【鎮魂】春は馬車に乗って

気になって仕方ない
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深い意味はない・・・いや、あるかもしれない。ふとこのフレーズがここ数日頭から離れないのだ。春は馬車に乗って。
春は馬車に乗って・・・ですか? 春?馬?
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【鎮魂】春は馬車に乗って

春は馬車に乗って・・・なんか、心が洗われるようなイメージない?
そうですね。穏やかな印象です。
春、馬車、草原、みたいな。ぎすぎすした今の世の中と対照的に、心の奥にある春の草原では、小道をゆっくりと、馬車がすすでいるんだよ。
急にどうしたんですか?(苦笑)
で、調べたら、「春は馬車に乗って」という短編小説があるんだね。どこかで聞いたことあると思ったよ。
え~と(検索中)・・・横光利一さんの小説に『春は馬車に乗って(Spring Riding in a Carriage)』というのがありますね。
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【あらすじ】『春は馬車に乗って(Spring Riding in a Carriage)』横光利一

出典:www.kosho.or.jp

横光利一って、昔の有名な小説家だよね。
え~と(検索中)・・・そうですね。戦前・戦中くらいの作家さんでしょうか。

横光 利一(よこみつ りいち、1898年(明治31年)3月17日 – 1947年(昭和22年)12月30日)は、日本の小説家・俳人・評論家である。本名は横光利一(としかず)。

菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として大正から昭和にかけて活躍した。『日輪』と『蠅』で鮮烈なデビューを果たし、『機械』は日本のモダニズム文学の頂点とも絶賛され、また形式主義文学論争を展開し『純粋小説論』を発表するなど評論活動も行い、長編『旅愁』では西洋と東洋の文明の対立について書くなど多彩な表現を行った。1935年(昭和10年)前後には「文学の神様」と呼ばれ、志賀直哉とともに「小説の神様」とも称された。

戦後は戦中の戦争協力を非難されるなか、『夜の靴』などを発表した。死後、再評価が進んだ。また、西洋近代の超克をめぐる横光への文学的評価の是非は文学者、作家の中でも大きく別れることが多い。

出典:ja.wikipedia.org

『春は馬車に乗って(Spring Riding in a Carriage)』とはどういうお話なんだろう?
え~と(検索中)・・・ウィキペディアより、あらすじを引用します。

胸の病で臥せっている妻の寝台からは、海浜の松や庭のダリアや池の亀が見える。そんなものを見ながら、いつしか彼(夫)と妻の会話は刺々しくなることが多くなっていた。彼は妻の気持を転換させるために柔らかな話題を選択しようと苦心したり、妻の好物の鳥の臓物を買ってきて鍋にしたりした。妻は病の焦燥から、夫が執筆の仕事で別室へ離れることにも駄々をこね、原稿の締切りに追われながら生活を支えている彼を困らせた。かつては円く張り滑らかだった妻の手足も日増しに竹のように痩せてきた。食欲も減り、鳥の臓物さえもう振り向きもしなくなった。彼は海から獲れた新鮮な魚や車海老を縁側に並べて妻に見せた。彼女は、「あたし、それより聖書を読んでほしい」と言った。彼はペトロのように魚を持ったまま不吉な予感に打たれた。

妻は咳の発作と共に暴れて夫を困らせた。そんな時、彼はなぜか妻が健康な時に彼女から与えられた嫉妬の苦しみよりも、寧ろ数段の柔らかさがあると思った。彼はこの新鮮な解釈に寄りすがるより他なく、この解釈を思い出す度に海を眺めながら、あはあはと大きな声で笑った。しかし彼は妻の看病と睡眠不足で疲れ、「もうここらで俺もやられたい」と弱気になってきた。彼はこの難局を乗り切るため、「なお、憂きことの積れかし」[注釈 2]と、繰り返し呟くのが癖になった。腹の擦り方にも我がままを言う妻に彼は、「俺もだんだん疲れて来た。もう直ぐ、俺も参るだろう。そうしたら、2人でここで呑気に寝転んでいようじゃないか」と言った。すると妻は急に静かになり、虫のような憐れな小さな声で、今までさんざん我がままを言ったことを反省し、「もうあたし、これでいつ死んでもいいわ。あたし満足よ」と、夫に休むように促した。彼は不覚にも涙が出てきて、妻の腹を擦りつづけた。

