【追悼】当時50代(1980年代)の小林亜星氏、相当な肥満も21世紀の世界をみたくて必死に減量したという!【徹子の部屋】

サブカル
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※上のモノクロ写真(&この記事のサムネイル画像)はかなり若い頃の写真かと思われます。

「徹子の部屋」(2021年6月15日放送)の追悼特集みたぞ。
つい最近、お亡くなりになった小林亜星先生の特集ですね。
名前:くま(♂)
プロフィール:高齢子育て中、飲酒は週末のみ
特技:奥さんをフォローすること(嘘)
名前:カエル(♂)
プロフィール:ゆとり世代(さとり世代)、独身、潔癖症
特技:インターネット超高速検索
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【訃報】小林亜星(享年88歳)氏、心不全のため東京都内の病院で死去

正直、あんな太っていて、ここまでお元気で長生きされるとは! まさに天寿を全うされたといってもよかろう。
享年88歳でした。


 「北の宿から」などで知られる作曲家で、ドラマ「寺内貫太郎一家」の主演でも親しまれた小林亜星(こばやし・あせい)さんが5月30日、心不全のため東京都内の病院で死去した。所属事務所などが14日、明らかにした。88歳。東京都出身。葬儀は近親者で行った。
 アニメ「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」などの主題歌を手掛けたほか、幼児番組で使われた「ピンポンパン体操」がヒット。「どこまでも行こう」「日立の樹(この木なんの木)」など数千曲ともいわれるCMソングを作曲、親しまれた。
 都はるみさんが歌った「北の宿から」で1976年に日本レコード大賞を受賞した。

出典:www.nishinippon.co.jp

歌謡曲から、子どもの歌、そして、アニメソング、僕らの心に深く残る曲がたくさんあるよね。僕なんてまさに「ピンポンパン体操」、「日立の樹(この木なんの木)」世代だぞ。
コマーシャル・ソングも数多く制作されました。

気鋭の作曲家として活躍されていた若いころ。まだ髪も長かったみたいです。

出典:brutus.jp



↓これ、あんまりピンとこないけど、聴けば思い出すかな?

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【徹子の部屋その1】奥方様の手料理が素晴らしすぎて…

出典:www.tv-asahi.co.jp

妻のアイディア料理で体重がマイナス7kgに!
これまで8000曲を作った作曲家の大御所、小林亜星さんと妻の早苗さん。ドラマ「寺内貫太郎一家」でお馴染みのように、全盛期の亜星さんの体重は113kg。それが今や90kgに。これは85歳になった亜星さんの体を気遣った妻の早苗さんが、塩分控えめ野菜中心のダイエット料理を作ってくれるようになったため。そんな小林家の食卓の映像も公開。また、夫妻共通の趣味は世界旅行。色々な国での写真を見ながら、面白エピソードを語ってくれる。

出典:www.tv-asahi.co.jp

…という訳で、当然のごとく「徹子の部屋」で追悼特集がくまれたので、見たぞ。
割と、昔から風貌は変わっていない印象です。
そうだね。しかし、若い頃は、相当暴飲暴食されていたはず。
そんなイメージもありますよね。
あんだけ太っていて、でも、88歳まで生きて天寿を全うするなんて、僕ら太った中年男性の希望だよね(笑)。でも、その一因はきっと奥さんの手料理に違いない。「徹子の部屋」で自宅での映像も流れていたけど、楽器やオーディオ類に囲まれた自室で、ピアノの弾き語りをする小林亜星、一方、立派な台所で料理人顔負けの、しかしご主人のカラダをいたわった、めっちゃ美味しそうな料理を準備する奥方が紹介されていた。素晴らしい夫婦だと思うぞ。
羨ましそうですね(笑)。
やっぱり食事は大切だよねえ。うちの奥さんももっと料理にこだわってくれないかなあ。
愚痴らないでください(苦笑)。
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【徹子の部屋その2】当時50代(1980年代)の小林亜星氏、相当な肥満も21世紀の世界をみたくて必死に減量したという!

「徹子の部屋」の追悼特集ではまず、1980年代前半、50代の小林亜星氏が登場した。そして、一番印象的だったのは、一時は相当な肥満だったけど、あと10数年先にせまった21世紀をどうしても生きて自分の目で見たいがために、減量したり食事に気を遣ったりするようになったという発言。
へー。
1980年代当時、小林亜星氏に限らずみんなが、目前に迫った1999年、そして21世紀に対して、いろんな憧れ、思い、それに恐怖をもっていたよね。
恐怖は、1999年のノストラダムスの大予言じゃないですか?(笑)
まあね(笑)。今、僕もちょうど50歳を超え、当時の小林亜星と同じくらいなんだよねえ。彼ほど太ってはいないけど、僕もやはり若い時分はかなり暴飲暴食だった。やっぱり健康に気をつかって、少なくともあと20年は生きて、世の中の行く末をみたいと思うもんね。2050年くらいまではこの目でみたいよなあ。
まだ小さいお子さんの成長も見届けたいですよね。
そうそう。でも、あの体格の小林亜星がこんな長生きするのを見るとちょっと安心。ただ逆に、太ってもいないし、精力的なイメージだった西城秀樹が早く亡くなったのを考えると、やっぱり人それぞれだね。
小林亜星さん、西城秀樹さん、お二人はいろんなご縁があったみたいですね。
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【ドラマとアニメで共演】小林亜星(享年88歳)氏と西城秀樹(2018年5月16日没、享年63歳)氏の巡りあわせ

