「【古戦場】『ふれあい広場』(玉東町)の帰りに『田原坂(たばるざか)公園』に寄ってみた~ところでここは心霊スポットなんですか…?」くまとR子の子育て日記(535日目)

子育て日記
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ちょっと時間があったので、『ふれあい広場』(玉東町)の帰りに『田原坂(たばるざか)公園』に寄ってみた。

関連エントリー→「【みかんと史跡の里】JR木葉駅南側、みかんをモチーフにした大型遊具も楽しい『ふれあい広場』(玉東町)で遊ぶ」くまとR子の子育て日記(534日目)

私がお友達と一緒にいる間、子どもたちを遊ばせてくれてありがとう。
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2021年、くま(51歳)とR子(45歳)の子育て日記です。
第一子むーちゃん(♀)は7歳、そして、第二子たろー(♂)は4歳になります。
高齢出産、高齢子育て・・・引き続き、が、頑張ります。
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『ふれあい広場』(玉東町)の帰りに『田原坂(たばるざか)公園』に寄ってみました。ただ「熊本市田原坂西南戦争資料館」はコロナ禍で閉館中でした。ところで、『田原坂』といえば心霊スポットとしても有名ですよね…? 知ってますか?

※「熊本市田原坂西南戦争資料館」は、令和3年(2021年)8月2日(月)から、しばらくの間休館中です。
→ 出典:www.city.kumamoto.jp

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【田原坂】『ふれあい広場』(玉東町)の帰りに、『田原坂(たばるざか)公園』に寄ってみた

『ふれあい広場』(玉東町)で十分遊んだけど、ママがゆっくりお友達と過ごせるよう、もう少し寄り道して帰ることにした。
ありがとう。
まだあそびたりないし!
もっとあそんでからかえる!

「熊本市田原坂西南戦争資料館」はコロナ禍で閉館中でした。ま、小さい子と一緒なので、どのみちゆっくり見れませんが。

弾痕の家は外観のみ公開中でした。

展望スペースがキレイになっていました。

子どもたちは坂道を走り回ったり、ドングリや松の実をひろって遊べれば満足します。

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【慰霊】『田原坂(たばるざか)公園』は西南戦争の古戦場

僕も久しぶりに『田原坂(たばるざか)公園』に寄ってみたかった。
「越すに越されぬ田原坂」ね。

西南戦争は明治10年(1877)、西郷隆盛率いる鹿児島士族が起こしたわが国最大の内乱で、明治維新の総仕上げともいうべき役割を果たした戦争です。熊本はほぼ全域が戦場となり、熊本城の炎上、田原坂の激闘がよく知られています。

(中略)

越すに越されぬ田原坂

田原坂は、長さ1.5km、標高差60Mのゆるやかな坂。熊本城を目指す官軍小倉連隊と薩軍が、三月四日から十七昼夜も一進一退を繰り返した、西南戦争最大の激戦地である。

ここは高瀬(玉名)から熊本へ大砲を運ぶ唯一のルート。薩軍は多数の塁を築き濠を巡らして、官軍を待った。しかも街道は丘陵の腹をえぐるように蛇行曲線を描いた凹道で、下から攻め登ろうとする官軍は前方の見通しが効かず、容易に進むことができなかった。実はここも清正公が、北の備えとして築いた拠点だったのである。

薩軍は薩摩示現流の猛烈な必殺剣で斬り込んだ。官軍は狙撃兵を配して、これを撃ったが、官軍は、一の坂・二の坂・三の坂と三つに分かれる田原坂の最後の300Mを越えられなかった。雨も降り続いた。文字通り泥沼の戦場となった。一日32万発もの弾雨が降り注ぎ、弾丸が空中で激突したほどである。(田原坂資料館に保管されている)。

雨は降る降る、人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂……。

しかし雨は官軍に味方した。薩軍の銃は雨に濡れると不発になる。また、軍服、靴を備えた官軍に、木綿のかすりと・・・わらじ姿の薩軍である。次第に体力を消耗した。

官軍の総攻撃の前に三月二十日、田原坂は終に陥ちた。その後薩軍の敗走はさらに続く。

西郷以下薩軍幹部が、鹿児島・城山で自決したのは半年後の九月二十四日のことだった。

出典:kumamoto.guide

以前、一人で来たこともある。多くの命が失われた古戦場だし、ちょっと重い気持ちになるけど、この日は天気も良かったし、遊具はないけど子どもたちも走り回ったりできればちょっとは楽しいかなと思ったんだよね。
そうね。
ドングリと松ぼっくりをひろってあそんだぞ。ねー、たーちゃん。
うんうん。

激戦に散った日本人の魂よ、安らかにお眠りください。

西南戦争の激戦地・田原坂。この内乱の帰趨を決した当地での戦いを、独自の分析と実証による史眼によって、乃木希典の連隊旗被奪事件から書き起こす。初版刊行時、松本清張・萩原延壽両氏に絶讃された戦記文学の佳篇。著者による関連エッセイ、追悼文を増補。 〈解説〉綱淵謙錠 中央公論新社; 増補新版 (2018/2/23)

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【都市伝説】ところで『田原坂(たばるざか)』は心霊スポットなんですか…?

ところで、ここ『田原坂(たばるざか)』は、熊本でも有名な心霊スポットなんだよね。
そうなの?
だってあれだけ多くの命が失われた場所だぞ。そりゃなんかあるよ。ちょっと探してみたら、『黄泉がえり』などで有名な熊本在住のSF作家・梶尾真治氏のコラムに心霊スポット『田原坂』についての記述があったので引用させていただく。
えええ、どんな怖い話かしら?

