出典:pinzuba.news
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【営業11時-21時】意外と夕方17時頃に食べれるラーメン店は少ない、貴重な「札幌ラーメンどさん子 健軍店」
「ピリ辛みそらーめん」(850円)に、バター(100円)をトッピングしました。
「いただきまーす!」
【味噌ラーメン】思い出の「どさん子ラーメン」、ただ「どさん娘」と「どさん子大将」と記憶がごっちゃになってます(笑)
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1961年餃子飯店「つたや」としてオープンした。
1961年、東京都墨田区にあった「餃子飯店 つたや」から全てが始まった。そこはいわゆる町中華でありながら、餃子と炒飯を全面に売り出した、当時としては画期的な店舗だった。その専門性が話題となって、多店舗展開を開始する。
当時は、本店で修行した弟子が独立して店舗を開業する、いわゆる“暖簾分け”というシステムしか考えられていなかったが、アメリカでマクドナルドがフランチャイズという形式で展開していると知った創業者・青池保は、日本版フランチャイズチェーンをつくろうと、1967年、両国にどさん子1号店を立ち上げた。出典:gendai.media
芋づる式に店舗が増え、1977年には1000店舗を超えるまでに急成長した。
そもそも、どうして餃子と炒飯の店が味噌ラーメンだったのだろうか。
時は高度経済成長期。日本人が裕福になり、家族で旅行するといったレジャーが定着していった時代だった。北海道は今でも人気の旅行先だが、交通網がまだ整備されておらず、行くには遠い存在だった。
そこで、デパートの物産展に、少しでも北海道気分を味わおうと多くの人が押し寄せた。それに目をつけた青池は北海道の人気店をリサーチしたところ、味噌ラーメンに行き着いた。
当時は物流が今ほど発展しなかったため、「これを本州に持ってきたら絶対に当たる!」。そう確信し、一気に味噌ラーメンへと舵を切ることとなった。
肝心の味噌だが、北海道「岩田醸造」の赤味噌がいいと聞きつけ、取り寄せることにした。元来は味噌汁用の味噌であったが、本社がラーメン用にまとめて加工することで、店舗では一切加工する必要がない。
こうしたシステムの構築が、フランチャイズ展開をする上で大きな一助となった。出典:gendai.media
現在経営は、多くの飲食店を手掛ける株式会社アスラポートの中のどさん子事業部となっており、そこで現代の食事情に適った新たなラーメンを、福岡発祥で世界に店舗展開するとんこつラーメンチェーン「博多一風堂」を運営する株式会社力の源ホールディングスと提携して、作り上げた。
出典:gendai.media
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