【DOOWUTCHYALiKE?】「giveとtake」「東京五輪の椅子が危ない?」小沢健二のツイートで学ぶ英語【アーカイブ3】

エトセトラ
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今回は「giveとtake」に関する日本語のツイートと、日本人とアメリカ人の体重差についての英語ツイート&日本語ツイートの2本立て。
日本人とアメリカ人の体重差って一目瞭然ですよね・・・。
名前:くま(♂)
プロフィール:高齢子育て中、飲酒は週末のみ
特技:奥さんをフォローすること(嘘)
名前:カエル(♂)
プロフィール:ゆとり世代(さとり世代)、独身、潔癖症
特技:インターネット超高速検索
※【DOOWUTCHYALiKE(ドゥワッチャライク)】とは、雑誌「オリーブ」に連載されていた小沢健二のエッセイです。今回のツイートにかつて「オリーブ」での鋭い視点を思い出した方も多いかもしれません。
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giveとtake

これ日本語ツイートだけど、日本の社会とアメリカの社会との違いを感じさせる内容だよね。
ギブ・アンド・テイク。何かを与えたら何かをもらう。逆に、何かをもらったら何かを与える・・・当たり前のようで、その解釈は社会によって違うんでしょうねえ・・・。

「金をもらう権利」と言うように、権利はもらう/Takeの思考。「金を払う義務」と言うように、義務は捧げる/あげる/Giveの思考。米国は権利社会で、Takeベースで要求し、勝ち取る。日本は義務社会で、Giveベースで捧げ、Take/要求は遠慮する。日本の心はTakeが弱く、時に胸が痛い。遠慮の塊とか。1/2

「日本の心はTakeが弱く」って、まさにそのとおり。
捧げ(give)ても要求(take)は遠慮する・・・たしかにそうですね。

Take遠慮でGive多め(菓子折り持参)な日本の心は、米国/世界標準の仕組みはTake/要求/権利ベース、と肝に銘じてないと。現状のグローバル化は、Giveが減り、必死でTakeしなければならない社会。本当は、も少しお人好しな日本風のGive/遠慮ベースが世界標準として広まったらいいのに、ね。2/2

そうだよ。日本人がムリして「take」に慣れるより、世界が「give」を学ぶべき。まさにそのとおり!
そうすれば世界がもっとやさしくなりそうですね。
ま、難しいだろうけどね。その前に日本人が「take」になっちゃうかも。
う~む・・・。
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東京五輪の椅子が危ない?

On average, US adults are 50 lb heavier & 2.4 inches taller than Japanese adults. We are the smallest people in G8. I don’t think our chairs are ready for the Olympics.

【覚書】
on average 平均して
lb → ラテン語のlibra pondo(pound of weight)のlibra(unit)から。つまり重さの単位「ポンド」のこと。
heavier → 「heavy – heavier(比較級) -heaviest(最上級)」。heavy(重い)の比較級。

なになに・・・「平均では、アメリカ人は日本人より、50ポンド重く、2.4インチ背が高い。われわれはG8の国の中でもっとも小さい人種である。日本にある椅子がオリンピックのために準備ができているとは思えない。」なるほど、そうだね。わっはっは。今回のオザケンツイートはジョークだよ。
ムリして訳さなくても、本人が日本語ツイートをしてくれました。

富裕国の中で、日本人は驚異的に体重が軽いのです。例えば米国人の平均体重は、日本人より23kg重い。23kg!で、日本社会は軽い体用にデザインされていて、五輪へインフラ強化というけれど、国民を挙げて早急に「イス強化」を進めないと、2020年に日本中でイスが壊れます。絶対に。

東京オリンピックへ向け、まずはイス強化ですぞ!
もう間に合わないんじゃないですか?(笑)
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そして・・・Yahoo!ニュースでは、小山田圭吾のインタビュー記事が!

そして・・・Yahoo!ニュースでは、小山田圭吾のインタビュー記事が!
こちらですね。
「音楽は空気の振動に戻りつつある」 小山田圭吾と音楽の30年

──そう考えると、平成の30年間で音楽は伝わり方や広がり方が相当大きな変化を遂げたように思えます。

もともと音楽って、物質じゃないんです。空気の振動なんです。エジソンのレコードができたときから複製録音芸術が始まって、レコード業界のようなマーケットができた。それより前は、誰かが演奏したり、歌ったりしていた。つまり、音楽の原初は物質じゃないので、本来的にお金に換算するのが難しい芸術なんですよね。だけど、そこが音楽の面白いところで。

1990年代までは、そういう複製芸術が物質、レコードやCDとして取引される進化の過程があってピークを迎えた。ところが、ネットが登場して、また音楽という原初に近い形=その場で感じる空気のようなものに戻ってきた。それはもちろん課金したり経済活動はあるんだけど、物質じゃないものになっていっている感じはしますね。

出典:news.yahoo.co.jp

いまだ、微妙に・・・小山田圭吾と小沢健二がシンクロしているように感じるのは僕だけ?
そうなんですか?
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