【生誕120年記念・松本かつぢ展】かわいいと色気はきっとつながっている【菊陽町図書館・少女雑誌の部屋】

サブカル
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ずっと気になっていた菊陽町図書館の「少女雑誌の部屋」。ちょうど「松本かつぢ展」をやっていたよ。
菊陽町図書館にそんな展示室があるんですか?
名前:くま(♂)
プロフィール:酔っ払いおじさん、広く浅く世間を語る
特技:リフティング50回
名前:カエル(♂)
プロフィール:ゆとり世代(さとり世代)、独身、潔癖症
特技:インターネット超高速検索
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【菊陽町図書館】少女雑誌の部屋、知ってる?

菊陽町図書館に少女雑誌の部屋ができたのは、なんか町民の収集家が寄贈したのがきっかけらしいよ。
へー。

展示室は、町民の村崎修三さん(85)が収集した約3千冊の寄贈を受け、03年の図書館開館と同時に開設された。明治30年代から昭和40年代にかけて10代の少女向けに小説や詩、ファッション情報を掲載した総合誌が中心で、付録や漫画誌を含めると所蔵品は約9500点に上る。

出典:kumanichi.com

菊陽町図書館では、明治30年代~昭和40年代に発行された少女向け雑誌のうち、主に「連載小説が掲載されているもの」を「少女雑誌」と定義しています。対象年齢は、現在の小学校高学年から高校生くらいの少女たちで、その内容は、小説、詩、ファッション、ヘアスタイル、インテリア、料理、芸能、手芸など幅広い分野について書かれていました。現代の文芸誌とファッション誌を合わせた総合誌のような存在だったと言えます。

出典:www.kikuyo.library.ne.jp

ぜひ末永く大事にして欲しいよね。こーいうの。
菊陽町さんはお金持ちだし、大丈夫でしょう(笑)。

菊陽町図書館の館内に入って右手にあります。入場無料みたいです。

展示の他にも、少女まんがの名作が所蔵されていました。

菊陽町図書館は、菊陽温泉さんさんの湯や公園に隣接した場所です。

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【生誕120年記念・松本かつぢ展】かわいいと色気はきっとつながっている【菊陽町図書館・少女雑誌の部屋】

出典:x.com

僕ら世代なら、みんな知らずに松本かつぢ氏の作品にどこかで出会ってるよね。
あ、昭和の童話全集の表紙などにも、その絵が使われていたようです。

出典:Amazon

あー、このシリーズ。見たことあるぞ! 懐かしい。ところで、松本かつぢ氏って、どういう方なの?
え~と(検索中)…。
松本かつぢの生い立ち

1904年、神戸で父・寅治と母・いしの間に生まれたかつぢは、8歳のころに東京へ家族とともに移り住み、立教中学在学中(13歳頃)にはじめたアルバイトで博文館の雑誌のカットを描き、さし絵の世界に入りました。

18歳で同中学を中退後は、川端画学校へ通いながら独学で絵の技術を学び、「新青年」「少女世界」「少年世界」等数々の雑誌でカットやさし絵を描くようになりました。

1923年の関東大震災によって出版業界が大打撃を受けたことをきっかけに、かつぢはパリで絵画のうでを磨くことを決意。

途中で立ち寄った上海では「上海日日新聞」に記事とイラストを描き、渡航と滞在の費用を捻出していました。

そんな中、徴兵検査のために急遽帰国を余儀なくされたかつぢは、偏平足であったがゆえに出兵こそまぬがれたものの、パリ行きは断念せざるを得なくなりました。

その後昭和に入った日本で、少女雑誌のさし絵画家としてデビュー。エキゾティックでかつ繊細な美少女の絵で頭角をあらわしました。

雑誌「少女の世界」「少女の友」で注目を浴び少女達の人気を得ると同時に、ユーモアあふれるタッチのさし絵やマンガにも挑戦し、代表作「くるくるクルミちゃん」を35年間連載するなど、さし絵画家にとどまらない新境地を開拓しました。

出典:katsudi.com

出典:ja.wikipedia.org

関東大震災とかの時代か。
昭和初期にプロとしてデビューされたようですね。

いいねえ。魅入っちゃうよ。
レトロですね。

松本かつぢ氏の代表作「くるくるクルミちゃん」、おそらく内山亜紀なんかにも影響与えてるよね。たぶん。
内山亜紀さんは1980年代に一世を風靡したマンガ家さんです。なんのジャンルかはお察しください(苦笑)。

やっぱ、かわいいと色気はきっとつながっている、と思ったぞ。
まあ、そうかもしれませんね。

コメント

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