『昭和最後となる一年』~バック・トゥ・1988(遥か昭和63年への旅)

熊本ぼちぼち新聞(全国版)
Hirohito *29.04.1901-07.01.1989{ Kaiser, Japan Regierungszeit von 1926-1989 - Altersportrait - undatiert - 01.01.1988-31.12.1988 Hirohito, Emperor of Japan, portrait at old age, undated - 01.01.1988-31.12.1988
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後から振り返ると昭和最後となる一年・・・がしかし、この時はまだ、近い将来に昭和天皇が崩御されることを一般人は知らない。
予兆はあったんじゃないですか・・・?
名前:くま(♂)
プロフィール:高齢子育て中、飲酒は週末のみ
特技:奥さんをフォローすること(嘘)
名前:カエル(♂)
プロフィール:ゆとり世代(さとり世代)、独身、潔癖症
特技:インターネット超高速検索
1969年から2019年までの50年間を振り返るこの企画 ―――。
今の時代につながる萌芽(ほうが)を探すよ。
今回は1988年(昭和63年)ですね。
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ペレストロイカ、変わりゆく世界~バック・トゥ・1988

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ペレストロイカ【perestroika】

字義どおりには〈建て直すこと〉であるが,1985年3月のゴルバチョフ政権登場後のソ連における改革運動を指す。その中心は1980年代初頭に危機寸前の状況にまで至った経済のメカニズムの〈根本的改革〉であるが,単に経済だけでなく,グラスノスチと呼ばれる公開制や意見の多元主義,政治的民主化,スターリン批判の再開など,多様な側面に及んでいる。ペレストロイカを〈第二の革命〉と呼んだこともあったが,その改革の結果,ソ連社会主義体制そのものへの批判へと広がり,ついには91年8月のクーデタ失敗から12月のソ連崩壊へといたった。

出典:kotobank.jp

日本も昭和から平成へと時代が変わるけど、世界も変わっていく。冷戦終結の象徴、ソ連の崩壊へと向かうゴルバチョフのペレストロイカが始まったのがこの年。
え~と(検索中)・・・ソビエト連邦では、ミハイル・ゴルバチョフ書記長主導の下、ペレストロイカが開始しました。

出典:ja.wikipedia.org

日本でも「ペレストロイカ」が新語・流行語大賞の新語部門を受賞しているからね。
ちなみに、この年の内閣総理大臣は、竹下登氏(自由民主党)、内閣官房長官は小渕恵三氏(自由民主党)です。翌年「平成」という額縁を掲げる小渕さんの映像は今でも有名です。
僕は高校を卒業して浪人生。まだ昭和が終わるって予兆は感じてなかった気がするなあ。いや・・・天皇陛下の体調が悪いってニュースはあったかも?
え~(検索中)・・・昭和天皇の重篤報道を受けて、日本各地で祭やイベントの自粛・中止・延期が相次いだ、とウィキペディアにもあります。

出典:ja.wikipedia.org

あ、そうだったかも。言われてみれば、夏くらいから天皇陛下に関する報道が増えていた気もする。
当時の天皇陛下のご様子について、元侍医の伊東貞三さんが次のように述懐していらっしゃいます。

※元侍医・伊東貞三氏の述懐より
 昭和62年4月、誕生日にあたっての会見で陛下は沖縄訪問の希望をお話しになりました(*)。

*記者会見で昭和天皇は「念願の沖縄訪問が実現することになりましたならば、戦没者の霊を慰め、長年県民が味わってきた苦労をねぎらいたいと思います」と述べられた。

 しかし、かねてからの願いだった沖縄の戦没者慰霊の旅を前に状況が大きく変わります。4月29日の昼餐会で陛下は嘔吐なさいました。さらに夏には那須御用邸で召し上がった食事をお戻しになられ、下痢などの症状にも悩まされました。検査の結果、ガンが明らかになりました。その影響で、信じられないほど十二指腸が細くなっていたのです。病名を伏せて手術を進言すると陛下は一言「医者にまかせる」とおっしゃいました。

(中略)

 事態が急変したのは翌63年9月19日のこと。大量の吐血をきっかけに私どもは24時間態勢で、御所に詰めるようになりました。

 数日後の夜。私は吐血と下血の処置をしておりました。そんな私に陛下は平然とこうおっしゃったのです。

「伊東、今日は満月だよ。その障子をあけてごらん。きれいだ」

 重篤な状況でも、ご自分のことはお気になさらずに美しい月に目を向ける普通の人とは違う、従容としたお姿でありました。

出典:www.news-postseven.com

4月にガンが判明し、夏過ぎからさらに体調を崩されていたのか・・・。
ですね・・・。

顔を近づけて話をするプーチン大統領(右)とゴルバチョフ元ソ連大統領(ドイツ・シュレスウィヒ)(2011年03月02日)

出典:www.jiji.com

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復活!美空ひばり、尾崎豊、サザンオールスターズ~遥か昭和63年への旅

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東京ドームが出来たのがこの年。
え~(検索中)・・・この年は、東京ドーム以外にも、青函トンネル、瀬戸大橋など大型開発事業が相次いで竣工し話題となっています。

出典:ja.wikipedia.org

4月に開催された美空ひばりの「不死鳥コンサート」が印象的な興行だよね。その他、ミック・ジャガーにマイケル・ジャクソン、スティング。国内アーティストも、矢沢永吉に尾崎豊、BOØWYの「LAST GIGS」もあった。
え~と(検索中)・・・BOØWYの解散コンサート「LAST GIGS」(1988年4月4日・5日)の翌週に、正式なこけら落とし公演として、美空ひばりさん「不死鳥コンサート」(1988年4月11日)です。なんか凄いですねえ。

