千葉県の男性が落札だって
熊本)落とし物の石仏、千葉の男性が30万円で落札:朝日新聞デジタル https://t.co/sZ9rvLsIZ2
— kuma (@tomitokocom) 2018年3月13日
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お地蔵様のバチが当たった話
出典:いらすとや
今日はお地蔵様の話
僕はおばあちゃん子だったから、小さい頃からの習慣で、道端のお地蔵様を見かけるたびに軽く会釈する癖があるんだよね
素通りできないんだよ
昭和の人間ですから
あれは大学生の頃かなあ・・・
夜中に友達のクルマで、環七にある人気のラーメン店で食べて帰る途中
今も環七沿いにはラーメン店が沢山あるのかな?
そのはしりとなったラーメン店「なんでんかんでん」が人気だったのがちょうど僕が大学生の頃
そこでラーメン食べて、クルマで帰る途中の話・・・
特に夜中
僕は助手席に乗って、世田谷のアパートまで送ってもらう途中
住宅街の中を走っている時ね
狭い路地を曲がろうとしたとき、障害物があったらしく友達が一言
「地蔵、じゃまだよ・・・」
友達がそんな捨て台詞吐くもんだから「そんなこと言うなよ」って返した瞬間
ドン!
友達も少し気が引けたらしく、クルマから降りて傷を確認した後、お地蔵様に軽く謝ってたよ
まあ、道端のお地蔵様を、決してぞんざいに扱っちゃダメって話だよ
道祖神、子どもの神様としてのお地蔵様
やっぱり中国とかインドから?
地蔵菩薩
※Wikibediaより抜粋
地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。日本における民間信仰では道祖神としての性格を持つと共に、「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶ菓子が供えられている。
一般的に、親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼ばれる。日本における地蔵信仰
日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになった。
姿は出家僧の姿が多く、地獄・餓鬼・修羅など六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされた。際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もあり、また小僧姿も多い。
賽の河原で、獄卒に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、中世より仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において地蔵信仰を集めた。関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われる。
また道祖神(岐の神)と習合した為、日本全国の路傍で石像が数多く祀られた。
六地蔵
日本では、地蔵菩薩の像を6体並べて祀った六地蔵像が各地で見られる。これは、仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものである。六地蔵の個々の名称については一定していない。
金倉の六地蔵(平福)
それが日本において、土着の風習として変化していったんだね
道祖神、六地蔵かあ
道祖神
道祖神(どうそじん、どうそしん)は、路傍の神である。集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。
秋田県湯沢市岩崎地区に古くから伝わる鹿島様
上の道祖神(神奈川県真鶴町にて)
道祖神(長野県長野市大岡地区にて)
こういう名もなき路傍の神を訪ね歩く旅をしてみたいねえ
【昔話の中のお地蔵様】笠地蔵(かさじぞう)
『笠地蔵(かさじぞう)』
そういう昔話
よいこだ、ねんねしなー♪
笠地蔵(かさじぞう)
放送日:1975年01月07日(昭和50年01月07日)
演出:まるふしろう 文芸:平見修二 美術:阿部幸次 作画:上口照人・樋口雅一
お地蔵様が笠をもらったお礼に福を授ける
年も暮れようとする頃の話。
雪深い山の中に住む夫婦は、正月を迎えるにも米一粒すら残っていなかった。そこで女房が作った髪飾りのかせ玉を町に売りに行くことにした。
男が地蔵峠を通ると、お地蔵様の頭の上に雪が積もっていたので雪を払ってあげた。大晦日の夕方、町についた男はそこでかせ玉を売るが、一向に売れない。と、そこに笠売りのおじいさんがやってきた。笠売りのおじいさんもまったく笠が売れないので、二人はそれぞれの売り物を交換することにして家路についた。
その途中、男がまた地蔵峠を通ると、お地蔵様は寒そうに佇んでいる。やさしい男はお地蔵様の頭に笠をかぶせてあげた。そして家に帰り、そのことを女房に話すと、それは良いことをしたと言い、女房も喜んだ。
さて、その夜夫婦が寝ていると、外で物音がする。出てみるとそこには米・野菜・果物・着物などがたくさん置いてあった。二人の目には、遠くに峠のお地蔵様が帰って行くのが見えた。こうして二人は無事に正月を迎えることができた。
少なくとも僕らの世代までは、日本人的なやさしさ?
