初めて行ったコンサートがユーミンなんだよ
中学2年生の時、熊本市民会館でね
オシャレなユーミンのコンサートに
坊主頭と学生服で参加したんですか?
「PEARL PIERCE 〜ようこそ輝く時間へ〜」ツアーの
可能性が高いですね
というわけで、今回のエントリーは、くまちゃんも昔から大好きなユーミンについて、そのルーツを再確認してみよう!
プロフィール:広く浅く世間を語る、老眼?五十肩?まだ40代です!
特技:2才の娘を笑わせること
プロフィール:ゆとり世代(さとり世代)、独身、潔癖症、シニカルな視点は世代のせい?
特技:インターネット超高速検索
松任谷由実こと荒井由美が早熟だったということを押さえておきたい
中学生の頃から業界に片足をつっこんで、
14歳ですでにプロとして仕事をしているからね
荒井由実としてデビューした時が18歳・・・
あ、その前にもちょこちょこやってるみたいですね[1]
中学時代には、当時国内外の文化人が集まるサロン的存在だった港区麻布台3丁目(1969年まで麻布飯倉片町8番地の住所表記だった場所)のイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りしており、またフィンガーズの追っかけもしていた。後に同レストランに集まったアーティストから、アルファレコードが生まれ、デビューのきっかけを作った。
14歳の時、プロとしての初めての仕事でスタジオでのピアノ演奏をした。以後、スタジオで演奏をしながらオリジナルの曲を書き、15歳で作詞家としてデビューし、1971年に17歳で作曲家としてデビューした、その作品は彼女を本格的なデビューへと誘った加橋かつみ(元ザ・タイガース)へ提供した「愛は突然に…」である。
出典:Wikipedia 松任谷由実
1969 VANILLA CREAM(THE FINGERS) ~『CONFUSION』
※中学生のユーミンがおっかけをしていたというTHE FINGERS
なんといっても、プロコル・ハルム「青い影」の影響が有名!
1967年5月に発売されると、2週間で40万枚近くを売り上げ、イギリスのヒットチャートで6週連続1位を獲得しました[2]
プロコルハルムの「青い影」だよね
昔から、インタビューやらなにやらで語りつくされている
ちなみに、この曲がヒットしたとき、ユーミンは13歳か・・・
神奈川・パシフィコ横浜 国立大ホール公演を皮切りに、東京、大阪、愛知で行われました
来日したのは、「青い影」を作曲したゲイリー・ブルッカーを中心としたプロコル・ハルムです[3]
50年の時を経て少女の夢は叶う・・・
これはうれしいだろうね
A Whiter Shade Of Pale – Procol Harum
また、プロコル・ハルムに影響を受けた曲として、「翳りゆく部屋」、「航海日誌」、「静かなまぼろし」と本人が語っています
曲のみならず詩も含めて影響を受けたそうですね[4]
プロコル・ハルムからの影響として「ひこうき雲」はよく言われるけど、「翳りゆく部屋」も世界観近いよね
ブリティッシュ・ロックとアメリカン・ルーツ・ミュージックの融合?
ここが重要で、ファーストアルバム「ひこうき雲」のレコーディングのとき、ユーミンはブリティッシュ・ロックが好きだけど、ユーミンをバックアップしていたキャラメルママの面々はアメリカン・ルーツミュージックを嗜好していて、最初はかみ合わなかった
後に伴侶となる松任谷正隆はブリティッシュ・ロックはキライとまで言っている
ところが、レコーディング期間の中盤あたりからユーミンと松任谷正隆との個人的交際がはじまって、自然にうまい具合に演奏も含めて融合していった
・・・と、NHK BSプレミアム「MASTER TAPE~荒井由実『ひこうき雲』の秘密を探る~」で言ってたよ
それとも、愛の力は凄いといったらいいのか・・・
女性シンガーソングライターからの影響~キャロル・キング、ローラ・ニーロ、ジョニ・ミッチェル
自身の声について「変わった声なのでコンプレックスもあった」というから、歌よりも楽器奏者や作曲・作詞家を目指したのかもしれない。それでも歌を始めた頃には、キャロル・キングやローラ・ニーロ、ジョニ・ミッチェルなどを好み「特にキャロル・キングは『ちりめんビブラートっぽい、同じ声質だな』と勇気をもらった」そうだ。
出典:techinsight.jp 松任谷由実が声のコンプレックスを明かす。「はじめは自分で歌うつもりじゃなかった」
1960年代には、当時の夫ジェリー・ゴフィンとのソングライター・コンビで数々のヒット曲を量産し、1970年代に入ってからは、シンガー・ソングライターとして、1971年のソロ・アルバム『つづれおり』( Tapestry )は、全米アルバムチャートで15週連続1位、その後も302週連続でトップ100に留まるロングセラーとなり、グラミー賞でも4部門制覇、現在まで約2200万枚を売り上げています[5]
特に初期のユーミンはデビューアルバム『ひこうき雲』の制作に携わった有賀恒夫の主張で、無理やり(?)「ノンビブラート」で歌わされた[6]
これが結果的に、クールで都会的なユーミンのスタイルを完成させたよね
スタジオの隅でユーミンは泣いていたというからね・・・[6]
私のフランソワーズ~フレンチ・ポップス、ジャズ、ボサノヴァ
フランソワーズ・アルディの名前は、セカンドアルバム「ミスリム」に収録された「私のフランソワーズ」という曲の題材になっているね
私のフランソワーズ
あなたの歌に わたしは帰るのよ
さみしいときはいつも出典:「私のフランソワーズ」荒井由実
フランソワーズ・アルディ さよならを教えて Françoise Hardy Comment te dire adieu
1960年代にイエイエスタイルで登場してトップアイドルとして活躍し、世界の女性アーティストに大きな影響を与えました
「さよならを教えて(Comment te dire adieu, 1968年)」を作詞したセルジュ・ゲンスブール、またゲンスブールの妻だったジェーン・バーキンとの親交も有名です[7]
松任谷正隆~パートナーとの絶妙なバランス
二人がまだ出会った頃、つまり、ファーストアルバムを制作していた頃は、
どちらかというと、レコーディングや編曲の知識などは、
早くから業界と接していたユーミンの方が詳しかったそうです[8]
※文中の「松任谷」は松任谷 正隆さんです
−−では、松任谷さんもいろいろアイディアを出されて?
