1980年代にはすでに失われていた青春の風景、原田知世『時をかける少女』(1983年)のノスタルジー~僕の中の大林宣彦監督その3

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大林宣彦監督作品を振り返るその3…最後はやはり原田知世『時をかける少女』(1983)。
『HOUSE ハウス』(1977年)、『少年ケニア』(1984年)につづいて、最後は『時をかける少女』(1983)ですね。

過去のエントリーはこちら→
デビュー作は7人の美少女が登場するホラー映画『HOUSE ハウス』(1977年)~僕の中の大林宣彦監督その1
今、再発見すべきアニメ映画、山川惣治原作『少年ケニア』(1984年)~僕の中の大林宣彦監督その2

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【どこか懐かしい】1980年代にはすでに失われていた青春の風景、原田知世『時をかける少女』(1983)のノスタルジー【そこに校内暴力なんてない】

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

原田知世が主演した映画『時をかける少女』(1983)、広島県尾道市が舞台になっている。とてもいい感じ。でも海の近くの明るい尾道ではなく、ちょっと影のある坂の多い町という印象。
え~と(検索中)…『転校生』(1982年)、『さびしんぼう』(1985年)とともに、映画『時をかける少女』(1983)は「尾道三部作」とも呼ばれています。尾道は、大林宣彦監督の出身地でもあるんですね。

出典:ja.wikipedia.org

尾道の古くて美しい町並み、そこを舞台にした高校生たちの青春、少し不思議なストーリー展開、というのが映画『時をかける少女』の魅力だけど…。
だけど…?
この映画が公開されたのが1983年で、当時中学生だった僕ですら、そこに登場する高校生たちはちょっと牧歌的すぎると思った。
『時をかける少女』には1980年代の青春が描かれているんですよね?
いや。のどかな尾道が舞台にしても、当時の現実とはずれていると感じがした…『時をかける少女』に登場する高校生たちはひと昔前の高校生という印象。
そうなんですか?
だって、現実では校内暴力とか問題になっていて、テレビドラマでも、『積木くずし』(1983年)や『スクール☆ウォーズ』(1984年)をはじめ、『3年B組金八先生』(第2シリーズ・1980年)ですら、もう少し殺伐としてるもんね。横浜銀蝿「ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)」がヒットしたのが1981年だよ?

出典:ja.wikipedia.org(積木くずし)ja.wikipedia.org(スクール☆ウォーズ)ja.wikipedia.org(3年B組金八先生)ja.wikipedia.org(ツッパリHigh School Rock’n Roll)

当時はすでに不良が跋扈する時代だったんですね。
不良が跋扈という表現いいな(笑)。だから、『時をかける少女』は公開時点ですでに、ノスタルジックな高校生たちの物語だったんだよ。
へー。
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【アーカイブ】角川映画『時をかける少女』(1983)、スクリーンの中で永遠に輝き続ける15歳の原田知世【あの頃の角川映画】

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

この可愛さ、ヤバいだろ?
はい…(苦笑)。
今いちど、映画を振り返ってみよう。ノスタルジックな青春がギュッと濃縮された、角川映画『時をかける少女』(1983)をご堪能あれ!
主演の原田知世さんは当時15歳です。

出典:ja.wikipedia.org

繰り返すが、15歳だぞ!

「理想の愛を知った人は、幸福なのか?不幸なのか?」

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

これ、映画の冒頭。理想の愛、どうなんだろうね?
僕にはわかりません…。

スキー教室での芳山和子(原田知世)

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

モノクロの映像で始まって、だんだん色がついていくんだよね。大林宣彦監督っぽい演出!

