僕個人の話をしますが、今から振り返って考えてみると、学校に通っていた頃の僕にとってのいちばん大きな救いは、そこで何人かの親しい友人を作れたことと、たくさんの本を読んだことだったと思います。
『職業としての小説家』 第八回 学校について
当たり前だけど、 子どもの頃から本が大好きで、大人になっても一貫して、たとえ自営を始めて仕事が忙しくても、常に本だけは沢山読んでいたということは前提ね。
この“ごりごり”っていう言い方いいよね。
原文で沢山の読書体験があるという。
これまでも村上春樹が小説を書き始めた神宮のエピソードは語られていたけど、今回のこの本では、実際に小説を書き始めて、それを新人賞に応募するまでの経緯も詳しく描かれているよね。
何とかというヤクルトの外国人選手のプレーをみた直後に。
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中流家庭で平和に平凡に育つ。
両親は教師で、家には本が沢山あった。
(それなりに裕福だったと思われます)
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高校時代、英語のペーパーバックを沢山読んだ。
※これ重要
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大学で上京(早稲田大学)。
『ノルウェーの森』の主人公のような寮生活も経験。
※小説の主人公のようにモテモテだったかは不明。
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学生運動を遠くから眺める。
学生結婚。
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就職せず国分寺にジャズバーを開業。
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千駄ヶ谷にジャズバー移転。
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神宮球場外野席で啓示を受ける。
発想を根本から転換するために、僕は原稿用紙と万年筆をとりあえず放棄することにしました。
(中略)
そのかわりに押し入れにしまっていたオリベッティの英文タイプライターを持ち出しました。それで小説の出だしを、試しに英語で書いてみることにしたのです。
(中略)
もちろん僕の英語の作文能力なんて、たかがしれたものです。限られた数の単語を使って、限られた数の構文で文章を書くしかありません。センテンスも当然短いものになります。
(中略)
でもそうやって苦労しながら文章を書き進めているうちに、だんだんそこに僕なりの文章のリズムみたいなものが生まれてきました。
(中略)
要するに「何もむずかしい言葉を並べなくてもいいんだ」「人を感心させるような美しい表現をしなくてもいいんだ」ということです。
(中略)
とにかくそういう外国語で書く効果の面白さを「発見」し、自分なりの文章を書くリズムを身につけると、僕は英文タイプライターをまた押し入れに戻し、もう一度原稿用紙と万年筆を引っ張り出しました。そして机に向かって、英語で書き上げた一章ぶんくらいの文章を、日本語に「翻訳」していきました。
(中略)
するとそこには必然的に、新しい日本語の文体が浮かび上がってきます。それは僕自身の独自の文体でもあります。僕が自分の手で見つけた文体です。そのときに「なるほどね、こういう風に日本語を書けばいいんだ」と思いました。まさに目から鱗が落ちる、というところです。
『職業としての小説家』 第二回 小説家になった頃
『風の歌を聴け』の中に、デレク・ハートフィールドという架空の作家が出てきて、その作品のひとつに『気分が良くて何が悪い?(What’s Wrong About Feeling Good?)』という小説がありますが、まさにそれが、当時の僕の頭の真ん中に腰を据えていた考え方です。気分が良くて何が悪い?
『職業としての小説家』 第十回 誰のために書くのか?
