2021年、くま(51歳)とR子(45歳)の子育て日記です。
第一子むーちゃん(♀)は7歳、そして、第二子たろー(♂)は4歳になります。
高齢出産、高齢子育て・・・引き続き、が、頑張ります。
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熊本市南区富合町木原の『雁回(がんかい)公園』です。雁回山にある公園ですが、てっきり硬式野球やサッカーのためのグラウンドだけしかないと思っていました。実は、駐車場からすぐの場所に、なかなか遊び甲斐のある、アスレチック遊具もあって子どもたちを遊ばせるのにもちょうど良い公園でした。ただし、いたるところに「イノシシ注意」の看板があり、ちょっと怖いですが・・・(苦笑)。
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【富合町】『雁回(がんかい)公園』のアスレチック遊具で遊ぶ【イノシシ注意】
大きな看板のところから、雁回山を登っていきます。
野球などやっていなければ駐車場もガラガラです。雁回山の展望所まで登山すると思われる方々がチラホラいらっしゃいました。
いたるところに「イノシシ注意」の看板があって、ちょっと不安になります。
アスレチック遊具は駐車場のすぐ近くにありました。まるでおサルさんのように、アスレチック遊具で遊ぶ7歳娘。
四隅にバックネットがあり、かなり広いグラウンドです。
この日は特にグラウンドを利用する人はいませんでした。
完全に遊歩道になっている訳ではありませんが、グラウンドのまわりをちょっと一周してみましょう。
4歳息子「ねーねー、まってー」
管理人室の前を通ります。
グラウンドの使用料は、令和2年よりちょっと値上げしたようです。
管理人室のちょっと先からも、展望所へ続く道があるようです。
サッカーのゴールはしばらく使ってなさそうな感じでした。
確かに、イノシシが出てきそうな雰囲気はあります(苦笑)。
駐車場に近い側からも、展望所に向かう道があるようです。
【伝説】熊本・雁回山の名前の由来~暴れん坊・鎮西八郎源為朝
【雁回山と為朝伝説】
雁回山は元々木原山と言われ、鎮西八郎源為朝の居城だったと伝えられています。若い時為朝は余りに乱暴だったので、父の為義から九州に追放されました。始め豊後にいましたが、やがて肥後に進んで阿蘇氏と結び、その後木原山に城を築いて住い、阿蘇大宮司忠国の聟(むこ)になって九州を領有し、自ら鎮西八郎と称しました。のちに父為義とともに保元の乱に奮戦しましたが、敗北して近江で捕まり、伊豆大島に流刑になったと言われています。
その為朝は弓の名手として有名で、木原山に住んでいたころ、64人力の強弓で山を通る雁をいつも射落としていました。そのため雁は恐れをなして木原山の上を避け、この山を回って通るようになったので、雁回山と呼ぶようになったと言われています。
関連エントリー→熊本にゆかりのあるヒーローたち~加藤清正、宮本武蔵、天草四郎、横井小楠、鎮西八郎源為朝、左門豊作・・・
【展望所】次回、雁回山(314m)を登り、頂上の展望所にも行ってみたい!
県民憩の森として愛されている雁回山自然公園には、四季折々美しい景観を見せてくれる遊歩道が設置されています。頂上までの約1.3km、ゆっくり歩いても約1時間で頂上まで登ることができ、展望所近くに綺麗なトイレも整備されました。途中、小川のせせらぎや野鳥、野うさぎなどに出会う楽しみもあります。また、周辺には木原不動尊や六殿神社、じゅん菜の池や奥の院などの名所、遊歩道をちょっと寄り道して、一の滝・二の滝、鬼の岩屋などを見ることができます。雁回山(314m)を登りきると、頂上の展望所からは阿蘇山、有明海、不知火海を一望することができます。
第1展望所、宮山展望所、小城展望所があり、管理道コース、雁回公園コース、富合コース(六殿宮・木原不動産)、城南コースなどから登っていけるようです。