松任谷:ただ、最初はどう考えても彼女の方がいろんなことを知っていました。僕がスコアの書き方を習ったのも彼女からです。僕は中音部記号を知らなかったんですよ。音符はいくらでも書けるけど、スコアってこうやって書くんだよとか、弦の編成って6、4、2、2とか、8、6、4、4、2とか。そういったことですね。
−−由実さんは若いのにそういったことを知っていたんですか?
松任谷:彼女は知ってました。だから最初に編曲を教わったのは彼女からですよ。
(中略)
−−ちなみに由実さんは出会った頃から今まであまり印象が変わりませんか?
松任谷:相変わらずミステリアスな部分を持ってると思いますね。その部分はきっと死ぬまで見ることがないだろうし、それがパートナーとしてとっても大事なところだと思いますけどね。彼女はそういうところがあるから逆に普通であろうとするところもあって、一生懸命家事とかやろうとしましたよ。その反動とか埋め合わせかどうかはわからないですけどね。だから、その二つのバランスでパートナーシップは保ってるんじゃないんですかね。あとは、僕が成長したということもあると思います。あの頃の関係で言うと、最初に出会った頃が、彼女が大学生で、僕が小学生ぐらいの感じだったと思いますね。
−−今は対等になった感じでしょうか?
松任谷:今は僕の方がちょっと上ですね(笑)。
出典:www.musicman-net.com 第87回 松任谷 正隆 氏
僕も興味深いインタビューを見つけたよ
松任谷正隆の「人生の5枚」、
やはりアメリカの音楽ばっかりだけど
間接的にユーミンの音楽にも影響を与えているに違いない![9]
松任谷正隆の「人生の5枚」
『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』ザ・バンド
第1作目で彼らの代表作。「音楽を作る魅力が全部つまっています。偶然性とか未完成性とか。だから生臭くていいんです」
『いそしぎ』アストラッド・ジルベルト
同名映画主題歌含む名作。「そよ風を感じる。この作品の温度感がたまらなく欲しい時があります」
『マシュ・ケ・ナーダ』セルジオ・メンデス&ブラジル’66
世界的ヒットしたデビュー作。「この作品でブラジル音楽に入りました。すごく影響されました」
『オフ・ザ・ウォール』マイケル・ジャクソン
世界で2000万枚の大ヒット。「未完成な部分を残しながらのコーディネイトで音が全部生きています」
『フー・イズ・ジス・ビッチ、エニウェイ』マリーナ・ショウ
「偶然性の魅力をすごく感じる作品です。楽曲と声とサウンドと時代が見事に合いましたね」
この曲でお別れです
アルバム『昨晩お会いしましょう』から
松任谷由実「グレイス・スリックの肖像」♪
彼女の長い髪と
激しい歌が好きでした
いつしか棚の片隅に眠ったアイドルみんなここに来て
アンプに火を入れて
ひとりの心の扉 ノックして出典:「グレイス・スリックの肖像」松任谷由実
出典:現代ビジネス ユーミンにも売れない時代があったんだ【特別対談「荒井由実」を語ろう】
脚注
[1] Wikipedia 松任谷由実
[2] Wikipedia 青い影
[3] 音楽ナタリー 「神様はいたずらだね」ユーミン×プロコル・ハルム夢の共演
[4] Kontaの歓びの毒牙 ユーミン、プロコル・ハルムを語る 1978年秋
[5] Wikipedia キャロル・キング
[6] 現代ビジネス ユーミンにも売れない時代があったんだ【特別対談「荒井由実」を語ろう】
[7] Wikipedia フランソワーズ・アルディ
[8] www.musicman-net.com 第87回 松任谷 正隆 氏
[9] goethe.nikkei.co.jp 松任谷正隆|ヒューマン|WEB GOETHE