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【再開発へ】ダイエー時代から親しまれたイオン熊本中央店が来年2月で閉店
【再開発へ】ダイエー時代から親しまれたイオン熊本中央店が来年2月で閉店
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— KKT熊本県民テレビ【公式】 (@kkt_4ch) September 2, 2024
再開発は」「シネコンは」 利用客、惜しむ声と期待 イオン熊本中央店閉店へ|熊本日日新聞#熊本のニュース #熊本日日新聞 #熊日 #熊本 https://t.co/u7L8UXQXMr
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イオン熊本中央店 2025年2月末閉店、新たな商業施設へ 1980年「ダイエー」として開店 熊本・中央区大江https://t.co/c4LsVttlHp pic.twitter.com/JnuKpx6kjA
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【大煙突】熊本製糸工場煙突跡はどうなる?
再開発の際、これはどうなるんでしょうね。#イオン熊本中央店 #熊本製糸 #煙突 pic.twitter.com/IC7TKIkN6Q
— まさい (@ymasai) September 2, 2024
熊本製糸工場煙突跡(くまもとせいしこうじょうえんとつあと)
現在、イオン熊本中央店の駐車場の一角に円形の遺物が残っています。一見すると何なのかわかりませんが、実はかつてこの場所にあった熊本製糸合資会社の煙突です。しかし、現在の煙突は当時の一割分の高さである6.2mしかなく、もともとはその10倍の60mにもなる大煙突がそびえていました。
熊本の製糸産業を支えた人物の一人として長野濬平(ながの しゅんぺい)が挙げられます。長野は横井小楠に学び、明治維新後は、国を富ませるには産業の発展なくしてはできないと考え、養蚕業を日本各地で学び、明治5年(1872年)に熊本県庁に建策し、蚕業試験場を当地に建てました。
その後も精力的に活動し、明治8年(1875年)に緑川製糸場を建設、そして明治26年(1893年)に熊本製糸合資会社を設立します。明治維新後、職を失った士族などへの授産事業として製糸業は大きな注目を集め、実際に多くの士族らが製糸業に関わることになりました。
この大煙突自体は大正13年(1924年)に建設され、当時は大煙突を市内のどこからでも見ることができ、その偉容は市民に親しまれていたことでしょう。
しかし、その大煙突も昭和55年(1980年)に工場を菊水町(現・和水町)に移転することになり、煙突の一部を残し、静かにその役目を終えました。
【思い出】近くの職場で働いていた頃、お昼休みにダイエーへ
出典:Googleストリートビュー(2012年1月)
【9月の店休日のお知らせ】🌻
当店をご利用頂き誠にありがとうございます・9/2(月)
・9/9(月)
・9/30(月)上記、月曜はお休みです🙇
夏の終わりに聴きたいハロプロ曲!🎆#つばきファクトリー「今夜だけ浮かれたかった」
まだまだ夏は終わらない…!
(来週から秋ツアー始まるけど(笑) pic.twitter.com/aCH3vy38a4— ムラヤマレコード イオン熊本中央店 (@musicinmurayama) September 1, 2024
出典:Googleストリートビュー(2024年4月)
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