出典:jisin.jp

小林亜星といえば、音楽家であると同時に俳優としても、ドラマ「寺内貫太郎一家」での怪演が有名だよね。僕は子どもだったから、そんなに見てなかったけど、そこで西城秀樹との交流が始まった。
西城秀樹(2018年5月16日没、享年63歳)さんは、小林亜星(享年88歳)先生に先立つこと3年前にお亡くなりになりました。
小林亜星さん“最後のアニソン”に西城秀樹さんを選んだ理由

「貫太郎のモデルは、脚本を務めた向田邦子さん(享年51)のお父さん。大柄だったそうで、プロデューサーの久世光彦さん(享年70)は適役を探していたそうです。なかなか見つからないなか、音楽の仕事でTBSを出入りしていた小林さんのもとにオファーが舞い込んだといいます。小林さんは『演技は苦手』と話していたそうですが、平均視聴率は31.3%を記録。シリーズ化され、舞台での上演もありました」(TBS関係者)

そこで小林さんは、歌手の西城秀樹さん(享年63)と共演することに。貫太郎役の小林さんと、その長男である周平役のヒデキさん。実はこの出会い、運命的なものだったようだ。

「当時のヒデキさんは超売れっ子。しかし連続ドラマに出演する余裕がほとんどないにも関わらず、熱心にリハーサルに打ち込んでいたそうです。さらに取っ組み合いをするシーンで、小林さんはヒデキさんに大ケガをさせてしまったことが。それでもヒデキさんは大らかな対応をしたそうです。ドラマを通じて小林さんは彼の人柄にいたく感銘を受けたといい、プライベートで食事に行くこともあったといいます」(前出・TBS関係者)

さらに、小林さんは音楽家としてのヒデキさんもリスペクトしていたようだ。ヒデキさんが亡くなった際、小林さんは産経新聞にこうコメントを寄せていた。
「歌い手として素晴らしい人だった事は勿論ですが、彼はミュージシャンとしても特別な凄味を持ったトップアーティストだったと思います」

2人が共に音楽家として、初めてタッグを組んだのがアニメ『ターンエーガンダム』(フジテレビ系)のオープニングテーマ『ターンAターン』だ。小林さんが作曲し、ヒデキさんが歌い手として参加した同曲。リリースされたのは99年5月で、『寺内寛太郎一家』の初回放送から25年もの時を数えていた。そして小林さんはこの曲を最後に、アニメソングから引退している。

「小林さんは『ガッチャマンの歌』や『まんが日本昔ばなし』のエンディングテーマ『にんげんっていいな』など数々のアニメソングを手がけてきましたが、『ターンエーガンダム』のオファーがあった際に“これで最後”と決心。そして、『どうしても最後、ヒデキに歌ってもらう曲を作りたい』と考えたそうです。

小林さんは、かねてから“歌手・西城秀樹”の技量や音楽の知識を評価していました。『アイドル扱いされるのはもったいない』と語っていたほどなんです。そこで『寺内寛太郎一家』の舞台で共演した際、自ら直談判。ヒデキさんもその熱意に押され、ガンダム作品を観てからレコーディングに臨む気合いの入れようだったといいます」(制作関係者)

小林さんはその出来栄えに、“カンゲキ”したという。

「“難しい歌を難しく思わせないように歌うのがプロ”と小林さんは考えていました。『ターンAターン』はまさに難曲。ですが、ヒデキさんは小林さんのイメージ通りに歌い上げました。その甲斐あり、『自分のアニメソングで一番の出来。もう悔いはない』と小林さんは豪語。同曲は2人にとって最初にして最後の共演曲でもあり、小林さんの作曲家人生の中でも特に思い入れの強いものとなったそうです。

18年5月にヒデキさんが亡くなった後、小林さんは『惜しい人を亡くした』と話していました。そしてヒデキさんとの思い出を語り出すと、止まらないこともしばしばあったそうです」(スポーツ紙記者)

ヒデキさんの訃報から早3年。小林さんは天国で、久々の再会を喜んでいることだろう。

出典:jisin.jp

アニメファンの僕らには、『∀ガンダム』の主題歌「ターンAターン」で、再び、小林亜星と西城秀樹がタッグを組んだことが非常に嬉しかった。「ターンAターン」もいい曲だし、『∀ガンダム』もとてもいい作品。ガンダムの中でも、ファーストの次に好きなガンダムだよ。
この作品が、小林亜星先生最後のアニメソングとなりました。


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【小林亜星氏のアニメソング】『ガッチャマン』、『花の子ルンルン』、『ゴワッパー5 ゴーダム』、好きな曲は多いが、やっぱり『ボルテスV』が一番…かな?

出典:『科学忍者隊ガッチャマン』タツノコプロ

最後はやっぱりアニメソングの話題。ホント数多くの思い出深い曲、好きな曲がある。僕らの世代にとって、まさにソウル・ミュージックだよね。
ウィキペディアの一覧を見ても、知っているアニメばっかりですよね。

出典:ja.wikipedia.org

『科学忍者隊ガッチャマン』の「ガッチャマンの歌(子門真人)」、『花の子ルンルン』の「花の子ルンルン(堀江美都子)」、『ゴワッパー5 ゴーダム』 の「行くぞ! ゴーダム(水木一郎)」…でもやっぱり僕が一番好きなのは、『超電磁マシーン ボルテスV』の「ボルテスVのうた(堀江美都子)」 かな。あれは名曲だ。ロボットアニメを女性歌手が歌う元祖かも? あの曲のおかげで、堀江美都子はフィリピンで国賓扱いだったという逸話も本当らしい。
『ボルテスV』はフィリピンで凄い人気らしいですよね。その堀江美都子さん、水木一郎さんらも、小林亜星先生の訃報に、ツイッターで哀悼の意を呟かれていらっしゃいます…。

Micchi – Voltes V no Uta 2003

出典:『超電磁マシーン ボルテスV』 東映

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