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映画『人情紙風船』(山中貞雄監督・1937年)は、山下達郎氏生涯のベスト・オブ・ベストだという・・・
Q51 おすすめの戦前の日本映画は?
「山中貞雄の『人情紙風船』。これは人生の1本ですね。この映画が作られた昭和12年に赤紙が来て、13年に中国戦線で赤痢で死んじゃうんです。もし生きていたら、小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男らと並ぶ大監督になったでしょうね」
【夭逝の天才監督】山中貞雄監督について
出典:www.smt.jp
山中貞雄(やまなか・さだお)
1909年京都生まれ。甥に『緋牡丹博徒』の加藤泰監督を持つ。学校の先輩・マキノ正博を頼ってマキノプロダクションに入社。その後、嵐寛寿郎プロに移り、脚本作品『鬼神の血煙』が映画化される。そして、22歳のとき、長谷川伸の『源太時雨』を自ら脚本化した『磯の源太抱寝の長脇差』(1932)で監督デビューを果たす。1933年、日活京都撮影所に移籍。また、三村伸太郎、八尋不二、藤井滋司、滝澤英輔、稲垣浩、土肥正幹(鈴木桃作)、荻原遼とともに鳴滝組を結成。ペンネームを「梶原金八」とした。『國定忠次』『丹下左膳餘話百萬両の壺』『街の入墨者』『河内山宗俊』『森の石松』などを監督し、1937年PCL(のちの東宝)へ入社するため東京へ移る。『人情紙風船』完成後、中国戦線に向かう。戦地で友人の小津安二郎と会うが、急性腸炎を発病し、1938年9月17日28歳の若さで生涯を終えた。
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【日本映画の傑作】映画『人情紙風船』(山中貞雄監督・1937年)とは
『人情紙風船』(にんじょうかみふうせん)は、1937年(昭和12年)に公開された山中貞雄監督の日本映画。日中戦争で戦病死した山中の遺作である。
江戸の貧乏長屋で浪人の首吊りが発生、役人が調べに来る。長屋の住人である髪結いの新三は、長屋の連中で浪人の為にお通夜をしてやろうと言い、大家を説き伏せて酒をせしめる。お通夜が行われるが、長屋の連中は酒がただで飲めると喜び陽気な馬鹿騒ぎを行う。
同じ長屋にいる浪人の海野又十郎は、父の知人の毛利三左衛門に仕官の口を頼みに行くが、邪険に扱われ相手にしてもらえない。その毛利三左衛門は質屋である白子屋の店主の愛娘お駒をさる高家の武士の嫁にしようと画策している。しかし当のお駒は番頭の忠七とできている。
新三は自分で賭場を開いていたが、ヤクザの大親分弥太五郎源七の怒りを買い散々な目にあってしまう。そのせいで金に困り、髪結いの道具を白子屋に持ち込むが相手にしてもらえない。
海野又十郎は、懲りずに何度も毛利三左衛門に会いに行くが、ある日どしゃぶりの雨の夜に「もう来るな」と言われてしまう。同じ日の夜、忠七が店へ傘を取りに戻っているのを待っているお駒を見かけた新三は、彼女を自分の長屋に連れて帰ってしまう。白子屋の用心棒をしている弥太五郎源七を困らせる為だ。
誘拐を知った白子屋、嫁入り前の大事な時だと源七らを使って、長屋にお駒を引き取りにくるが、新三は源七らを追い返してしまう。その後、大家の計らいで、お駒は無事に白子屋へ帰され、大家と新三は50両の大金を得、その夜、その金で宴会をする。
誘拐の片棒を担いだ又十郎も分け前の金を貰って宴会に行くが、真面目だと思われていた又十郎の行為に長屋の女房たちは良い顔をしない。それを知った妻のおたきがとった行動とは。
1979年:「日本公開外国映画ベストテン(キネ旬戦後復刊800号記念)」(キネ旬発表)第4位
1989年:「日本映画史上ベストテン(キネ旬戦後復刊1000号記念)」(キネ旬発表)第13位
1989年:「大アンケートによる日本映画ベスト150」(文藝春秋発表)第10位
1995年:「オールタイムベストテン・日本映画編」(キネ旬発表)第4位
1999年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊80周年記念)」(キネ旬発表)第18位
2009年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊90周年記念)」(キネ旬発表)第23位
出演: 中村翫右衛門, 河原崎長十郎, 助高屋助蔵, 市川笑太郎, 中村鶴蔵
監督: 山中貞雄出征の地で28歳の若さで亡くなった山中貞雄監督の遺作にして代表作である。江戸時代の長屋を舞台に、住人たちの人間模様を描いた作品。全体的に悲しいトーンで描かれており、厭世的な雰囲気のある作品であるが、長屋の住人達の生き生きとした生活描写や美しく引き締まった構図、観る者をぐんぐんと引き込んでいくストーリー構成など、何度観ても見飽きることの無い作品である。知名度こそ低いが、黒澤明監督の「羅生門」小津安二郎監督の「東京物語」に匹敵する傑作であると押す邦画ファンの声も多い、日本映画の傑作である。
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【これから観たい】公開後70年経過の日本映画(パブリック・ドメイン)なので、YouTubeでもすぐ鑑賞できますな
著作権切れかどうかの判断
大雑把に日本について言いますと、映画以外の著作物の著作権は著作者の死後50年を経過したとき、映画の著作物の著作権は公表後70年を経過したときに、著作権が切れます。
なお、平成16年(2004年)1月1日施行の著作権法により、映画の著作物の著作権は公表後70年を経過したときに、著作権が切れることになったため(従前は50年)、それより前に切れた映画の著作権は復活しません。
たとえば、1953年に公表された『ローマの休日』や『シェーン』などは、2017年現在公表後70年を経過していませんが、2003年12月31日時点では公表後50年を経過していたので、日本では著作権切れとなります(最高裁判所第三小法廷判決平成19年12月18日)。
Humanity and Paper Balloons 人情紙風船 (1937) Sadao Yamanaka 山中 貞雄 with English subtitles
日本が太平洋戦争に突入していった昭和初期、映画一筋に時代を走り抜け、29歳の若さで世を去った天才映画監督・山中貞雄。その後の映画人にも多大な影響を与えた彼の生涯を劇画で綴る。