【あの煙突跡どうなる?】ダイエー時代から親しまれたイオン熊本中央店が来年2月で閉店【再開発】

熊本ぼちぼち新聞
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あー、僕も10年前くらいによく行ってたよ。
ダイエー時代から親しまれたイオン熊本中央店が2025年2月で閉店だそうです。
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【再開発へ】ダイエー時代から親しまれたイオン熊本中央店が来年2月で閉店

ま、再開発だからね。もっと素敵な施設に生まれ変わることでしょう。
だといいですね。

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【大煙突】熊本製糸工場煙突跡はどうなる?

ところで…あの煙突跡、気になるよね。
皆さん、気になっているようです。あの煙突の正体は…(検索中)。

熊本製糸工場煙突跡(くまもとせいしこうじょうえんとつあと)

現在、イオン熊本中央店の駐車場の一角に円形の遺物が残っています。一見すると何なのかわかりませんが、実はかつてこの場所にあった熊本製糸合資会社の煙突です。しかし、現在の煙突は当時の一割分の高さである6.2mしかなく、もともとはその10倍の60mにもなる大煙突がそびえていました。
熊本の製糸産業を支えた人物の一人として長野濬平(ながの しゅんぺい)が挙げられます。長野は横井小楠に学び、明治維新後は、国を富ませるには産業の発展なくしてはできないと考え、養蚕業を日本各地で学び、明治5年(1872年)に熊本県庁に建策し、蚕業試験場を当地に建てました。
その後も精力的に活動し、明治8年(1875年)に緑川製糸場を建設、そして明治26年(1893年)に熊本製糸合資会社を設立します。明治維新後、職を失った士族などへの授産事業として製糸業は大きな注目を集め、実際に多くの士族らが製糸業に関わることになりました。
この大煙突自体は大正13年(1924年)に建設され、当時は大煙突を市内のどこからでも見ることができ、その偉容は市民に親しまれていたことでしょう。
しかし、その大煙突も昭和55年(1980年)に工場を菊水町(現・和水町)に移転することになり、煙突の一部を残し、静かにその役目を終えました。

出典:kumamoto-museum.net

このご時世、解体したりはしないだろ。あの場所で残すか、または移転させるんじゃない?
熊本の象徴的な建造物のひとつですから、また、あたらしい施設でもシンボル的存在としてうまく配置されるといいですね。

出典:bp.kumanichi.com

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【思い出】近くの職場で働いていた頃、お昼休みにダイエーへ

出典:Googleストリートビュー(2012年1月)

僕が九品寺近辺で働いていたのは2010年前後。数年間あのへんにいたかな。
じゃあ馴染みがありますね。
近くの人気食堂「金壇」も行ったけど、ダイエーの中の飲食店でも食べてたよ。グランパレッタ熊本の「壁の穴 熊本店」を一番よく利用してたかな。
壁の穴は今、武蔵ヶ丘に移転したらしいですよ。
え?そうなの?今度チェックしてみよう。あの頃は、壁の穴とかで食べたあと、ダイエー店内をぶらぶら。書店とレコード店とかあったよね。
レコード店というか、CDショップですね(苦笑)。
たしかに、今となっては昔のデパートっぽい古い建物になったかもね。来年2月までやってるなら、一回くらい見に行こうかな。
まだしばらく営業されています。
レコード店は、ムラヤマレコードだったっけなあ。
あ、ムラヤマレコードさんは店名に「レコード」が残ってましたね(苦笑)。

出典:Googleストリートビュー(2024年4月)

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