ある日、薬を買いに行った時、彼は医者から、もう妻の病が絶望的なことを告げられた。もう左の肺がなくなり、右もだいぶ侵食されているという。彼は家に帰っても、なかなか妻の部屋へ入れなかった。妻は夫の顔を見て、彼が泣いていたことに感づいて黙って天井を眺めた。彼はその日から機械のように妻に尽くした。彼女は、もう遺言を書いて床の下に置いてあることを夫に告げた。病の終日の苦しさのため、しだいに妻はほとんど黙っているようになった。彼は旧約聖書をいつものように読んで聞かせた。彼女はすすり泣き、自分の骨がどこへ行くのか、行き場のない骨のことを気にし出した。

寒風も去り、海面には白い帆が増して、しだいに海岸が賑やかになって来た。ある日、彼のところへ知人から思いがけなくスイトピーの花束が岬を廻って届けられた。早春の訪れを告げる花束を花粉にまみれた手で捧げるように持ちながら、彼は妻の部屋に入っていった。「とうとう、春がやって来た」と彼は言った。「まア、綺麗だわね」と妻は頬笑みながら、痩せ衰えた手を花の方へ差し出した。「これは実に綺麗じゃないか」と彼は言った。そして、「どこから来たの」と訪ねる妻へ、「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を捲き捲きやって来たのさ」と答えた。妻は彼から花束を受けると両手で胸いっぱいに抱きしめた。そうして彼女は花束の中へ蒼ざめた顔を埋めると、恍惚として眼を閉じた。

出典:ja.wikipedia.org

わあ、泣きそう。わがまま奥さんがなんかリアル。
え~と(検索中)・・・様々な葛藤の末、おだやかに死の準備をしている夫婦の元へスイトピーの花束が届くという最後の場面について日本近代文学研究者の井上謙氏は、「美しい幕切れは、亡妻への愛を込めた鎮魂と、利一の青春への挽歌でもあった」とし、「その(横光の)視座は日本近代文学の歴史の中で“結核と文学”をみる場合、芹沢光治良の『ブルジョア』と並んで一考すべき課題を残している」と解説しています。

出典:ja.wikipedia.org

へー。ちょっと読んでみたくなった。いずれにせよ、男の愛だね。
短編なんですぐ読めそうですよ。

ネームプレート工場の四人の男の心理が歯車のように絡み合いつつ、一つの詩的宇宙を形成する「機械」等、新感覚派の旗手の傑作集。新潮社; 改版 (1969/8/22)

新感覚派の驍将として登場した横光は、つぎつぎと新しい小説形式に挑戦したが、戦争によって不幸にも挫折した。だが現在の文学状況の中で、横光の試みは今もなお課題たりうる多くのものを含んでいる。表題二作のほか「火」「笑われた子」「蝿」「御身」「花園の思想」「赤い着物」「ナポレオンと田虫」の初期短篇と「機械」を収める。(解説=保昌正夫)岩波書店 (1981/8/16)

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【鎮魂】春は馬車に乗って【リプライズ】

出典:sozai-good.com

なんかさ、SNSで都合よく人を非難したり、誰かを攻撃するのはもうやめようよ。
何の話ですか?
もっとさ、相手のことを思いやってさ、失敗した人がいてもその人が失敗を悔いているなら許してやろうよ。そう思わない? その人が有名人でも一般の人でもさ。
だから何の話なんでしょう?(苦笑)
ま、なんとなくそんな気分なの。でも、穏やかな春の風景って、僕らの世代だと松田聖子の「赤いスイートピー」の光景なんだよね。ちょっととっぽい彼氏とやきもきする女の子・・・恋がちょっとくらいもたもたしてもいいんだよ。人生ちょっとくらい躓(つまづ)いてもいいんだよ。のんびりいこうよ。
まあ、そうですけどね(苦笑)。

松田聖子の不朽の名作『Pineapple』がBlu-spec CD2で登場。「P・R・E・S・E・N・T」「渚のバルコニー」「赤いスイートピー」他を収録。 (C)RS

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