和気あいあいとした列車の中

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

松任谷正隆のノスタルジックな音楽も印象的

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

松任谷正隆の音楽がいいんだよ、これが。
主題歌はユーミンさんの作品ですね。

広島県尾道市が舞台

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

美しい尾道の町並みが作品の品格を高めているよね。
原作は筒井康隆さんのSFジュブナイル小説です。

どちらかというと1970年代っぽい高校生たち

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

このとき、15歳かあ…(しみじみ)。
あ、気絶してますよ。

理科の実験室で気を失う芳山和子(原田知世)

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

理科の実験室で気を失ってから、日常の中で、不思議な事がおきはじめる。
え~と(検索中)…これが、芳山和子役の原田知世さんと、深町一夫役の高柳良一さんですね

出典:ja.wikipedia.org

深町一夫(高柳良一)宅の温室にはラベンダーが栽培されている

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

映画の前売券を買ったら、ラベンダーの香り付きしおりを貰ったなあ。
ラベンダーの香りが物語のキーワードですよね。

日常生活に紛れ込んできた不穏(ふおん)に、芳山和子(原田知世)の表情も曇る

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

とり・みき氏やゆうきまさみ氏とか、みんな原田知世が大好きだったよね。当時人気のマンガ家やアニメーターに何故かファンが多かったという。
へー。

和子の高校の国語教師、福島利男(岸部一徳)とクラス担任の立花尚子(根岸季衣)

いつもホットパンツ姿のクラス担任の太ももも、少年の記憶に残ったものですよ。
エッチ。

芳山和子(原田知世)の部屋の日本人形は何を象徴しているのか?

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

そういえば、映画の中でも地震のシーンがあったな…この人形怖っ。
怖いです。

芳山和子(原田知世)は何気ない日常の中でタイムリープを繰り返していたことに気づく

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

見てごらん、この表情、みんながファンになるのがわかるだろ?
は、はい(苦笑)

写真の中の深町一夫の両親(松任谷正隆、山口保代)

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

ほら!写真だけだけど、松任谷正隆も映画に登場するよ!
松任谷正隆さんって、割と出たがりですよね(笑)。

屋根裏部屋の深町一夫(高柳良一)の部屋

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

こういう屋根裏部屋っていいよね、こんな部屋に女の子を呼んで…青春だなあ。
やらしい!

幼い頃の深町と和子の記憶のはずだが・・・

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

ネタバレすると、和子と、深町と吾朗の三角関係・・・実は、深町は未来人で、彼に関する記憶はすべて偽物なんだよ。
幼い頃の記憶がねつ造されるのって、なんか切ないですね。

本当の幼馴染み、堀川吾朗(尾美としのり)と芳山和子(原田知世)

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

吾朗と和子はホントの幼馴染みね…吾朗との思い出の一部が深町との思い出にすり替えられていた!
でも、和子は深町の事が好きなんじゃないですか…?

ラベンダーの香りが…きっかけ?

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

ほ~ら、あなたも知世が好きになる…好きになる…。
催眠ですかっ!(笑)

いよいよクライマックスへ…

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

タイムリープし、時空を駆ける芳山和子(原田知世)

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

この映画の魅力は、原田知世の初々しさと、大林宣彦監督の映像と、松任谷正隆の音楽だよね!
そして…それを、素直な心を持った中学生が観たから、こんなにいつまでも心に残っているんじゃないですか?
全くその通り!

すべてを知ることになるが…ふたたび、

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

老夫婦は穏やか日々を過ごす

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

いいよね、こういう老夫婦…さりげなく登場するけど、加山雄三のお父さん、上原謙と、往年の大女優、入江たか子だからね。
ほー。

そして、数年後・・・

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

数年後に出会っても二人は気づかない…切ない!
マンガやアニメでよくあるパターンですね。

エンディングロールの原田知世

出典:角川映画『時をかける少女』(1983)

エンディングロールは撮影シーンをバックに主題歌を歌う原田知世…こういうスタイルもこの映画が最初じゃない?
まさに、アイドル映画の先駆けですね!
結果的にね。でも、大林宣彦監督、角川春樹らの原田知世愛がこの作品を生んだと言えるだろう。間違いない!


