2019年、くま(50歳)とR子(43歳)の子育て日記です。
第一子むーちゃん(♀)は5歳、そして、第二子たろー(♂)は2歳になります。
高齢出産、高齢子育て・・・引き続き、が、頑張ります。
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「くまもと春の植木市」が白川河川敷で開催中です。
近くを通ったので、ふらっと寄ってみました。
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2歳児が昼寝したから、5歳児を遊ばせるため、ふらっと植木市へ
城山公園で開催された植木市に行ったよね
関連エントリー→「1. 鬼は外!、2. くまもと春の植木市、3. ぱっつん前髪」くまちゃん・R子の子育て日記(69日目)
春の風物詩「くまもと春の植木市」開幕 熊本市の白川河川敷
熊本の春の風物詩「くまもと春の植木市」が1日、熊本市中央区本山の白川河川敷で開幕した。初日から多くの来場者が訪れ、つぼみがほころび始めた梅の苗木などを品定めしていた。3月11日まで。
くまもと植木市振興会と市が毎年開いている。今年は約100業者が庭木や盆栽など約80万点を展示販売。前年を上回る約32万人の来場と約2億9千万円の売り上げを目指している。
(中略)
同振興会の神原節生会長(70)は「今年は暖かく、既に花が開いた梅もある。春の訪れを感じてほしい」と来場を呼び掛けた。開園は午前9時半~午後5時。17日は熊本城マラソンに伴う交通規制のため休園となる。
↓白川河川敷、このへんでやってました。
くまもと春の植木市で白川河川敷を走り回る
ざっとひと回りしてきたよ
ちゃんと屋根付きのスペースに、食券制の食堂が設けられていた
僕らはうどんを食べたばかりだったけど、ここで食事してもよかったね
関連エントリー→「【熊本うどん探訪】創業20数年、お食事の店 千成(せんなり)の鍋焼きうどん」くまとR子の子育て日記(265日目)
展示のかなりの部分は、大きなビニールハウスの中だったから、多少天気悪くても大丈夫そう
この日はやってなかったけど、タイミングがあえば猿回しとかもあるみたいよ
ほどよい人出で、駐車場もすぐ停められました。
花木以外にも、いろいろあります。
この人は、河川敷を走り回ることが目的です(笑)。
「くまもと春の植木市」の由来
植木市の起源について
植木市の起源は、今から四百数十年前の天正年間(1573~92)に、時の隈本(熊本の前身)城主であった城親賢(生年不明~1581)が、始めた市に由来すると伝えられています。
『肥後見聞雑記』によれば、親賢公が病床にある子息を慰めるため「何か珍しいものを催すように」と新町に申しつけたので、城下の新町1丁目で(子どもの遊ぶ玩具である)木の獅子頭や雉子(きじ)を作り並べた市を開いたことによると記されています。
昭和の初期頃
現在のように会場を固定せず、数日間の会期で転々と移動して行われていました。
例えば、昭和の初期頃は、新1丁目(2月1日)、立町(2月3日)、広町(2月7日)白川町(2月8日)、水前寺駅通り(2月11・12日)、高麗門(2月15日~17日)長六橋(2月21・22日)、明十橋(2月23日)、布屋町(2月25日)、出京町(2月28日)、藤崎宮前(3月1日)、三年坂(3月3日~5日)、砂取町(3月初午)の計13ヶ所で開かれていました。
売られていた主なものは、明治時代以降の殖産興行のスローガンを反映して、杉、檜、桑などの山林用の苗で、他に榎、松、椋の木なども売られていました。当時は、種類も少なく、量も1ヵ所に80人ほどの生産者がリヤカーや大八車で運んでくる程度でしたが、県内各地からのお客も多く、露店も立ち並び賑わっていました。特に高麗門の植木市は有名でした。
そーいえば、僕の実家の方でも、昔はこの時期に市が立ってたよ
最近は通りに市が並ぶんじゃなくて、公園など限定された会場に屋台が集まる感じ?
昔は町全体が華やかなお祭りだったんだけどなあ
白川河川敷での開催
高度成長期に植木類の需要は急激に伸び、出店する業者数も増加し白川公園が手狭になった。また、同公園が市の中心部であり、交通渋滞の原因になってきたため、昭和51年からは、熊本駅前の本山町白川左岸河川敷で開催することになる。
一時戸島の方でやったり、地震の後は城山公園でやったりもしていたけど、やはりここ白川河川敷が似合うんじゃない?
まだしばらくやってるでしょ?
※現在の語彙は、「まま」「あんぱ(アンパンマンのこと)」「あんにゃ(バイキンマンのこと)」「にゃー(キティちゃんまたはサンリオキャラのこと)」「あけて(お菓子の袋を開けてほしいときなど)」「ばーば」「じじ(おじいちゃんではなく「うさぎ」の意味)」、そしてやっと「ぱぱ(パパのことを呼んでいるのか、ばーばのことなのかは不明)」
そろそろ春の気配ですな!