2023年、くま(53歳)とR子(47歳)の子育て日記です。
第一子むーちゃん(♀)は9歳、そして、第二子たろー(♂)は6歳になります。
高齢出産、高齢子育て・・・日本はそういう時代です(たぶん)。
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9歳娘と二人、午前中は合志市マンガミュージアム、午後は熊本県民総合運動公園の貸自転車(サイクリングコース)という予定でしたが、急遽貸自転車が中止ということで、最近完成したという「立野ダム」を見てきました!
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熊本県民総合運動公園の貸自転車(サイクリングコース)につきまして、公園内の安全確保のため、本日12時より貸出を中止させていただきます。
ご迷惑をお掛けしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。— 熊本県民総合運動公園 (@kspa_kouen) June 4, 2023
【近所の人が羨ましい】久しぶりに合志市マンガミュージアムへ
【立野ダム】南阿蘇・立野峡谷に要塞現る! そして立野ダム展望台からは7月全線開通予定のトロッコ列車(試運転中)も見えた!【トロッコ列車】
立野ダム、洪水調節可能に 熊本・南阿蘇村、大津町 本体のコンクリート工事完了で式典、見学会|熊本日日新聞 https://t.co/qtbaK6mrw4 #熊本のニュース #熊本日日新聞 #熊日 #熊本
— 熊本日日新聞社 (@KUMANICHIs) May 21, 2023
国道57号線から立野駅・長陽大橋方面に曲がるとすぐ、クルマが4、5台とめられる「立野ダム展望台」があります。
試運転中でしょうか、ちょうど人が乗っていないトロッコ列車が走っていました。※7月から全線開通のようです。
「立野ダム展望台」からクルマですぐ、こちらは長陽大橋の展望台です。与謝野晶子と鉄幹の石碑がありました。
長陽大橋から眺めた新しい阿蘇大橋です。熊本地震の後、新しい阿蘇大橋が開通するまえは長陽大橋を走るクルマも多かったですが、現在、長陽大橋を通るクルマはまばらになったようです。
かつて「戸下温泉」があったのはどのへんだろう? 温水プール沿いに流れていた川の雰囲気はこんな感じだった気がします。
1980年前後、立野ダムの計画のために戸下温泉は無くなりました。かつての温泉郷の上にかけられたのが長陽大橋です。
【戸下温泉】長陽大橋の下に消えた、今はなき幻の「戸下温泉」(熊本・南阿蘇)【温水プール】
完成した立野ダムを見てきたので、追記(2023/6/5)。#戸下温泉 #立野ダム
【戸下温泉】長陽大橋の下に消えた、今はなき幻の「戸下温泉」(熊本・南阿蘇)【温水プール】 https://t.co/0A6F3yHdpw— 熊本ぼちぼち新聞 (@tomitokocom) June 5, 2023
南郷谷(奥阿蘇)の玄関口、かつそこには巨大な温泉郷があった
戸下の七曲りは現在通行止になっているため、あんな所に道があったのか?と思う人がいるに違いない。しかしかつては南郷谷の玄関口であり、かつそこには巨大な温泉郷があった。明治32年の熊本県雑種税のうち温泉地等級をみると、一等が山鹿温泉、二等は日奈久温泉だが、三等に栃木温泉が、また四等に戸下、地獄、垂玉温泉が入っている(五等に湯谷温泉と黒川温泉もみえる)。当時の九州日日新聞をみると「南峡には栃木、戸下、地獄、垂玉、湯の谷の五温泉を有し、就中戸下、栃木は概して中流以上の浴客多く…」とあるが、この戸下温泉こそ、今はなき幻の温泉郷である。
戸下温泉は明治15年に開かれた。黒川と白川の合流し北向山の原生林を眺める風光明媚もあり、徳富兄弟、坂本繁二郎、佐藤春夫などが次々と訪れ一躍有名温泉となった。夏目漱石は『二百十日』執筆前にここに投宿し、その後阿蘇山に登って道に迷っている。戸下温泉の開発には特に長野一誠という地元の勇士が奔走して代々経営にあたり、碧翠楼という旅館名を出せばまだ思い出すかたも少なくなかろう。一誠は県議を3期務めたあと衆院議員となり、南郷谷の開発に力を注いだ功労者である。長野家にとってもここは拠点であった。
しかし現在、この戸下にはまったく何も存在しない。あれだけ栄華を誇った温泉郷が、まるで蜃気楼のように忽然と姿を消している。理由はダム問題だ。昭和59年の立野ダム損失補償交渉妥結調印により、栃木は川下から上がって営業を続けたが、戸下はおよそ200年の歴史に幕を閉じた。碧水楼があった場所には、現在ダムの補償金でできた長陽大橋の無骨な橋脚が、まるで昔を踏みつけるようにして聳え立っている。見ていて痛々しいが、しかしかつて車でも数分を要した戸下の七曲りが、今では数秒で通過できるようになった。これも時代の変化だろう。またこの戸下には、黒川に架かる30メートルほどの眼鏡橋がまだ現存している。なんと明治33年製の石橋で、昭和28年の大水害にも流れずけなげに生き残っている。
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