【パンデミック後の世界】新型コロナウィルス禍の今読む、藤子・F・不二雄のSF短編『流血鬼』の予言

サブカル
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今あらためて、藤子・F・不二雄のSF短編『流血鬼』を読む。
新型コロナウィルス禍、こういう世界線もあるかも、というお話です。
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藤子・F・不二雄のSF短編『流血鬼』とは・・・?

出典:『流血鬼』藤子・F・不二雄

この藤子・F・不二雄のSF短編は、1970年代後半に発表された。あれから数十年が経った今、ふと、この作品の事を僕は思い出した。
新型コロナウィルスが猛威を振るうこの状況を見て、思い出したんですね。
流血鬼

「流血鬼」(りゅうけつき)は、藤子・F・不二雄(発表時は藤子不二雄名義)の短編漫画。

リチャード・マシスンの小説『アイ・アム・レジェンド』を原案としており、同作でも用いられた自分以外のほとんどの人間が吸血鬼になってしまった逆転世界を題材にしつつ、まったく異なる展開と結末を描いている。

出典:ja.wikipedia.org

これ、子どもの頃に初めて読んだとき、あの結末は衝撃だった。
予想がつかない結末ということですか?
ちなみに、リチャード・マシスンの小説『アイ・アム・レジェンド(地球最後の男)』は何度か映画化されており、一番新しいのは2008年ウィル・スミス主演作品だね。
原作小説は映画化もされているんですね。

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【パンデミック後の世界】SF短編『流血鬼』を読む

※ネタバレ注意

では、本題。藤子・F・不二雄のSF短編『流血鬼』。短編だからサクッと読めるけどね。あらすじを抜粋する。
1978年(昭和53年)『週刊少年サンデー』52号が初出だそうです。

出典:ja.wikipedia.org

ルーマニアから発生した「マチスン・ウイルス」による奇病は、ヨーロッパ、アメリカと広まりつつあった・・・。

出典:『流血鬼』藤子・F・不二雄

やがて日本でも、ウイルスが流行し始める。身近な日常にも不穏な影が。

出典:『流血鬼』藤子・F・不二雄

ウイルスに怯えるガールフレンドだが、彼女が物語のカギを握る。

出典:『流血鬼』藤子・F・不二雄

日本でもウイルスはあっという間に広がってしまう。吸血鬼たちがウィルスをガス状にして散布したのだ。

出典:『流血鬼』藤子・F・不二雄

たまたま親友とその兄と共に釣りに出かけていた主人公は、両親や近隣住民も吸血鬼と化した街から親友と共に小さい頃に遊んだ秘密の洞穴に逃げ込む。

出典:『流血鬼』藤子・F・不二雄

親友と共に、木の杭と十字架で吸血鬼たちへの抵抗を始める主人公だが、ついに親友も捕まってしまう。

出典:『流血鬼』藤子・F・不二雄

ついに一人となり絶望する主人公の前にガールフレンドが現れるが、彼女はすでに吸血鬼となっていた。

出典:『流血鬼』藤子・F・不二雄

主人公を救いたいと訴える少女は、正論をかざす主人公に、「わたしたちを吸血鬼とよぶなら、あなたたちは流血鬼よ」と非難する。

出典:『流血鬼』藤子・F・不二雄

この辺の発想の転換は、藤子・F・不二雄の真骨頂である。

出典:『流血鬼』藤子・F・不二雄

話の通じない主人公に対して、ついに実力行使にでる少女。吸血鬼いや新人類の前に旧人類は無力であった。

出典:『流血鬼』藤子・F・不二雄

ラストシーン。偏見をもっていた吸血鬼の世界こそ、まさに輝かしい新世界だった。親友、ガールフレンドとともに新しい世界の始まりに喜びが溢れる。

出典:『流血鬼』藤子・F・不二雄

実はこのウイルスこそ、人類が進化するための福音だったという。この結末は子どもながら衝撃だった。
まさか新型コロナウィルスがこうなるとは思えませんが、人類にとってひょっとしたら、なんらかの意味があるのかも?

※ウィキペディアより

概要

本作では、ルーマニアから広まった謎の奇病によって、主人公たち以外の人物が吸血鬼になってしまう。主人公たちは木の杭で吸血鬼たちを殺害し、抵抗を始める。だが、実は吸血鬼たちは新たな環境に適応した新人類といえる存在であり、自分たちの仲間を増やす以外に他意は無く、主人公たちに危害を加えようとしているわけではなかった。旧人類である主人公たちは吸血鬼ら新人類を自身らに害をなす怪物とみなし、吸血鬼狩りは正義に基づく行為であると信じて疑わない。一方、吸血鬼側は主人公たちが行う吸血鬼狩りを侵略行為と非難し、残虐な殺戮者として「流血鬼」と呼ぶ。

作中のウイルス名からも示唆されているように、本作はリチャード・マシスンの小説『吸血鬼 (地球最後の男)』の翻案であり、それに影響された藤子・F・不二雄の価値観の逆転の発想がうかがえる。最後の人類として残された主人公たちは吸血鬼たちを危険な異分子として認識し、それらの死をもって排除することもいとわない「正義の闘争」を決行する。しかし、奇病に感染したことによって吸血鬼となった新人類たちの立場から見た場合、それは少数だけが残った旧人類による単なる殺戮行為にすぎない。この二元的観点から見た善悪の境界や入り混じる価値観のギャップが、本作の特徴かつ見所となっている。

出典:ja.wikipedia.org

SF短編『流血鬼』は、「藤子・F・不二雄SF短編集 PERFECT版5 メフィスト惨歌」(2000/11/24発売)に収録されています。

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新型コロナウィルス禍、世界の行方は・・・

そもそも、イギリスの新型コロナウィルス対策の話を聞いて、僕はこの短編のことを思い出したんだよ。
イギリスでは、「封じ込め」ではなく集団免疫を国民が獲得するまでやりすごす「ピークの抑制・後ろずらし」に移行すると宣言したそうです。
集団免疫ね。批判もあるみたいだけど、ひとつの試みとしては興味深い。
日本だったらちょっとイヤですが・・・(苦笑)。
SF短編『流血鬼』を連想させるでしょ? 人類はこの新型コロナウイルスとも共存しなきゃいけないというシナリオも十分あり得るぞ。ただ恐れるだけじゃなくて、新型コロナウィルスという存在は人類にとって何か意味があるのではないかという問いかけも忘れたくないね。さあ、どうなる?
とにかく早く、安心したいです・・・。

コメント

  1. […] 【パンデミック後の世界】新型コロナウィルス禍の今読む、藤子・F・不二雄のSF短編『流血鬼』の予言 https://tomitoko.com/archives/29490 […]

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