あのボブ・ディランが魅了されたという一冊だよ
更新しました! 『浅草博徒一代 アウトローが見た日本の闇 』この一冊がボブ・ディランの魂を揺さぶった(のかもしれない) 文庫解説 by 菅野ヘッケル – HONZ https://t.co/rUJOvG4ylo
— HONZ (@honz_jp) 2016年12月9日
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ウォールストリートジャーナル紙「ボブ・ディランはドクター佐賀の文章を借用したのか?」2003年7月7日付
※ディラン盗作問題について、文庫版解説より
2003年7月7日付のウォールストリートジャーナル紙に「ボブ・ディランはドクター佐賀の文章を借用したのか?」という見出しの記事が掲載され、本書のことを初めて知った。
(中略)
新聞記事の内容を簡単に紹介すると、九州在住の熱心なディラン・ファンであるアメリカ人英語教師クリス・ジョンソンが、佐賀純一著『浅草博徒一代』の英語版『Confessions of a Yakuza』を読んだところ、ディランのニューアルバム『ラヴ・アンド・セフト』の歌詞とおなじことばが数多く出てくることに気づいた。ディランのアルバムは2001年9月11日(アメリカで同時多発テロが起こった日)発売であるのに対し、佐賀純一の本の英語版は1995年に出版されている。つまり、ディランはこの本からことばを借用して歌詞を書いたと思われる。この問題に対して、佐賀純一はディランが本を読んで彼の書いた文章を歌に使ったことを名誉に思っているので、裁判に訴える気はないとコメントした、といった内容だった。このニュースは日本でもスポーツ新聞などが大きく取り上げ、全世界のディラン・ファンのあいだで、はたしてディランの行為は盗作にあたるのか否かの議論がわき起こった。結局、佐賀純一が問題にしなかったことが強く影響したのだろう、主要メディアや何人かのディラン研究者の意見を総合すると、たしかにディランは佐賀純一の著作からことばを借用したと思われるが、それは古くからおこなわれてきた創作活動の手段のひとつであり、盗作には当てはまらない、という論評が大半を占め、盗作疑惑に一応の決着がついた。
出典:『浅草博徒一代』佐賀純一 文庫版解説(音楽評論家菅野ヘッケル氏)、honz.jp
『浅草博徒一代』のあらすじ
本書は1906年に宇都宮に生まれ、明治末期、大正、昭和にわたって生きたある一人のやくざが語ったはなしをまとめたもの。伊地知栄治が語ったエピソードをテープに記録し、のちに巧みな構成の元に詳細にいたるまで忠実に書き起こした筆者佐賀純一の努力に敬服するしかない。じつにおもしろい。
伊地知栄治は15歳で悪縁に染まり、中学四年の頃、叔父が営む東京深川の石炭屋に預けられる。上京した栄治は、やがてバクチの世界で生きるようになった。木場、浅草といったいわゆる東京の下町を中心とする界隈で暮らした伊地知栄治の人生は、まっとうな世間に生きるわれわれの想像をはるかに超えている。19歳で初めて巣鴨の刑務所に、さらに殺人の罪で前橋、網走などでも獄中生活を送った伊地知だが、なぜか憎めない人物に感じてしまう。ある部分、共感できることさえある。それぞれの世界で自信たっぷりに生きる男と女たちがいた大正、戦前の昭和という時代にあこがれを抱く人もいるだろう。なお、伊地知栄治は1979年他界した。
出典:『浅草博徒一代』佐賀純一 文庫版解説(音楽評論家菅野ヘッケル氏)、honz.jp
生活の中心に、川があるんだよね、隅田川、江戸川、中川、小名木川、油堀川、音無川、利根川・・・
そして、移動は徒歩、船、人力車?永代橋、扇橋・・・みんな橋を渡って生活している
この時代は今と違って、夜の町をウロチョロしている人はいなかったんだって
だから、夜までバクチをやっている人や、本当に夜悪さをしている人は、このもうろう船に使ったんだって
物語に出てくる女たちにまつわる言葉も、裁判長の妾(めかけ)に始まって、遊郭(ゆうかく)、掛(か)け茶屋、女郎屋(じょろうや)、商売女、遊女(ゆうじょ)、夜鷹(よたか)・・・と情緒ある単語が並ぶよ
魅力的な登場人物、例えば・・・お勢さんはまるで峰不二子
お勢とお駒という女は惚れぼれするような別嬪、なんとも文句のつけようのないほどいい女なんです。ことにお勢という姉のほうは、美人の上に頭がいい。男の気をそらさない機微というものを心得ている。男を引き寄せておいて、頃合を見てすっと逃げる。逃げながらまた糸を引く。その間合がなんとも恐ろしくうまい。
出典:『浅草博徒一代』佐賀純一
そして、それが原因で、ほう助罪ということで、主人公伊地知栄治は網走刑務所に入るんだから
魅力的な登場人物、例えば・・・老占い師、松田先生
その中の一人、松田先生っていう、50歳過ぎて占い師なった人がいてね・・・
易者というものは・・・
「わしは真面目に生きていたんだ。それが突然、罪人になった。無実を主張しても、ついに通らない。竹馬の友と心を許していたものにまで、背を向けられた。それで、人間の力では及ばないものがある、ということを悟った。易を勉強し始めたのは、その時からだな」
(中略)