※以下、カジシンエッセイ「第119回 好評なので不思議スポット」(高橋酒造ホームページ)より引用させていただきます。
 田原坂は西南戦争のときの激戦の地です。明治十年に西郷隆盛が起こした士族の反乱で、官軍と薩軍の攻防戦の舞台です。熊本市北区になります。いかに激戦だったのかは、当時に作られた俗曲「田原坂」でもわかります。
ー雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂
ー右手(めで)に血刀左手(ゆんで)に手綱、馬上ゆたかな美少年
 西南戦争の古戦場として国指定史跡になっているほどです。
 で、いつの頃からだろう。四十数年前からこの田原坂あたりで、不思議な出来事が起こるという噂を聞くようになりました。私は、臆病なので、田原坂に肝試しに行ってみようとは思わないのですが、話だけは集まってくるのです。
 最初に聞いたのは、こんな話。田原坂へ真夜中、興味半分で出かけた男女が、農道を走っていると前方で人の気配がする。それでブレーキを踏んだら、目の前に髪を振り乱した侍が現れ、道の真ん中で両手を広げたそうです。そんな馬鹿な?!と自分の目を疑っていると、侍姿の刀を手に持った男たちが目の前を横切って行った。最後の一人が横切ると、目の前の侍もいなくなっていた、と。帰ったら女性たちは高熱が出て、数日間起き上がれなかった、と。
 その話を聞いて興味を持った少年少女たちが、そんなの怖くないもんね、と、真夜中に田原坂に向かった。で、四、五人が自動車を止めて、田原坂の周辺を歩き回って肝試しをしたらしい。すると、地響きみたいに大勢が歩いているような音が聞こえたらしい。それで、皆が恐怖に駆られ逃げようとしたら、一人だけいない。辺りを捜すと、その若者は細い道でうずくまって掌を合わせていたんだって。慌てて皆で自動車まで引きずって戻ると猛スピードで逃げ帰ったそうな。失踪した若者に、「なんで、あんなとこにいたんだ?何をしてたんだ?」と尋ねても、本人は何をしていたのか、何を見たのか、記憶が全くなかったそうです。で、その若者はその後、何もなかったそうですが、車を運転していた男性は体調を崩してしまったらしい。皆の前に再び現れたときは、何があったかわかりませんが、話をしても半馬鹿状態になっていたとのこと。それを聞いた他の若者たちが肝試しに……と、話がリンクしていきますが、似たようなのが多く、省略。
 それから、当時、田原坂公園に電話ボックスがあったのですが、これにまつわる話も多かったなぁ。この電話ボックスは屋根に馬に乗った少年の像がある特殊なものでした。で、この電話ボックス、入るときは問題ないのに、出ようとするとドアが開かなくなる。あるいは、公園で何かの視線を感じて、振り返ると少年の像がじっと睨んでいる、と。
 そして、いつの間にか、電話ボックスは消えてしまったそうです。これは、別に霊的な理由からではなくて、携帯電話が普及して、利用されなくなったのでNTTが撤去したということだと思いますが。 集まってきた噂話が事実かどうか、確認のしようがありません。戦没者が一万四千名の激戦のあった所ですから、どんな都市伝説が発生しても不思議ではありません。むしろ、都市伝説の成り立ちがわかるサンプルになる場所のような気がします。これらは伝聞の伝聞でこちらに伝わってきたものがほとんどですが、直接、私の先輩が体験した話をご紹介しておきます。
 その先輩の話、「友人が電話してきて、誰にも相談しようがないから、と。じゃあ来い、というとやって来た。どうした?と尋ねたら、田原坂に行ったら憑かれた、と。どうあるんだ?と問うと(肩の方を指差し)ここらにドヨーンっといるんだ、と。憑いている、と。そんな馬鹿なこと!と思って、言ってやった。オイ。こいつに憑くくらいな俺に憑いてみろ!と。そしたら、肩の上から、どーんと次の週間憑かれた。友人は、わあ、ありがとう。おかげで軽くなった、と、さっさと帰ってしまった。その後、帰れとか、離れろとか頼んだけれど、効果はなくて、結局、専門の人に浄霊してもらった。除霊だと、すぐに寄ってくるから、浄霊でないといかん、と言われてね」
 この先輩は、霊とか非科学的なこととか、全く縁がない硬派なので、すごく記憶に焼き付いています。田原坂の謎も案外根が深いかもしれません。

出典:www.hakutake.co.j

髪を振り乱した侍とか、やっぱ昔の兵士の幽霊の話が多そうだね。
最後の先輩の話とか、真実味がありそう…。
パパ!こわいはなしはしちゃダメ!や、め、て!
???

本来なら、現在のメイン駐車場のある画像右側(東側)から向かうのが正解だと思います。今回、つい反対側から田原坂へ向かってみると…。

道は舗装されているのですが、ところどころ道幅も狭く、道に覆いかぶさるように樹木が迫ってきています。なんとなく重い空気を感じていたところ、どうやらこの道が、西南戦争 田原坂の戦い 一の坂、二の坂、三の坂だったようです。事前に知っていたらたぶん通らなかったよ(苦笑)。

一応無事に、数分程度で目的地の『田原坂公園』の駐車場に到着しました。

が、美少年兵の像が立っているこちらは旧駐車場でした(こちらの道からだと、もう少し先にメインの大きな駐車場がありました)。

案内をみてやっと知りました。

さきほどクルマで登ってきた道が、まさに『田原坂』だったんですね…。どうりで怖い感じがしたわけです。