『ガンプラブームで自転車にのって隣の町へ、パンダ模型店までの冒険旅行』~バック・トゥ・1982(遥か昭和57年への旅)

熊本ぼちぼち新聞(全国版)
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ガンダムは永遠だな
なんか新しいプロジェクトも発表されましたね

名前:くま(♂)
プロフィール:高齢子育て中、飲酒は週末のみ
特技:奥さんをフォローすること(嘘)
名前:カエル(♂)
プロフィール:ゆとり世代(さとり世代)、独身、潔癖症、シニカルな視点は世代のせい?
特技:インターネット超高速検索
1969年から2019年までの50年間を振り返るこの企画 ―――
今の時代につながる萌芽(ほうが)を探すよ
今回は1982年(昭和57年)ですね
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ガンプラブームで自転車にのって隣の町へ、パンダ模型店までの冒険旅行~バック・トゥ・1982

出典:www.sankei.com

実際に僕の体感だと・・・ガンプラブームは1982年(昭和57年)、小学校6年生のときだった
社会現象になったんですよね
ガンプラブームは当時、社会問題

※「俺たちのガンプラ30年史」より抜粋
 ’80(昭和55)年にバンダイ模型(現・バンダイ)のエース設計者・村松正敏(63)が「1/144」というスケール(縮尺)でガンダムという空想の産物に”命”を与え、ガンダムのプラモデル、通称ガンプラは生まれた。

 ガンプラの販売数は、わずか半年で100万個に達した。バンダイは工場をフル稼働させてガンプラの生産を増やしたが、当時は月産12万個が限界で、すべての再入荷の要望に応えるのは不可能だった。

「品切れ状態が続く中、ガンプラを欲しくて仕方ない子供たちが、バンダイの配送車を見つけて自転車で追いかけたり、配送車が到着するのを販売店の前で待ち構えていたりなんてこともありました。

 ケガをさせたら大変なので、運送屋さんに『子供たちが学校に行っている間に配送してください』とお願いしました。すると今度は、『孫から頼まれた』と言って高齢者が買いに来るんです」(大下※)
※当時、バンダイの営業部員だった大下聡(57=現・バンダイビジュアル社長)

 実際、ガンプラブームは当時、社会問題としても捉えられた。売れていないプラモデルとセットで買わせる「抱き合わせ販売」が横行したし、’82(昭和57)年には、千葉県松戸市のスーパーにガンプラを買いにきた小中学生約250人が、入り口が開くとともに駆け出してエスカレーターで将棋倒しとなり、19人が負傷した。

 4年で販売個数1億個を突破する大ブームを巻き起こしたガンプラだが、’85(昭和60)年、任天堂が『スーパーマリオブラザーズ』を発売したのを機に、燎原の火のごとく広がったファミコンブームにより、プラモ作りそのものが、子供たちの遊びのシーンから姿を消した。

出典:「俺たちのガンプラ30年史」(前編)「俺たちのガンプラ30年史」(後編)

最初に「1/144 ガンダム」が発売されたのが、1980年7月
テレビ放送が終了して半年後だったらしい
上の記事を見ると、1982年(昭和57年)に子どもたちが将棋倒しになったりて問題になってますから、やっぱりその頃がピークなんでしょうか
僕らが一番盛り上がっていた時には、もうモビルスーツのラインナップはほぼ揃っていたからね
ホントに欲しくて欲しくて、近所のプラモデル店から、少しだけおもちゃも置いてるような文房具店、駄菓子屋、しらみつぶしに回ったもんね
へー
友達と自転車で、隣町にプラモデル専門店があると聞いて行ったのが、合志町の「パンダ模型店」
熊本市内の「日教社模型店」にも行ったなあ
ローカルな話題が出ました(笑)
その後、子どもだけで町の外に行ったということで、先生に怒られたもんね
あれが「パンダ模型店」に行った時じゃなかったかなあ?
ちょっとした冒険でしたね
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長谷川政幸(はせがわ まさゆき)氏、ガンプラアートの世界

あの懐かしいガンプラの箱のイラストを描いていたのは、長谷川政幸(はせがわ まさゆき)氏というイラストレーター
大河原邦男さんじゃないんですね
エアブラシを使ったスマートなモビルスーツの絵だよね
でも、本人のプロフィール等はよく知らないんだよねえ
え~と(検索中)・・・そうですね
長谷川政幸さんの情報ってあんまりないですね
懐かしい、あのボックスアートをご覧あれ
こちらです