「つまり簡単にいえば、易者というものは、天の意をある種の方法によって知るわけだ。天の意は普通の人間には分からない。易者にも直接には見えないし、言葉で聞くわけでもない。つまりそれを、ある種の道具、筮竹とか八卦によって知るわけだ。その道具の使い方は難しいから説明はしないが、占うと道具にいろいろ変化が出る。その変化を易者は読むわけだ。 星占いや人相、手相などというものは、それなりの知識がある人間が見れば、ほとんど同じ回答が出る。ところが、易はそうはいかない。人間の知識が及ばないところを読むのだから、神の領域に入る。そこに入るためには頭も心も空っぽにならなければだめだな。そうすると、その空っぽのなかに正しい易が現れる。その現れたものは筮竹・八卦というような道具に出てくるのだから、一般の人間にはなんのことか分からない。一つの象徴的な印だな。その印の意味するところを、易者は人間の言葉に翻訳する。しかし、それが誰にでもできるかというと、勿論そうではないな。わたしでも駄目だ。本当のところには到達していない」出典:『浅草博徒一代』佐賀純一
占いって、いろんな条件がそろったときに当たるんだよ
占う方と占われる方、両方のね
他にも、満州での絞首刑に立ち会っていた男の話で、人が死ぬまで必ず12分30秒くらいかかるっていう話とかね
バクチの本質
博徒、やくざは、現在の暴力団とはまったく違う
映画だの小説だのには、博徒同士がやたらと喧嘩をやったり殺し合いをやったりしてますが、あんなのは作り事ですよ。博徒とかやくざというのは、現在のような暴力団とはまったく違うんです。サイコロを振ってお客を遊ばせて食べて行くのが商売ですから、滅多なことでは喧嘩をしたりはしません。肌の合わない親分同士もいることはいますがね、気に入らないからといって殺し合いをしていたら、それこそ警察ににらまれて客が寄りつかなくなります。 世の中は十人十色ですから、気に入らなければつき合わなければいいだけで、つまらないことで刀を抜くのは馬鹿か気違いです。わたしらは警察が怖いんではありませんよ。ただ、喧嘩をすればどっちにしても人気が落ちるのは避けられない。喧嘩には勝ったが、賭場に閑古鳥が鳴いた、というんではどうにもなりませんでしょう。だから普通の人間よりはわたしらのほうが、余程我慢がいいというところもあるんです。
出典:『浅草博徒一代』佐賀純一
僕も若い頃は、かなりギャンブルで損したからね・・・トホホ
今はせいぜいtotoだけ
ところで客を一目見れば、その人がどの程度の人間かはだいたい見当がつきますが、札の扱いを見れば、これは間違いなく分かります。だいたいにおいて、金がないものは勝負をしても駄目なもんです。勝とうという焦りがありますから、場が見えない。どっちにしたらいいか迷って、見えないままに賭ける。こうなると駄目だということは、相撲を考えればよく分かりましょう。焦ったり迷ったりしていると、体が固くなって動きがとれない。だから力を出す前に勝負に負けている、そんな土俵をよく見るものですが、あれとおんなじで、迷っているものは手が出ても足が出ない。足は出ても気が先に行くから結局は負けるわけです。
(中略)
バクチで金を儲けようなんて思って来るものはいましょうが、それは馬鹿というものです。バクチに金を賭けるということは、わたしに言わせれば擂鉢に金の延べ棒を入れてゴリゴリと擂るようなもんで、だんだん小さくなって、しまいには失くなっちまう。ちょうどこんな具合に、金は全部擂鉢、つまり胴元のところに吸われるように出来ているんですから、こんなところで金を儲けようと思うことが、はじめから間違っている。ところがそれでも客は来るんですから、バクチ場というものはどうにも恐ろしいところであったといえるでしょう。出典:『浅草博徒一代』佐賀純一
胴元のあるギャンブルは結局、最後には胴元のところにお金が集まるようなシステムなんだから
最後に、ボブ・ディランの盗作騒動を受けて、佐賀純一氏の言葉を引用して締めくくろう、素晴らしい!
※抜粋
BBCテレビのインタビュアーにこう答えた。「ここにカボチャがある。誰もが忘れてしまったカボチャだ。ところが、ある日、女神がやって来て、魔法の杖で触ったら、黄金の馬車になってしまった。黄金の馬車はシンデレラを乗せてみんなの驚きをよそに宮殿へと急ぐんだ。そんな時、カボチャはこう言って抗議するだろうか。『女神さん、君はカボチャである僕を勝手に魔法の杖で触って、金の馬車に変えてしまった。こんなことは我慢できない。僕は断固として、君の不正な行為を神々に訴えるつもりだ』 私にとってこのカボチャは特別なものだった。しかし日本ではすっかり忘れられて見向きもされなくなっていた。それがボブ・ディランの魔法の杖で変身して、みんながびっくりするような曲に生まれ変わったら、それは奇跡だ。ほんとにたまげている」
(中略)
伊地知栄治氏と出会ってから二十年以上の歳月が流れた。彼と過ごした炬燵の日々の記憶が消えかけようとした時、ボブ・ディランという偉大な歌手が新しい命を吹き入れてくれたことを、私は心から感謝している。なぜこのような不思議が起きたのか、分からない。恐らく「伊地知栄治のはなし」には、民族や文化の違いを越えて共感を呼ぶ魂が宿っているのだろう。だから私にはこの新装版が、ボブ・ディランからの密かな贈り物のように思えてならないのだ。
平成十六年五月吉日佐賀純一出典:『浅草博徒一代』佐賀純一 文庫版あとがき