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【ふらっと立ち寄り】「水かけ・願かけ狛犬」に「撫で石」、隠れた場所に「伊勢神宮・阿蘇本社 遥拝所」…立田阿蘇三宮神社は、なかなかお参りのし甲斐がありますねえ
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神社を参拝したあと、敷地内のとなる施設に気づく。なんだ?
【昭和40年(1965年)設立】初代館長・外村吉之介によって設立された、世界各地の民藝品を展示する「熊本国際民藝館」
熊本国際民藝館は昭和40年(1965年)に初代館長 外村吉之介によって設立された世界各地の民藝品を展示する民藝館です。
外村吉之介が世界各地を歴訪し、人と物との国際交流を重ねて集めた民藝品を展示しています。創設以来50年にわたって九州の民芸運動の拠点として活動してきました。昨今では 『民芸』『民芸品』という言葉が一般に使われていますが、実はその『民芸』とは大正時代末期に創始された『民芸運動』が語源であることはあまり知られていません。
『民藝』とは『民衆的工芸』の略語です。この『民藝』という言葉は、明治末期から昭和中期にかけて活動したの思想家の柳宗悦によって提唱され、広められた言葉です。
大人400円です。ひっそりとした木立の中、古い建物の中に入ると…。
ご年配の先客と入れ替わり。一人でゆっくり鑑賞できました。
初代館長の外村吉之介さん。熊本出身でないようですが、どういう方なのでしょう?
展示物には詳しい説明はありません。「見て感じろ」的なことが書いてありました(笑)。
二階もあります。
建物自体趣がありますねえ。
熊本・人吉地方などで有名な「きじ車」です。
個人的には、二階の玩具の展示が楽しかったです。
いいですねえ。
熊本国際民藝館
白壁に黒い屋根の土蔵造りの建物の中に、暮らしに根ざした陶磁器や竹かごなどの実用品を展示。民衆の間で作られ、使われている民衆的工芸品(民芸品)の簡素で健康的な美しさを目にすることができます。熊本だけでなく、外国のものもあり、ガラス、木工品、染色品、玩具など、さまざまな品々を展示しています。
【民藝とは?】ウィリアム・ブレイクのいう「直観」に導かれた柳宗悦、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と呼ぶ【民藝運動】
民藝運動の父、柳宗悦
柳宗悦は1889年(明治22)、東京麻布に生まれる。学習院高等科在学中に、武者小路実篤、志賀直哉らと雑誌『白樺』の発刊に参加。心霊現象、キリスト教神学などの研究や、西欧近代美術の紹介につとめる。
1913年(大正2)に東京帝国大学哲学科を卒業。このころより、朋友バーナード・リーチ(イギリスの陶芸家)の導きによってイギリス・ロマン主義期の神秘的宗教詩人で画家でもあったウィリアム・ブレイクの思想に傾倒し研究を深める。みずからの「直観」を重視するブレイクの思想は柳に大きな影響を与え、芸術と宗教に立脚する独自な柳思想の基礎ともなった。
(中略)
民衆の暮らしのなかから生まれた美の世界。その価値を人々に紹介しようと、「民藝」という言葉を作ったのは1925年(大正14)のことであった。翌年には、民藝品の美しさを公に展示するための「日本民藝美術館設立趣旨」を発表。また、「民藝」の理論付けとして『工藝の道』(1928年刊)をあらわして、「工芸の美は健康の美である」、「用と美が結ばれるものが工芸である」、「器に見られる美は無心の美である」、「工芸の美は伝統の美である」と説き、民藝美論の骨子を集約した。
1931年(昭和6)には、雑誌『工藝』を創刊する。この雑誌は、「暮らしの美」を啓発する民藝運動の機関誌として重要な役割をはたしていった。 柳の思想に共鳴する人たちもしだいに増え、各地での民藝品の調査収集や展覧会が盛んになるなか、1934年(昭和9)には民藝運動の活動母体となる日本民藝協会が発足する。
そして、いよいよ機は熟し、1936年(昭和11)に倉敷の実業家大原孫三郎氏の支援によって、現在ある東京駒場(目黒区)の地に日本民藝館が開設された。
ロック・グループ、ドアーズのバンド名もブレイクに由来する。これはハクスリーの本から影響を受けていたジム・モリソンの提案によるものである。
民藝とは何か
民藝運動について民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。当時の工芸界は華美な装飾を施した観賞用の作品が主流でした。そんな中、柳たちは、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付け、美術品に負けない美しさがあると唱え、美は生活の中にあると語りました。そして、各地の風土から生まれ、生活に根ざした民藝には、用に則した「健全な美」が宿っていると、新しい「美の見方」や「美の価値観」を提示したのです。工業化が進み、大量生産の製品が少しずつ生活に浸透してきた時代の流れも関係しています。失われて行く日本各地の「手仕事」の文化を案じ、近代化=西洋化といった安易な流れに警鐘を鳴らしました。物質的な豊かさだけでなく、より良い生活とは何かを民藝運動を通して追求したのです。
民藝ブーム
1950年代後半から1970年代にかけて、社会現象としての民藝のブームが発生した。「民藝」という言葉が生まれた当初、この言葉は民藝運動に携わる同人たちの間でのみ共有されていたが、1950年代ごろになると、「民藝」という言葉が一般的な言葉として受け入れられていった。その過程で、柳らの提唱した「民藝」からは離れて、「お土産品」や「特産品」としての「手工芸品」(いわゆる民芸品)と同じような意味の言葉として広まっていった。さらに、高度経済成長期を背景として、農村や「ふるさと」に対するノスタルジアが高まり、民芸品が消費の対象として商品化され、それを買い求める動きが都市生活者の中で盛んになっていった。
熊本国際民藝館は、立田阿蘇三宮神社の裏手にあります。ぜひ寄ってみてください!
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