図書館で尋ねたりしたもんね。
村上春樹自身も書いていて気持ちいいというのは、作家として自分の中で、ひとつの基準だったんだね。
ひょっとして僕がバカなのかって思っていたもんね。いや、もちろん僕がバカなのもあるけどさ。
でも、村上春樹も自分のことを頭の回転が速い人間じゃないと言っていますね。
冗談だけど、本人のそういう発言もちょっと興味深いね。
村上春樹も頭の回転の素速い人は小説を書くことに向いていないかも、って言ってるね。
僕は思うのですが、小説を書くというのは、あまり頭の切れる人に向いた作業ではないようです。
(中略)
しかしあまりに頭の回転の素速い人は、あるいは人並み外れて豊富な知識を有している人は、小説を書くことには向かないのではないかと、僕は常々考えています。小説を書く―――あるいは物語を語る―――という行為はかなりの低速、ロー・ギアでおこなわれる作業だからです。
(中略)
自分の頭の中にある程度、鮮明な輪郭を有するメッセージを持っている人なら、それをいちいち物語に置き換える必要なんてありません。その輪郭をそのままストレートに言語化した方が話は遥かに早いし、また一般の人にも理解しやすいはずです。小説というかたちに転換するには半年くらいかかるかもしれないメッセージや概念も、そのままのかたちで直接表現すれば、たった三日で言語化できてしまうかもしれません。あるいはマイクに向かって思いつくがままにしゃべれば、十分足らずで済んじゃうかもしれません。『職業としての小説家』 第一回 小説家は寛容な人種なのか
頭の回転が速い人が、賢明な人と思われてるよね、最近の風潮として。
だけど、最近は、そこを目指す人があまりにも多すぎるような気がするなあ。
しかし僕の経験から申し上げますと、結論を出す必要に迫られるものごとというのは、僕らが考えているよりずっと少ないみたいです。僕らは―――短期的なものであるにせよ、長期的なものであるにせよ―――結論というものを本当にそれほど必要としていないんじゃないかという気がするくらいです。
(中略)
情報収集から結論提出までの時間がどんどん短縮され、誰もがニュース・コメンテーターか評論家みたいになってしまったら、世の中はぎすぎすした、ゆとりのないものになってしまいます。あるいはとても危ういものになってしまいます。『職業としての小説家』 第五章 さて、何を書けばいいのか?
日常では、そんなに急いで結論を出さなければいけない場面って、そうそうないよね。
物事の多様性を認めて、いろんな角度から眺めてみようとすることが少なくなってないかな。
社会がもっと便利で、公平なものになるためには、最短で合理的な解を探し続けるべきだし、
だけど、人や社会がある一方向だけにが猛進したりしていたら、少し熱を冷ますような、ある意味、ゆるい態度も大事かなあ。
昨今の風潮を踏まえて、あえて、ちょっとロー・ギアなスタイルを目指そうかな・・・。
「『職業としての小説家』 第六回 時間を味方につける―――長編小説を書くということ」で、
村上春樹が実際の小説を書く順序についても、説明してくれています。
これは『海辺のカフカ』くらいの分量だそうです。
言葉の順番を入れ替えたり、表現を変更したり、物語の構成を大きく変えたりもするらしい。
いわく、「とんかち仕事」。
この作業が楽しいそうです。
指摘された部分というのは、相手の言い分がいい悪いは別として、何かひっかかる箇所であることは間違いないから、そこは手を加える必要を認めているそうですね。
※群像新人賞
『1973年のピンボール』(1980)
※芥川賞は2度候補になるも選ばれず。
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ジャズバーを廃業し、専業作家になる。
マラソンを始める(タバコもやめる)。
『羊をめぐる冒険』(1982)
『中国行きのスロウ・ボート』(1983)
※最初の短編集
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『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)
☆くまちゃん(高1)、ファンになる。
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『ノルウェイの森』(1987)が大ヒット。
※ヨーロッパで執筆
☆くまちゃん、クラスの女子がみんな読み始めたことを嬉しく思うものの、あまりに人気が出すぎてなんだかなと思う。
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大学の講師など海外での活動が多くなる。
『ダンス・ダンス・ダンス』(1988)
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『国境の南、太陽の西』(1992)
『ねじまき鳥クロニクル』(1994-1995、全3巻)
☆くまちゃん、大学時代に同じ音楽サークル内の村上春樹好きな女の子と仲良くなりたくて、村上春樹飲み会を主宰する。
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『アンダーグラウンド』(1997)
※地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューをまとめたノンフィクション
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『スプートニクの恋人』(1999)
『海辺のカフカ』(2002)
『アフターダーク』(2004)
※世界の村上みたいな評価が日本でも広まってくる。
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『1Q84』(2009-2010、全3巻)
※1Q84が大ヒット。
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013)
長い歳月にわたって創作活動を続けるには、長編小説作家にせよ、短編小説作家にせよ、継続的な作業を可能にするだけの持続力がどうしても必要になってきます。
(中略)
それに対する僕の答えはただひとつ、とてもシンプルなものです―――基礎体力を身につけること。逞しくしぶといフィジカルな力を獲得すること。自分の身体を味方につけること。『職業としての小説家』 第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み
出典 (株)スイッチ・パブリッシング http://www.switch-pub.co.jp/murakami/
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[レビュー] 村上春樹はなぜ僕らに刺さるのか?『職業としての小説家』~その創作活動について考える(その2)
[レビュー] 村上春樹はなぜ僕らに刺さるのか?『職業としての小説家』~その創作活動について考える(その3)