パパとむーちゃんは、10001人目、10002人目?
木下大サーカス来場者1万人突破 嘉島町 | 2017/09/23 – 熊本日日新聞 https://t.co/EFZwq8MH4I
— 熊本日日新聞社 (@KUMANICHIs) 2017年9月23日
くまとR子の子育て日記です。
この春、第一子むーちゃん(♀)は3歳、そして、第二子たろー(♂)が誕生しました。
高齢出産、高齢子育て・・・、が、頑張ります。
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2017年9月23日(土)秋分の日、熊本地震復興祈念「木下大サーカス熊本公演」にさっそく行ってきました。
前週9月15日(金)の開演後すぐに、台風18号の影響で数日公演中止になったので、これが開演後初めての週末でした。
『木下大サーカス』は、「世界3大サーカス」のひとつであると同時に、今現在、日本で唯一のサーカス団のようです。
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「世界3大サーカス」のひとつであると同時に、日本で唯一のサーカス団『木下大サーカス』
↓台風18号の影響で9月16日(土)は中止だった
昔は動物園のところでやってたんだあ
今の日本には、大きなサーカスはもう『木下大サーカス』しかないんだよ
コグレサーカスとかみんな倒産しちゃったんだって・・・
そうなの?
最盛期には二〇団体もあったサーカス団の中で、木下サーカスだけが生き残った
※ノンフィクション作家・上原善広氏の記事より抜粋
サーカスを見るのは小学生以来、実に三〇年振りだった。
(中略)
私は失礼ながらサーカスについて「子供向けの時代遅れのショー」というイメージをもっていたのだが、それは完全に間違っていた。これはかなり本格的なショーであり、確実に一昔前のサーカスとは一線を画している。
日本のサーカス団も、これほど大規模なものでは木下サーカス一つとなってしまった。最盛期には二〇団体もあったサーカス団の中で、木下サーカスだけがなぜ生き残ってきたのかは、その洗練されたショーを見ただけで納得できる。
木下サーカスは、アメリカのリングリング・サーカス、ロシアのボリショイサーカスと並び「世界3大サーカス」の一角をなす
明治時代(1902年)に日本初のサーカスとして誕生した「木下サーカス」。創業114年を数えてなお、開場前に入場を待ちわびる家族連れが長い行列をつくる。
日本でのサーカス最盛期は昭和30年代とされ、当時は全国に30以上あったというが、現在はほぼ消滅している。かつて日本3大サーカスと謳われたキグレサーカスも、6年前に大きな負債を抱えて事業停止。娯楽の多様化に加え、近年ではカナダのシルク・ドゥ・ソレイユなど、海外の現代的なサーカスの台頭もあって、日本のサーカスは淘汰されている。
そんな中で木下サーカスは、アメリカのリングリング・サーカス、ロシアのボリショイサーカスと並び「世界3大サーカス」の一角をなす。
現在、「木下大サーカス」として全国を巡回し、4~5年ごとに同じ地域を訪れる。希少なホワイトライオンの猛獣ショーなど、看板の演目に磨きをかけ、定番のショーの内容も常に刷新している。
それはアメリカのリングリング・サーカスに次いで年間観客動員数が世界第二位にランクされるから
アメリカのリングリング・サーカスに次いで世界第二位にランク
現在、木下サーカスの年間観客動員数は120万人。これはアメリカのリングリング・サーカスに次いで世界第二位にランクされている。唯志が目指す「世界一」は動員数にとどまらず、アーティスト、演技内容、音楽、照明、施設、それに社員の待遇面など多岐にわたる。
4代目社長唯志の夢は、専用のサーカス・ドーム劇場を建設することだ 。「ホームグランドと地方公演を組み合わせての興行。外国にあるようなサーカス・トレーニングセンターや動物の調教センターも併設したい」と、入社時の志は、今も胸の中にしっかりと収められている。
木下サーカスは平成14年(2002年)創立100周年を迎えた。
そもそも旗揚げしたのが100年前の大連、その頃から国際的な興行団だったんだね
木下大サーカス100年の歩み
サーカスの揺籃期にあたる明治35年(1902年)、初代木下唯助は勇躍大陸に進出。大連で旗揚げした。その後奉天、ハルピン、ハバロフスキー、ニコラエフスクなどの沿海州方面を巡業していたが、その途中で、日露戦争にぶつかったため、領事館の尽力をえて、ウラジオストックから敦賀経由で帰国する。
唯助が興行を行った土地ではいずれも大当たりをするが、その当時の流行りの芸をいち早く取り入れる興行師としての手腕にあった。中国からロシアにまで足を伸ばす中で、ロシアのサーカスを見学し、空中ブランコを習得したと語り継がれている。自分の目で何度も確かめ、ブランコの高さや飛距離、飛び手の技術をしっかりと脳裏に刻みこみ、遂にプログラムに取り入れた。木下の空中ブランコがかつて「ロシア飛び」と呼ばれており、今もフィナーレを飾る木下サーカスの専売特許の曲芸となっている。
大正時代は象や熊なども加えて発展した。特に、昭和の初めには、馬の“金馬”と象の“若玉”が大当たりで、記念に同名の映画館を岡山市の繁華街、千日前に設けたほどである。
「木下大サーカス」は国際的なサーカス団だったんだね
木下大サーカス(熊本公演)、喜んでいる子どもの横顔に一番感動した
最近のサーカスは、テントの中も快適だし、演出もメリハリがあって時間が過ぎるが早く感じた
ストレスは入場するときにちょっと並ぶのくらいかな?
もちろんトイレもキレイで快適だったよ
その他、空中ブランコに、オートバイ、空中大車輪とか、観客をハラハラさせるのがサーカスのだいご味だなとあらためて思ったよ
失敗して大けがするんじゃないかって、心配しながら見てた
残念!目の前のファミリーが入場者1万人目で祝福される・・・
2017年9月23日(土)は秋分の日で祝日、午前中10時10分から回に行きました
木下大サーカス来場者1万人突破 嘉島町
嘉島町のイオンモール熊本特設会場で15日に開幕した熊本地震復興祈念「木下大サーカス熊本公演」の来場者が23日、1万人を突破した。人気の猛獣ショーなどを目当てに家族連れらが連日詰め掛け、にぎわっている。
1万人目は、水俣市から来た谷口舞幸[まさき]君(5)。舞幸君ら家族4人には、ピエロから花束とぬいぐるみなどオリジナルグッズの詰め合わせが贈られた。初めてサーカスを見たという舞幸君は、大迫力のバイクショーや華麗なジャグリングなどに「すごい」と目を輝かせていた。
出典:this.kiji.is
なんか水俣から来たファミリーみたいよ
水俣からならずいぶん早起きして来たんじゃない?
それに引きかえ、僕らはクルマで10分もかからないからね
まあ、今回は譲ってあげよう
開演前に1万人突破のセレモニーがあって、ピエロたちからプレゼントをたくさん貰ってたよ
ネットニュースでも配信されてるし、翌日、熊本日日新聞にも写真つきで記事がでてるし・・・ぶつぶつ
こんなところで運は使いたくないよ
ぜひもっと大事な場面で運を使ってね(笑)
↓この後、本物の象さんと記念撮影(800円)して帰りました!