※村上春樹「猫を棄てる 父親について語るとき」について、多少ネタバレあり
プロフィール:高齢子育て中、飲酒は週末のみ
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プロフィール:ゆとり世代(さとり世代)、独身、潔癖症
特技:インターネット超高速検索
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突然新刊きた!
てゆーか、村上春樹の新刊は、昔から突然本屋に並んでいてビックリするのが常だったが、今回はAmazonで知った
電子書籍版も同時発売らしい#村上春樹 #猫を棄てる #父親について語るときhttps://t.co/rnc01TvmE8— 熊本ぼちぼち新聞(トミトコ) (@tomitokocom) April 23, 2020
村上春樹 、父を語る
※文春の公式サイトに公開されている冒頭部分より抜粋
我々が夙川(しゅくがわ/兵庫県西宮市)の家に住んでいる頃、海辺に一匹の猫を棄てに行ったことがある。子猫ではなく、もう大きくなった雌猫だった。どうしてそんな大きな猫を棄てに行ったりしたのか、よく覚えていない。我々が住んでいたのは庭のある一軒家だったし、猫を飼うくらいのスペースはじゅうぶんあったからだ。あるいはうちにいついた野良猫のお腹が大きくなってきて、その子供の面倒まではみられないと親は考えたのかもしれない。でもそのあたりの記憶は定かではない。いずれにせよ当時は、猫を棄てたりすることは、今に比べればわりに当たり前の出来事であり、とくに世間からうしろ指を差されるような行為ではなかった。猫にわざわざ避妊手術を受けさせるなんて、誰も思いつかないような時代だったから。僕はまだ小学校の低学年だったと思う。おそらく昭和30年代の初めだったろう。うちの近くには、戦争中に米軍の爆撃を受けて廃墟になったままの銀行の建物がまだ残されていた。まだ戦争の爪痕が残っていた時代だ。ともあれ父と僕はある夏の午後、海岸にその雌猫を棄てに行った。父が自転車を漕ぎ、僕が後ろに乗って猫を入れた箱を持っていた。夙川沿いに香櫨園(こうろえん)の浜まで行って、猫を入れた箱を防風林に置いて、あとも見ずにさっさとうちに帰ってきた。うちと浜とのあいだにはたぶん二キロくらいの距離はあったと思う。当時はまだ海は埋め立てられてはおらず、香櫨園の浜は賑やかな海水浴場になっていた。海はきれいで、夏休みにはほとんど毎日のように、僕は友だちと一緒にその浜に泳ぎに行った。子供たちが勝手に海に泳ぎに行くことを、当時の親たちはほとんど気にもしなかったようだ。だから僕らは自然に、いくらでも泳げるようになった。夙川にはたくさんの魚がいた。河口で立派な鰻を一匹捕まえたこともある。
とにかく父と僕は香櫨園の浜に猫を置いて、さよならを言い、自転車でうちに帰ってきた。そして自転車を降りて、「かわいそうやけど、まあしょうがなかったもんな」という感じで玄関の戸をがらりと開けると、さっき棄ててきたはずの猫が「にゃあ」と言って、尻尾を立てて愛想良く僕らを出迎えた。先回りして、とっくに家に帰っていたのだ。どうしてそんなに素速く戻ってこられたのか、僕にはとても理解できなかった。なにしろ僕らは自転車でまっすぐ帰宅したのだから。父にもそれは理解できなかった。だからしばらくのあいだ、二人で言葉を失っていた。
そのときの父の呆然とした顔をまだよく覚えている。でもその呆然とした顔は、やがて感心した表情に変わり、そして最後にはいくらかほっとしたような顔になった。そして結局それからもその猫を飼い続けることになった。そこまでしてうちに帰ってきたんだから、まあ飼わざるを得ないだろう、という諦めの心境で。
出典:bunshun.jp
高妍(Gao Yan・ガオ イェン) 1996年、台湾・台北生まれ。台湾芸術大学視覚伝達デザイン学系卒業、沖縄県立芸術大学絵画専攻に短期留学。現在はイラストレーター・漫画家として、台湾と日本で作品を発表している。自費出版した漫画作品に『緑の歌』と『間隙・すきま』などがある。2020年2月、フランスで行われたアングレーム国際漫画祭に台湾パビリオンの代表として作品を出展した。
時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある。ある夏の日、僕は父親と一緒に猫を海岸に棄てに行った。歴史は過去のものではない。このことはいつか書かなくてはと、長いあいだ思っていた―――村上文学のあるルーツ(2020/4/23 刊)