出典:ja.wikipedia.org

毎週伝説じゃん(笑)。
でも、美空ひばりさんのコンサートはどうして「不死鳥」なんですか?
美空ひばりも病気で活動休止してたんじゃなかったっけか?
病気からの復活ですね。
でも、1年後に亡くなっちゃうけどね・・・。僕の印象では病気もそうだし、黒い噂なんかで紅白も出なくなって、そういうあれこれも含め、この時は「不死鳥」のごとく蘇った美空ひばりだったと思う。
へー。
この年は、「復活」もキーワードだよね。原由子の出産で活動を休止していたサザンオールスターズも復帰シングル「みんなのうた」を発売したし、尾崎豊も覚せい剤で逮捕からこの年「太陽の破片」で復活したもんね。ちょうど「夜のヒットスタジオ」でサザンオールスターズと尾崎豊が立て続けに登場した神回を覚えているよ。
え、尾崎豊さん、覚せい剤で捕まったことあるんですか・・・。
ま、それは置いといて(笑)。サザンオールスターズは活動再開し大復活祭と題し50万人を動員したライブツアーを開催した。僕も浪人生ながら、福岡は海の中道海浜公園 野外劇場に参戦。初めてサザンのライブは運よく最前列のブロックで観ちゃったよ。で、さらに、桑田佳祐の初ソロアルバムもこの年は発売してるからね。サザンとソロ活動が錯綜して桑田佳祐も大忙しの一年だったと思う。
くまちゃんが最もサザンに夢中になっていた時期ですね。
だね。あとこの年に最も活躍していたのは、光GENJI。「ガラスの十代」「パラダイス銀河」ね。ちなみにどちらの曲も作詞作曲はチャゲアスのASKAね。
ほー。
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【1988年の世相】バブル真っ只中

出典:www.youtube.com

これも今にして思えばだけど・・・バブル真っ只中だよね。
え~と(検索中)・・・バブル景気は、景気動向指数(CI)上は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間だそうです。

出典:ja.wikipedia.org

まさに、ワンレン・ボディコン。しかし、浪人生の僕には全く関係なし!
ですよね(苦笑)。
ただテレビのCMやドラマなんかで、そういう世の中のハイテンションな雰囲気は感じてたかも。栄養ドリンク「リゲイン」の「24時間戦えますか」や、同じく栄養ドリンク「ユンケル」の「ユンケルンバ ガンバルンバ」。ユンケルはタモリね。
最近では栄養ドリンク飲んで働こうなんて言う人いないですよね(笑)。
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【1988年のアニメ】3月富野由悠季『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』、4月宮崎駿『となりのトトロ』、7月大友克洋『AKIRA』

出典:www.rogerebert.com

宮崎駿『となりのトトロ』って、ぎりぎり昭和のアニメなんだよね。
この年なんですね。
その他、今でも重要な作品と言えるアニメ映画は、3月富野由悠季『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』、7月大友克洋『AKIRA』?
『AKIRA』は、2021年に全米公開らしいですよね。
それまた延期みたいだぞ。せっかく『AKIRA』の舞台は2020年の東京オリンピックだからタイムリーなのにね。
ともかく、ついに未来が追いつきましたね。



日本テレビにてアニメ『それいけ!アンパンマン』が放送開始されたのもこの年でした!

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【僕の1988年】桑田佳祐「Keisuke Kuwata」、山下達郎「僕の中の少年」

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この年に発売された桑田佳祐の初ソロアルバム「Keisuke Kuwata」。それに山下達郎のアルバム「僕の中の少年」。僕的にはこの2枚の存在が大きい。
桑田さんのソロ活動はここから始まったんですね。
クワタバンドを経て、あらためて日本語でポップスを歌うことにこだわったという。少し内省的な雰囲気もあったよね。当時物凄くよく聴いたよ。まあ、今もたまに聴くけどね。
この当時、桑田さんは30代になったばかりくらいですね。
そうだね。そして、1990年代にはミスター・チルドレンと共に時代を席巻する音楽プロデューサー・小林武史。彼の名が最初に広まったのも、桑田佳祐のソロアルバムからだよね。
小林武史さんも1990年代を象徴する音楽プロデューサーです。

アルバム・ジャケットの内側には、プライベートな創作空間を模した小部屋のビジュアル。桑田佳祐の後ろに佇むのが小林武史。

そして、「Keisuke Kuwata」と同じくらいよく聴いたのが、達郎の「僕の中の少年」。達郎のアルバムで日本語のタイトルは今だにこのアルバムのみ。
へー。
交流のあった桑田にも相談して、このタイトルになったらしいよ。それに、「僕の中の少年」に収録の「蒼茫」という曲では、桑田夫妻と竹内まりやがコーラスで参加しているし、逆に桑田の「Keisuke Kuwata」に収録の「遠い街角」には竹内まりやがコーラスで参加しているもんね。
今でも山下夫妻と桑田夫妻は仲がいいんですよね。
とにかく、この二枚のアルバム。どちらもちょっと内省的ってところがいいんだよね。ちょうど自分の自我も揺らいでいた青春時代によく聴いたアルバムだから、あの頃の情感が蘇ってくるよね。
宝物ですね。
そして・・・1年間の浪人生活を終え、この2枚のアルバムをカバンにつめて、翌年上京する僕でした。


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