろう。なんとかなるって思ってたんだろうなあ・・・。
たしか、大学4年になってから、仕方なく活動を始めてたような気がする。本来なら大学入ってすぐから方向性くらいは決めておくべきだろうが、自分の気持ちが定まらないまま、広告代理店とか面接に行ったなあ。出版・マスコミ関係がいいかなとは思っていたんだよね。サザンオールスターズの事務所アミューズの資料も取り寄せたけど、どうせダメだろうなと最初から諦めたり・・・。まあ、基本ミーハーだったんだね。
1つか2つ、会社の面接とテスト受けてダメで、それでもうやる気無くなった。同時に、勧誘されていた先物取引の会社があったから、そこでいいやと夏前に決めちゃったんだよね。
さらに・・・卒業間際になって、こんな興味もない会社で働くために東京の大学に来たんじゃないと思って、そこの内定断って、翌年からいわゆるフリーターになった。当時は今ほどフリーターは悪く言われていなかったと思う。
その頃は怖いものなし。なんとかなるって思ってた。まあ、長い目でみれば、なんとかなっていると言えなくもないが・・・。
まあ、きちんんとした会社に入ることだけが人生じゃないですからね。
最後に・・・1992年(平成4年)をざっと振り返ろう。3月サッカー日本代表監督に、初の外国人監督オランダのハンス・オフト就任。東海道新幹線「のぞみ」が運転開始。4月太陽神戸三井銀行、さくら銀行に社名変更。フランスにヨーロッパ初のユーロディズニーランド(現名称:ディズニーランド パリ)が開園。ロック歌手の尾崎豊が肺水腫のため26歳で死去。5月細川護煕前熊本県知事が中心となり日本新党結成。7月バルセロナオリンピック開幕。9月明石家さんまと大竹しのぶが離婚。10月大相撲の貴花田と女優の宮沢りえが婚約会見。11月ビル・クリントン、米大統領選挙に当選。そうそう・・・この年、サッカーがそろそろ流行し始めてたんだよね。
出典:ja.wikipedia.org
そう! いよいよ翌年1993年はJリーグ開幕。そして、ドーハの悲劇だよ。
そして、大学を卒業したくまちゃんのフリーター生活が始まります(苦笑)。