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【広島県尾道市】故郷・尾道と大林宣彦監督

出典:www.city.onomichi.hiroshima.jp

僕なんかも、『時をかける少女』がきっかけで、尾道に愛着をもったもんね。ずいぶん前に観光でちょっとだけ行った事があるけど、いつかまたゆっくり行ってみたい。
大林宣彦監督の尾道への貢献は大きいですよね、今、聖地巡礼とかよく言いますけど、その先駆けですよね。
本当にそうだね。尾道出身で、尾道を全国に知らしめ、尾道を愛してやまない大林宣彦監督だけど、最後に、監督らしいエピソードをひとつ。
え~と(検索中)…こちらですね。
大林監督、故郷・尾道市に異論 戦艦大和セット公開巡り

広島県尾道市で一般公開中の戦艦大和の原寸大ロケセットについて、出身地の尾道で数多くの映画を撮影している大林宣彦監督(68)が「ロケセットは映画の中で初めて意味を持つ。人寄せのための公開は、戦争やふるさとを商売にしているようで恐ろしい」と、市の観光行政を批判している。セットには予想を超える人が集まり盛況だが、大林監督は「公開中は故郷に帰らない」と宣言した。

出典:www.asahi.com

監督、怒ってます。
これは10年ほど前の記事ですね。
いろんな意見はあると思うけど、故郷の中に、ずっと残ってほしいものってあるよね。
でも、故郷を出て行ったものと、そこに残っているものとでは、思いはちょっと違うと思いますよ。
そうそう、その通り。それはわかるんだけどね…。
僕は自分が住んでいる場所が古いままなのはイヤだなあ…。
僕の願いは、ふるさとがあるがままに残って欲しいということ、「そこにしかない暮らし」を求めて旅人は来るのだから。

 大林監督は次のように語っている。
 僕の自慢は、尾道に映画の記念碑やセットを残していないことだ。映画を見た人の心に残ったものが記念碑。セットを残そうなどという提案はすべて断ってきた。尾道市にとってはそれが不満だったのだろう。
 「男たちの大和」という映画がふるさとで撮影されたことは、誇らしく思う。僕の尾道での撮影スタッフも協力した。でもセットは残すためのものじゃない。スクリーンに映し出されて初めてリアリティーを持つ。単なる張りぼては、夢を壊すだけではないか。
 恒久的に残すものとして、戦艦大和の歴史がある呉市につくられたのなら賛成するが、いかにセットを残すかばかりに気を取られた尾道市につくられたことは、大和にとっても不幸だ。
 小学生からも金をとって、ふるさとや戦争を商売にしている。セットが公開されているうちは尾道とは絶縁だ。これは、大林映画30年の理想に対する否定であって、怒らないわけにはいかない。
 僕の願いは、ふるさとがあるがままに残って欲しいということだ。高度成長期、尾道でも古いものが壊されたが、これからは古いものを残すことが資源になる。「そこにしかない暮らし」を求めて旅人は来るのだから。

     ◇
〈尾道を舞台にした大林監督の主な作品〉
・転校生(82年)
・時をかける少女(83年)
・さびしんぼう(85年)
・ふたり(91年)
・あした(95年)
・あの、夏の日―とんでろ じいちゃん(99年)
※カッコ内は公開年

出典:www.asahi.com

古い町並みは残してほしいけどね。そうだよ。…15歳の原田知世もいいけど、そろそろ50歳になる原田知世もいい。
それ、ですよ!
古くて新しい原田知世、古くて新しい尾道だね。
それが正解です。
でも、大林宣彦監督の愛する尾道、僕が『時をかける少女』で出会った尾道よ、美しいままに残っておくれ!
少なくとも、映画のなかには幻の少女も、夢の中の尾道も、永遠に残り続けます。

出典:natalie.mu

原田知世 – 「時をかける少女」

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