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中年ひきこもりがいなければ、京アニ事件は防げたのか? ~戸塚ヨットスクール校長が「中年引きこもり問題」にもの申す!
「40年前、私がマスコミに叩かれたとき、世間が教育についてもう少し考えてくれていれば、日本はここまでひどくならなかったと思いますよ。ひきこもりが多いと話題の40代、50代なんて、あの時、私が治してあげられなかった世代じゃないですか」
「中年のひきこもり問題について、社会性がないからだのなんだのと言われますが、そもそも人間性あっての社会性。正しい教育によって人間性が培われていないのに、社会性を身につけさせるなんて無理です」
「リベラルな教育、ほめて伸ばす教育が正しいとされてしまっていますが、ほめて子供が伸びるわけないじゃないですか。学校の先生も文科省や教育委員会から“子供たちのほめるべきところを見つけましょう。叱ってはいけません”と指導されていますが、こんな教育で、人として必要な能力や人間性が身につくわけがありません。叱ったり、体罰を加えたりして不快感を与えることが必要で、子供に不快感を与えない教育は間違っています。子供が自分の力で不快感を取り除く過程で、進歩する能力が身につくんです」
「うちの教育の基本は大和魂。これは心身一如、精神が肉体を動かすという考えに基づく科学的な進化論です。かつて登校拒否児たちを預かっていたときも、大和魂で教えたからこそ、彼らを治すことができました。それなのにマスコミは私たちを潰した。“力による教育はイカン”と唱える連中が、力でもって私たちを潰したのです」
【昭和事件簿】戸塚ヨットスクール事件とは・・・?
※公式ホームページより
Q1 戸塚ヨットスクールは今でもやっているのですか?
もちろんやっています。マスコミは報道しませんが…。Q2 どんなことをしているのですか?
従来通りです。大自然の中で「基礎精神力を養う」トレーニングを行っています。
戸塚ヨットスクール
愛知県知多郡美浜町にあるウインドサーフィンの訓練をする全寮制の施設。定員10名で、入所期間は1年。費用は税込みで入校金315万円、毎月の生活費11万円。登校拒否、無気力、非行、家庭内暴力などの問題を抱える生徒を今までに700人以上受け入れ、約600人を更生させてきたということで有名だが、学校教育法上の学校ではない。スクールは1976年に戸塚宏によって開校された。戸塚宏は1940年生まれ、名古屋大学工学部在学中はヨット部の主将として活躍した。75年に沖縄海洋博記念「太平洋-沖縄・単独横断レース」で堀江謙一らを破って優勝し注目される。翌年子どもたちにヨットを教える日曜・休日スクールとして、現在地に戸塚ヨットスクールを開いたが、偶然参加した登校拒否児がその後登校するようになったことが報道されると、同じような問題を抱えた子どもに悩む全国の親からの依頼が殺到し、現在の位置が決定した。81年に東京新聞に連載されたドキュメント(後に『スパルタの海』として単行本刊行)をもとにした映画『スパルタの海』(監督・西河克巳、主演・伊東四朗)も83年には制作されたが、公開直前に戸塚宏が後述する事件により逮捕され、お蔵入りとなった。
スクールの訓練の厳しさから79年には13歳の少年が病死、80年には21歳の青年が死亡。82年11月には奄美大島の合宿からの帰途のフェリー船から15歳の少年2名が逃亡のため海に飛び込み行方不明。同年12月には13歳の少年が死亡した。このため83年愛知県警は戸塚宏とコーチのほぼ全員を逮捕し、名古屋地検は最初の病死事件以外を傷害致死罪、監禁致死罪で関係者15名を起訴した。このためスクールは一時閉鎖に追い込まれたが、86年戸塚宏が3年ぶりに保釈されて再開。87年には「戸塚ヨットスクールを支援する会」が石原慎太郎を会長として発足した。92年名古屋地裁は、戸塚宏に懲役3年執行猶予3年などの「寛大判決」(『読売新聞』見出し)を下すが、検察側、弁護側が共に控訴。97年名古屋高裁は戸塚宏に懲役6年、コーチ3人にも実刑判決を下し、弁護側が上告した。2002年最高裁は上告を棄却し、戸塚宏とコーチ3人が収監され、ヨットスクールは残ったコーチで活動を続けた。06年4月、戸塚宏は満期出所し校長の活動に復帰している。同06年10月にはうつ病で通院中の男性の訓練生が行方不明となり海で水死体として発見され、09年10月には女性の訓練生が寮の3階から飛び降りて死亡するという事件も起きたが、警察は後件は自殺と断定し、前件も犯罪性がない自殺もしくは事故として処理した。
戸塚宏は、青少年の問題行動は脳幹の機能低下により引き起こされるのだから、海上の訓練で生死の恐怖を与えることで、本能的な脳幹機能を回復することが必要であり、体罰も教育として必要という独特な教育論を持説としているが、判決後の現在は、ヨットスクールでは体罰は行われていないという。
(秋津あらた ライター / 2009年)出典:kotobank.jp
厳しさ、とは?
