『日本サッカー再起動!Jリーグ開幕とドーハの悲劇』~バック・トゥ・1993(遥か平成5年への旅)

熊本ぼちぼち新聞(全国版)
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殿、出番です!
なんですか、それ?
名前:くま(♂)
プロフィール:高齢子育て中、飲酒は週末のみ
特技:奥さんをフォローすること(嘘)
名前:カエル(♂)
プロフィール:ゆとり世代(さとり世代)、独身、潔癖症
特技:インターネット超高速検索
1969年から2019年までの50年間を振り返るこの企画 ―――。
今の時代につながる萌芽(ほうが)を探すよ。
今回は1993年(遥か平成5年への旅)ですね。

1月20日 – ビル・クリントン、アメリカ合衆国大統領に就任。
1月27日 – 大相撲の曙が外国人力士として初めて横綱に昇進。
1月31日 – イタリアで日本人女子大生6人が強姦被害に遭う(ローマ日本人女子大生6人強姦事件)。
3月18日 – 新幹線「のぞみ」が山陽新幹線で運行開始、東京-博多間毎時1本ずつ運行。
3月27日 – 江沢民が中国共産党総書記・国家主席に就任。
3月31日 – 福岡ドームが完成。
5月15日 – Jリーグ開幕。
6月9日 – 皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀が行われた。
7月12日 – 北海道南西沖地震発生。奥尻島で死者176人。
7月18日 – 第40回衆議院議員総選挙 – 新党さきがけ、新生党、日本新党の新党が大躍進(新党ブーム)。一方、自由民主党、日本社会党が敗北。
8月4日 – 河野洋平官房長官が、首相官邸で河野談話を発表。38年振りの政権交代の5日前。
8月6日 – 土井たか子元社会党委員長が日本初の女性衆議院議長に。
8月9日 – 7月に行われた第40回衆議院議員総選挙の結果を受け、細川連立内閣が誕生し55年体制が崩壊した。※宮澤喜一(自由民主党)→細川護熙(日本新党)
8月11日 – 悪魔ちゃん命名騒動
8月26日 – 東京都港区にレインボーブリッジが開通。
9月27日 – 東京国際空港(羽田空港)の新ターミナルビル(ビッグバード)が供用開始。
10月3日 – モスクワで反エリツィン派が市街戦(モスクワ騒乱事件)
10月17日 – ネルソン・マンデラとフレデリック・ウィレム・デクラークにノーベル平和賞。
10月28日 – サッカー日本代表対イラク戦で、ロスタイムの失点でW杯出場を逃す(ドーハの悲劇)。
12月16日 – 日本列島改造論を唱えた、元首相の田中角栄が死去。

出典:1993年(Wikipedia)1993年の日本(Wikipedia)

殿、出番です!
細川護熙さんですね。まずはサッカーの話題からです。
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日本サッカー再起動!Jリーグ開幕とドーハの悲劇~バック・トゥ・1993

出典:www.youtube.com

1993年5月、日本初のプロサッカーリーグ・Jリーグが10クラブで発足。チケットの入手すら困難になる空前のサッカーブームが沸き起こった。

Jリーグはその後、クラブ数を拡大しながらJ2、J3などを段階的に整備。 各クラブ傘下のユースチーム、女子チームなどの強化が行われ、日本サッカー全体が大きく底上げされることとなった。

出典:www.buzzfeed.com

Jリーグ開幕から早20数年・・・日本サッカーもずいぶん発展したのう。
この頃、東京にいたんでしょ? 見に行きました?
ブームが落ちついた数年後にスタジアムに観にいったよ。どこのチームを応援しようかなって思って・・・唯一熊本を準ホームタウンとしていた横浜フリューゲルスを応援することにした。フリューゲルスはスポンサーのひとつが全日空だったから、当時はJクラブがなかった熊本と鹿児島も準ホームタウンになってたんだよね。
へー。
三ツ沢は行ったことないけど、等々力競技場と横浜国際総合競技場(2005年より日産スタジアム)の試合を観に行った記憶がある。まあとにかく、最初にJリーグがブームになって、野球部の影に隠れ、弱小サッカー部に所属していた僕は、過去が少しは報われたみたいで嬉しかったよ。
今や日本全国にサッカー少年は大勢います。
そして、Jリーグ開幕の勢いで、そのまま日本サッカー初のワールドカップ出場かと思いきや・・・まさに天国から地獄の出来事がおこった。
今も語り継がれる、ドーハの悲劇ですね。

出典:sportiva.shueisha.co.jp

1993年10月28日、日本代表はアメリカW杯アジア地区最終予選で、最後の試合となるイラク戦に勝てば、初のW杯出場が決まるところまで来ていた。

後半ロスタイム、日本は2−1で勝っていた。アメリカへの切符を手にするまで、あと数分のはずだった。

しかし、イラクのショートコーナーからオムラムがヘディングしたボールは、弧を描くようにGK松永成立の頭上を越え、ネットに吸い込まれていった。

選手らは呆然とピッチに崩れ落ちた。

オフトは一人ひとり、励ましながら起こして歩いた。

出典:www.buzzfeed.com

今にして思えば、これも日本サッカーの歩んだ一歩として、なくてはならないシーンだね。数年間はショックで冷静に受け止めることができなかったが・・・。
Jリーグの初代チェアマン・川淵三郎さんのインタビュー記事を引用します。