1/144 ガンダム(1980年7月発売)

1/144 グフ(1980年11月発売)

1/144 ザクⅡ量産型(1981年1月発売)

1/144 リックドム(1981年6月発売)

1/144 シャア専用ズゴック(1981年7月発売)

1/144 ギャン(1981年7月発売)

出典:art.parco.jpnushitarou2.jimdo.com

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ホテルニュージャパン火災の翌日に、日航機逆噴射~遥か昭和56年への旅

1982年(昭和57年)は、FIFAワールドカップのイタリア大会があった年
この頃は、僕も含め、日本で熱心にワールドカップを観ていた人は少ないと思うけど・・・ジーコら黄金のカルテットが第2ラウンドでイタリアに敗れ、そのイタリアが最後は優勝した大会だね
ジーコが現役バリバリだった時代ということですね
そして、その数年後に、日本サッカーを大きく進歩させる原動力のひとつになってくれるんだからね
ジーコさんは日本サッカーの恩人の一人です
で、この年の事件と言えば、2月8日、「ホテルニュージャパン火災」
そしてなんと、翌日9日には、「日本航空350便墜落事故」
「逆噴射」っていう言葉が流行ったよねえ
あと、「キャプテン(機長)、やめてください!!」
そこを面白がっちゃダメでしょ・・・
そのへんも時代だよねえ
今と感覚がずいぶん違う
亡くなった方もいるのに、不謹慎ですよ
そして、前年の聖子ちゃん、トシちゃん、マッチのデビューに続いて、この時に中森明菜もデビュー
また、フジテレビ『森田一義アワー 笑っていいとも!』(2014年3月31日放送終了)が始まったのもこの年
もうそろそろ、『笑っていいとも!』を知らない若者も出てくるんんじゃないですか?
2014年生まれのうちの子どもなんか当然知らないもんね
え~と(検索中)・・・映画『E.T.』(12月日本公開)もこの年ですね
『E.T.』は公開が年末だから、盛り上がるのは翌年だよね
あ、そっか
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追悼:パンダ模型店店主

最後に、この話題
パンダ模型店の店主が?
え?

※「サタぶらっ旅」KAB熊本朝日放送(2014/05/03 O.A.)より引用

さらにぶら~~っとしていると、かわいいパンダの看板を発見!
やって来たのは「パンダ模型店」。

オープンして33年目を迎えるこちらの模型店のご主人は御年71歳。(ご苦労様です!)
模型店を開く前は、神戸の製鉄会社に勤務されていたそうで、ガンプラブームに乗って模型店をオープン!
当時は開店前に行列が出来て、整理券を配ったこともあるそうです!!
ちなみにパンダという名前は、「1度聞いたら忘れない名前」、「絵を描きやすい」から!という理由!(絵を描きやすい???)

お客さんは、県内一円はもちろん県外からも!
世代は小学生から定年後のおじさままでと多岐にわたります。
特別に秘蔵の(非売品です!)30年前のガンプラ(ガンダムや量産型ザク)を見せていただき、高橋よしえ以上にガンプラ世代のカメラマンの方が大興奮!!!

プラモデルの魅力は「どんなにやっても100%の出来映えにはならないところ」「組み立てがうまく行けば色を塗りたくなる」「次はもっとリアルに!とこれで満足ということがないところがいい」と笑うご主人。
これからも世のモデラーたちの飽くなき探究心のために店を続けて下さい!

『パンダ模型店』

【住所】 合志市幾久富1909-792
【TEL】 096-248-0104
【定休日】 不定休

出典:www.kab.co.jp

僕自身、直接交流はないけど・・・2018年の今年、風のウワサで、パンダ模型店の店主がお亡くなりになったと聞いた
しばらく闘病されていたようだ
ええ・・・
享年70代半ばだったと思われる
ご冥福をお祈りいたします
くまちゃんにとっても、思い出の場所ですよね
これからお店はどうなるんでしょうね・・・
わからん・・・

↓最近のガンプラは恐ろしいクオリティ

↓オリジンのシャアザクも、この安彦アクションを再現

↓しかし、ガンプラの魅力を最も体現しているのは、緑の量産型ザクでしょう

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