【公式発表】
湘南、曹監督が指揮・指導を控えると発表…Jリーグがパワハラ疑惑を調査https://t.co/qccCVZDU9z■編集部より
「#湘南ベルマーレ は曹貴裁監督のパワーハラスメント疑惑をJリーグと調査。同監督は13日の練習から調査終了までの間、現場での指導及び指揮を控えることになります」 pic.twitter.com/to6DyysHtR— サッカーキング (@SoccerKingJP) August 13, 2019
Q17 体罰はあるのですか?
使いたいのですがなかなか使えません。
もっとも体罰は早く直すのための補助手段にすぎませんから、使わなくても成果はでます。Q18 子どもに体罰は必要ですか?
良いも悪いもありません。
体罰無しで本当の教育やしつけができるなら、まずやって見せて下さい。
戸塚ヨットスクール事件が起きてから19年が経ちました。当時、「体罰は何が何でも絶対ダメ」と言っていた教育評論家達は、教育荒廃を克服するためにいったいどんな方策を打ち出したのですか。
また、戸塚ヨットを散々に罵倒した精神科医達は、登校拒否問題をどう解決したというのでしょう。
事は日本の存亡に関わる問題だというのに、皆さん、ちょっと不真面目なんじゃあないですか。
体罰について「進歩を目的とした有形力の行使。体罰と暴力は違う」と主張する戸塚氏。「暴力は自分の利益のためにやるが、体罰は教育のためにやるんであって、自分には何の利益もない。しかもマスコミに叩かれて損失が起こるだけ。目的が違うものを一緒にするやつがあるか。今、マスコミがやっている議論には”体罰は悪”という大前提があって、それに沿った話ばかりしている。だから体罰の定義もできていないし、善悪を知らないから自分たちが善のつもりになっておかしなことになっている」と説明する。
過去には教育現場での体罰は珍しいことではなく、ネット上には「教師に殴られたが恨んでいない。色々と教えられた」「泣きながら殴ってきた先生がいたが、心配してくれていることが嬉しかった」「竹刀で打たれた後『なぜ叩かれるのか?』を自覚させられ2度と同じ過ちを犯さなくなった」といった声も多い。「私も体罰世代だから、小学校の頃はよく殴られた。やられたけど先生に”ありがとうございます”と言えた。心の底から。おかげで自分が進歩したという実感がある。だから今度もこれを使って進歩できるなあと思う」(戸塚氏)。
出典:blogos.com
【平成、そして令和はどうなる?】暴力に対し、夜回り先生、乙武洋匡氏の反論
他方、”夜回り先生”の愛称でも親しまれている元高校教員で教育家の水谷修氏は、こうした声について「そういう感想を持てる子たちは殴られなくても良い子になっていたと思う」とした上で、「例えばタバコを吸ってはいけない場所で喫煙している人に”やめなさい”と言って殴ったら、これは暴行で、怪我をさせれば傷害だ。それが、どういうわけか家庭だったら、妻から夫、夫から妻ならばDVとか呼ばれ、親から子どもならば虐待と呼ばれ、学校で先生が生徒にやったら体罰と呼ばれる。この背景には、かつての”夫は妻より偉い”とか、”子どもよりも親は偉くて支配するものだ”といった傲慢な思想がある。体罰なんていう言葉を残したのが問題であって、そもそも全てが暴行だ。けがをさせれば傷害だし、殺せば殺人になる。ただそれだけのこと。体罰と暴力に線引きなんてないし、愛があろうがなかろうが、人様を殴ったら暴力だ。それが基本的人権の考え方だ」と反論する。
「私は25歳から教員をやって、日本で一番荒れていると言われていた夜間中学にも12年いた。めちゃくちゃな学校だったが、一回も子ども怒鳴ったり声を荒げたこともないし、当然叩いたこともない。それでも教育成果が上がらないわけではない。子どもたちに寄り添って”もう1回大人を信じてみよう。過去は過去。明日は作れるからもう1回、一緒に夢見てみようよ”、これが教育。怒られるから叩かれるから言うことを聞くという、恐怖で支配するなんてのは教育じゃないし、そういう人間しか作らないよと。身体に覚えさせることではなくて、心と頭に分からせることが教育なんじゃないかと。確かに時間はかかる。でも、学校で体罰をしてはいけない。子どものそばに寄り添えばいい。子どもと共に泣き、共に笑い、共に明日を語り合ったり、それができれば変わる」。