そんなものが心のどこかにあるんだよね(しみじみ)
子どもが育つ環境によって、道徳観・倫理観などのバラつきが今はきっと大きいんだよ
日本人に共通な心根を育てる意味でも、こういう昔話とか童話って大事だよねえ
え~と(検索中)・・・
かさじぞう こどものとも社版 (ものがたりえほん36) 1966
瀬田貞二 (著), 赤羽末吉 (イラスト)
僕が子どもの頃に見てた絵本はこのイラストだったと思う
かさじぞう (子どもとよむ日本の昔ばなし) 単行本 – 2005/10/1
おざわ としお (著), むらた みちこ (著), しのざき みつお (イラスト)
小沢健二(オザケン)のお父さんだよ
関連エントリー→小沢健二と絵本のお話~祖父、父、子へと続いていくもの
かさじぞう (日本名作おはなし絵本) 単行本 – 2009/10/30
柏葉 幸子 (著), 村上 勉 (イラスト)
よく見ますよね
【熊本の地蔵祭り】「お地蔵様に参ってください」
僕らの住んでる熊本でもあるでしょ? 地蔵祭り
え~と(検索中)・・・
地蔵盆
地蔵盆(じぞうぼん)は、地蔵菩薩の縁日で、厳密には毎月24日であるが、一般的には、その中で特にお盆にも近い旧暦7月24日のものをいう。ただし、寺院に祀られている地蔵ではなく、道祖神信仰と結びついた「路傍や街角のお地蔵さん」いわゆる「辻地蔵」が対象となっている。
地蔵盆は近畿地方を中心とする地域で盛んな行事である(長野県長野市の善光寺や長崎県対馬市厳原町など、近畿地方から離れた地方でも地蔵盆を行う地域は存在する)。一方、関東地方や東北地方では地蔵信仰自体が浸透していないため、地蔵盆も殆ど行われない。ただし東北地方であっても、宮城県の気仙沼市など、遠隔地との文化交流が古来からあるような古い港町ではこの限りではない。
地蔵祭では、地蔵のある町内の人々がこの日にかけて地蔵の像を洗い清めて新しい前垂れを着せ、化粧をするなどして飾り付けて、地蔵の前に集って灯籠を立てたり供え物をしたりして祀る。地蔵盆の前後には、地蔵の据えられる家や祠の周囲などに、地蔵盆独特の提灯が多く飾られる。京都では子供が生まれると、その子の名前を書いた提灯を奉納する風習がある。おおむね女子は赤、男子は白で、その子が地蔵盆に参加しているあいだは、毎年飾られる。
僕らの住む熊本では・・・
うと地蔵祭り(熊本県宇土市)
なむじぞう,だいぶつさん,あーげてくださいおさいせん。・・・夏の夕暮れ,鐘の音とともに子供たちの歌声が聞こえてきます。毎年8月23・24日の両日でうと地蔵まつりは開催されます。日頃は小さなお堂にまつられたお地蔵様を,子どもたちが飾り立て,お供え物とともに通りに奉ります。また,商店街には,生活雑貨や日用品を素材にした「造りもん」が並び,祭りを盛り上げます。花火大会,コンサート,民謡パレード,お地蔵さん横丁など町全体が祭り一色となり,大勢の人で埋め尽くされます。
【地蔵まつりの由来って】
この祭りは,約360年前宇土藩初代藩主細川行孝公が円応寺を建立したことから始まったとされています。当時は,病気に対しての知識がとぼしく,疫病が流行すると特に抵抗力の弱い子どもの死亡率が高かったそうです。そこで,このようなことが起こらないようにとの願いを込めて,子どもの守り神である地蔵菩薩に祈願したことから地蔵まつりは始まったとされています。
地蔵祭(熊本県菊池郡大津町)
【とき】
例年8月23日・24日
【内容】
江戸時代から続く行事。昔狩りで捕獲した動物の供養と水死や餓死した子どもの供養のため安置された地蔵を祭ったのが始まりとされている。現在は、各町内のお地蔵を祭の2日間は小屋を造り、新しい前掛けに付け直して、子どもたちが祭っている。夜には、近隣から大勢の人々が六地蔵にお参りにやって来て、夜店などが賑わっている。同じ江戸時代から続く「梅の造花」(伝統工芸品)も展示される。
「おじぞーさんに、まいってください」ってね
その他の地蔵祭り?
前にくまちゃんの実家がどこか聞いたような・・・
小屋を作る地域によって、集まるお賽銭の額が全然違うんだよ
あ、集まったお賽銭はみんなで分けて、お祭りのお小遣いになるんだけどね
駅の近くや商店街の子どもだとひとり1万円を超えることも!
郊外の住宅街、人の少ない場所の子どもはひとり数百円・・・
めっちゃズルいですねえ
くまちゃんは?
楽しくお祭りで散財させてもらったよ(笑)
でも、懐かしいなあ
今でもやってるのかな?
今はないかもね・・・
でも、いい思い出だなあ