大袈裟(おおげさ)なことをいって、子供(こども)をビックリさせようとする、いいかげんな大人(おとな)。
好奇心旺盛(こうきしんおうせい)で、かしこい女(おんな)の子(こ)。
※「好奇心旺盛(こうきしんおうせい)」とは、なんでもみたい、いろんなことをしりたい、とおもうことです。
【UMA(なぞのいきもの)】熊本(くまもと)の川(かわ)にもカッパがいるの?
※オシリの穴(あな)のことを、熊本弁(くまもとべん)で「じごんす」と言(い)います。昔(むかし)の大人(おとな)は、カッパから「じごんす、とらるっぞ」と言(い)って、子供(こども)たちを怖(こわ)がらせました。
※白川(しらかわ)や緑川(みどりかわ)は熊本(くまもと)の代表的(だいひょうてき)な河川(かせん)です。昔(むかし)の子供(こども)は、白川(しらかわ)や緑川(みどりかわ)で泳(およ)いでいました。川(かわ)の事故(じこ)もそれなりにありました・・・。
※ウソです。
※あくまで熊本(くまもと)の伝説(でんせつ)です。カッパの由来(ゆらい)については、全国(ぜんこく)に諸説(しょせつ)あります。
【くまもとの伝説(でんせつ)】カッパは中国(ちゅうごく)から、熊本(くまもと)の八代(やつしろ)にやってきて、日本全国(にほんぜんこく)に広(ひろ)がったそうです
カッパ渡来の碑
球磨川の支流、前川河口に近い前川橋のほとりにあります。この碑文によれば、仁徳天皇の頃中国から九千匹の河童が揚子江を下り黄海を経て八代に上陸したといわれています。
カッパといえば、水木(みずき)しげる先生(せんせい)の「河童(かっぱ)の三平(さんぺい)」です。※1988/6/1発売(はつばい)
関連エントリー→「【300段】階段を駆け上がれ!加藤清正公ゆかりの本妙寺(ほんみょうじ・熊本市西区花園)」くまとR子の子育て日記(399日目)
九千坊(きゅうせんぼう)と清正公
昔、中国にすむカッパたちが、一番大きくて力が強い九千坊をリーダーに、球磨川にやってきた。その数は九千匹。球磨川はとても水がきれいで住みよく、カッパたちは大はしゃぎ。畑を荒らしたり、馬を川に引き込んだりした。
困り果てた村人は、殿様の加藤清正公にカッパ退治を訴え出た。清正公は、カッパが苦手とする猿を集め、「カッパをこらしめろ」と命令して退治させた。カッパはほうほうの体で筑後川に逃げ出したという。
その後、カッパは水難よけの神さまの使いになったと伝えられている。
【カッパの特徴(とくちょう)】カッパの好きなもの、キライなもの
※ウィキペディアより抜粋
河童にまつわる民話や伝承には、「悪戯好きだがひどい悪さはしない」とか「土木工事を手伝った」とか、「河童を助けた人間に魚を贈った」「薬の製法を教えた」といった友好、義理堅さを伝えるものも多く伝わる。一方で、水辺を通りかかったり泳いだりしている人を水中に引き込み、おぼれさせたり、尻子玉/尻小玉(しりこだま)※を抜いて殺したりするといった悪事を働く描写も多い。
※尻子玉とは人間の肛門内にあると想像された架空の臓器相撲が大好きで、よく子供を相撲に誘い、相撲に負けた子供の尻子玉を抜くという伝承もある。
好物はキュウリ、魚、果物。鉄、鹿の角、猿を嫌う。
日本古来(にほんこらい)の妖怪河童(かっぱようかい)が大集結(だいしゅうけつ)。 ※2017/6/26発売(はつばい)
【恐怖(きょうふ)】カッパにお尻(しり)の玉(たま)を取(と)られるぞ~!
みなまたの民話「毛ぬきカッパ」
昔、古里村ん下ば流れとる川は、六月の梅雨どきなると大雨んたんびにあふれて周りの田畑ば荒らし、村人たちに難儀ばかけとった。これじゃいかんちゅうこっで、村の石工どんが、
「川の荒れんごつ、堰ば造ろうじゃなかな」と言い出した。(この堰は今でいうダムの役目を果たすもの)村ん人たちもみんな協力して造るこてなった。
この石工どんながまだし者で、雨の日も風の日も一日も休まず、時にゃ三日三晩一睡もせず工事ば続けるこつもあった。しばらく経ったある晩のこつ、石工どんがあんまりがまだし過ぎて急に高い熱ばうっ出し、そんまま寝こんでしもうた。
どんくらい眠ったろうか、寝とったら足の脛のあたりがチクチクするもんじゃっで、石工どんが足ば思いきって動かしてみた。とこるが、何かぬるぬるしたもんにふれたもんじゃっで、うったまがって飛び起きてみると、何とカッパが脛ン毛ばひっかん抜いで、毛の先ついとる肉ばしゃぶっとるじゃなかな。慌てて逃げていくカッパの姿ば石工どんなはっきり見らったげなたい。
昔からカッパは人間のじごんすから手ば突っ込んで、腹わたば引き出して食うち言われとったが、こんカッパはお人好し、いやカッパ好きで気のこまんかったじゃろ。人間ば殺すような悪かこたせず、足の毛ば抜くぐらいが関の山じゃったげな。石工どんな、ハハァ俺が堰ば造っとに川ば浚ゆるもんじゃっで、カッパ奴が俺に悪さばしょっとばいと気づいたので、熱が下がってからカッパが好物の胡瓜ば工事場に供えてことわけば言うたげな。それからこっち、石工どんの家にやピタッと来んごてなり、堰の工事もさし障りなく順調に進み、立派な堰が出来上がり、そん後は災害も少のうなって村には平和が続いたそうじゃ。
今でんその石工どんが築いた堰は残っており、村の田畑ば守ってくれとったい。
(注) じごんす……尻の穴
水俣市史「民族・人物編」より
カッパ伝説(でんせつ)が残(のこ)る人吉(ひとよし)球磨(くま)地方(ちほう)では、観光イベント「カッパ捜索(そうさく)」などが開催(かいさい)されました。楽(たの)しそうですね。※2014年の熊本日日新聞より
出典:newspark.jp
地方自治体(ちほうじちたい)初(はつ)のプラモデルとして発売(はつばい)した妖怪(ようかい)プラモデル。『河童(かっぱ)のガジロウ』です。※2018/5/30発売(はつばい)