※川淵三郎氏インタビューより
Jリーグが日本で爆発的な人気になって、そしてドーハの悲劇が起きた。もう少しでW杯に出られるというところまで、日本に実力がついてきたんだよね。今思えばドーハの悲劇っていうのは、日本中が一瞬の間に天国から地獄に突き落とされて、「W杯っていうのはすごく難しいものなんだ」って痛感させられた、という意味では、すごく価値のある出来事だったと思うよ。

出典:www.waseda-afc.jp

今や、日本代表はワールドカップの常連。大勢の日本選手が世界で活躍するようになった。後はそのレベルが粛々と上がっていくのを見つめ続けよう。老後はもっともっと快適になったスタジアムで、ビップルームで酔いどれながらサッカー観戦するのが夢だよ。
地方のスタジアムにも、海外のサッカースタジアムのような、エンターテイメント施設が増えるといいですね。

1993Jリーグアウォーズダイジェスト動画【公式】

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細川連立内閣が誕生し55年体制が崩壊~遥か平成5年への旅

出典:mainichi.jp

1993年夏の衆院選挙で過半数を失い野に下った自民党に代り,8月9日に社会,新生,公明など7党1会派が細川護煕日本新党代表を首相として発足させた,日本では初の本格的な多党派連立政権。 55年以来続いた自民党の1党支配は 38年ぶりに幕を閉じ,日本の政治は新たな「連立時代」に入った。新内閣は山花・社会,羽田・新生,石田・公明,大内・民社の4党首を入閣させ,官房長官には武村・新党さきがけ代表が就任した。細川内閣は 93年 12月,ウルグアイ・ラウンドでのコメの部分開放を決定,日韓首脳会談 (93年 11月) では植民地支配に明確に謝罪したほか,過去の戦争を「侵略戦争」と言い切り,さらに 94年1月には政治改革法案を成立させた。しかし,佐川急便グループからの1億円借金問題や NTT株購入問題で世論の批判が高まり,4月8日辞任した。

出典:kotobank.jp

なんたって、実家の僕の勉強机の隣には、細川護熙氏に書いて貰った、大きな書道のポスターが貼ってあったからね。
細川護熙さんご本人に書いたやつですか?
そうだよ。どういうツテか知らないけど、うちの父親が貰ってきた。
へー。凄いですねえ。今やお宝じゃないですか。
でも、天災やらなにやらで今は残ってないんじゃないかな?
あらら。鑑定団もののお宝が残念でした。


細川内閣とは何だったのか? 今の日本の政治にどう影響を及ぼしているのかなんて僕には語れないが・・・あの時は期待したよね。なんか日本が変わりそうな予感がした。ただの予感で終わったけど(笑)。
戦後初めて、自民党以外の政権でした。
まあでも、細川さんはどうみても総理って柄じゃないところが、良くも悪くも、この政権を誕生させ、そして短期で終わらせたんだろうね。そんな気がする。
細川さんは、芸術家か、職人さんみたいですよね。


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僕の失敗

出典:www.tbs.co.jp

この年、フジテレビの「ひとつ屋根の下」も人気だったけど、僕は、TBS「高校教師」の方が印象的。とくにその主題歌、森田童子「ぼくたちの失敗」。
あのさびしそうな曲ですよね。
僕も大学は出たものの、ちゃんと就職せずにフリーターやってたから、なんかその世の中から脱線したような感覚に大いに共感した。「ぼくたちの失敗」じゃなくて、僕の失敗(笑)?
やっぱりちゃんと就職しなかったことを後悔しているんですね(苦笑)。

この年にリバイバルヒットした、森田童子「ぼくたちの失敗」は、2ndアルバム(1976年)に収録。


この年、僕は杉並区の永福町というところに住んでいた。某施設の契約社員として働いてはいたものの・・・給料安くて、秋くらいからレンタルビデオ店で夜アルバイトも始めた。さて、これからどうしたものかと・・・。
夢があってフリーターを選んだんじゃないんですか?
何かを創作する人になりたかったんだよね。アルバイトしながら、シナリオの学校に通ったりしていた。
一応、夢に向かって何かしらはやってたんですね。安心しました。
でも、夢中に夢に突き進めばいいものを、若い欲望もあるから、もっとお金がないと遊べないしつまらないなという葛藤も。それで夜バイトも始めたんだよね。
中途半端ですねえ・・・。
そんな中途半端な日々を過ごしていたのがこの年だったね。世間では、「ぼくたちの失敗」の他に、THE BOOM「島唄 (オリジナル・ヴァージョン)」、松任谷由実「真夏の夜の夢」、オリジナル・ラブ「接吻」、Mr.Children 「CROSS ROAD」、広瀬香美「ロマンスの神様」なんかが流れていた時。
ミスチルがデビューした頃ですか。
音楽的に趣味のいい僕は全く興味なかったけど、ビーイングブームなんてのもあったね。ZARD「負けないで」「揺れる想い」なんかは、坂井泉水が可愛いなと思って聴いてたけど。
なんか偉そうです・・・。
当時一番好きだったのは、この年に発売されたオザケンのファーストアルバムに入っていた「天使たちのシーン 」。今でもこの曲を聴くと、あの頃の悩みや葛藤、街中で感じていた空気感なんかが蘇ってくる。
へー

真珠色の雲が散らばっている空に
誰か放した風船が飛んでゆくよ

駅に立つ僕や人混みの中何人か
見上げては行方を気にしている

「天使たちのシーン」小沢健二

あの頃に戻りたいような、もう二度と戻りたくないような・・・。
では聴いてください。天使たちのシーンです。

小沢健二 – 天使たちのシーン [Live ver.]


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