出典:blogos.com
元東京都教育委員で、公立小学校の教員経験もある乙武洋匡氏は「私も水谷先生と考えが一緒だ。大人だから正しくて、子どもだから間違っている、年上だからものが分かっていて、年下だからものが分かっていないということは、全てに当てはまるわけではない。ますます価値観が多様化している時代の中で、自分の価値観には合わないから、自分が間違っていると思うから、という中で体罰を行使されては、子どもはたまったものではないし、価値観が食い違う時に暴力で解決してしまおうという価値観を育ててしまうことになるのではないかという気がする。私の知り合いで飲食業のご実家に生まれたお子さんが、アレルギーのために家業を継げなくなってしまった。ところがお父様が昔気質の方で、アレルギーというものを科学的に理解できず、嫌だから逃げたんだと今でもおっしゃっている。そういう昔の価値観のまま、殴って気合いいれて言うこと聞かせようとしても解決しない問題がある。そういうところに一方的で前時代的な価値観の思考で子どもと対峙するのは控えるべきだ」とコメントしていた。
出典:blogos.com
戸塚ヨットスクールを支援する会会長・石原慎太郎氏の見解
出典:東京ビッグトーク 石原知事「体罰は一種の刷り込みで不可欠」※YouTubeより
戸塚ヨットスクールは、その厳しい教育訓練のあり方、死亡事故の発生、歪曲された報道などのため、これまで様々な誤解と中傷に曝されて参りました。
しかしながら、同スクールが「大自然との闘いで精神を鍛える」という方法により五百余名の情緒障害児(登校拒否、非行、家庭内暴力、無気力など)を更生させ、心身の本当の健康状態を回復させることにも成功した事実には、教育と医学の両分野における画期的意義を見出すことができます。また、この事実を冷静に評価し分析する所から出発しなければ、戸塚ヨットスクール事件の真実も明らかにならないでしょう。
戸塚宏校長とコーチ達が3年余に及ぶ不当な弾圧をはねかえしてきたのも、同スクールの成果が、教育荒廃という名の文明病に病む日本にとって、かけがえのない価値を持つものであることを確信していたからに違いありません。
そうした認識に立つ時、「戸塚ヨットスクールを支援する会」は2つの目的を果たす必要があると思います。ひとつは、戸塚ヨットスクールの現実の運営を文字通り援助し、その存在基盤を確固たるものにすることです。よリ具体的には、入校生の紹介や成人スクール(健康増進のための短期合宿)への参加斡旋、寄付などです。
もうひとつの目的は、戸塚ヨットスクールがこれまで培ってきた間題児矯正の教育ノウハウに学び、そこから教育荒廃克服の道を切り拓いていくことにあります。
「戸塚ヨットスクール事件」が起きて以来すでに18年の歳月が流れていますが、当時も今も教育荒廃は何ひとつ改善されずにいます。鳴り物入りで発足した臨教審さえも教育荒廃の本質に迫った提言を成しえぬまま解散してしまった今、私達自身の手で真の教育改革を成し遂げることは、2l世紀に対する私達の責務であると信じます。
味覚の世界に「塩」というものがなかったなら、料理が味気なくなってしまうように、自己の深化を志向するある種のストイシズムを欠いた人生に人間の本当の喜びはないでしよう。これこそが今の教育に欠けているものです。そして、戸塚ヨットスクールが教えてれたものは、この「精神の塩」の価値にほからないのだと思います。
私は、この“支援する会”に呼応し、「我々の手で教育改革を!」という真摯の叫びが、日本全国で澎湃(ほうはい)として湧き上がって来んことを願ってやみません。
現在の戸塚ジュニアヨットスクール、幼児教育に力を入れているそうです
「日本は潰れます。もう立て直すこともできませんから、うちではこう言っています。“日本が潰れた後に盛り返していける人材を育てよう”。だからいま、うちのスクールでは幼児教育が中心です。日本の教育が失敗している原因は3~8歳、幼稚園から小学校低学年の子供たちの教育がきちんとできていないところにあるからです。昔と違って、中学、高校からうちで預かっても手遅れ。ない袖は振れない。進歩する能力が備わっていない人間を教えても、意味がありません」