↓白髪も混じりで渋さを増した元「アジアの大砲」高木監督の顔
🔷湘南戦後のコメント🔶
🎤試合を振り返ってみて?
💬全体をオーガナイズできたゲームではあると思います。ただ、結果として敗れたことはしっかり受け止めながら次のゲームに生かせるように準備したいと思います。#vvaren pic.twitter.com/n6nPKrXYs8— V・ファーレン長崎 公式 (@v_varenstaff) 2018年2月25日
プロフィール:高齢子育て中、飲酒は週末のみ
特技:奥さんをフォローすること(嘘)
プロフィール:ゆとり世代(さとり世代)、独身、潔癖症、シニカルな視点は世代のせい?
特技:インターネット超高速検索
最近の高木琢也(サッカー監督)と前川清(歌手)と蛭子能収(マンガ家)、ちょっと似てない?
出典:sports.yahoo.co.jp、笑われる勇気(Amazon)、前川清 大全集(Amazon)
もしかしてもう一人は蛭子さん?
上の写真は左から、高木琢也(たかぎたくや、サッカー監督)、前川清(まえかわきよし、歌手)、蛭子能収(えびすよしかず、マンガ家)
最近の高木監督、前川清、蛭子能収の顔だよ
そんなのがあるんですか?
地域によって顔の傾向ってあるでしょ?
関西人は関西人っぽい顔の人多いでしょ?
ゼイワン(J1)で戦うV・ファーレン長崎の高木琢也監督
「アジアの大砲」と呼ばれた元日本代表FW。現役時代は184センチの長身を生かしたスケールの大きなプレーでファンを魅了した。繊細さも併せ持ち、綿密な準備を怠らないタイプ。対戦前には相手の試合映像を最低でも5試合は研究するが、これは一般的な指導者よりはるかに多い。
「求められる限り、引き受けたい」と話すように、Jリーグで監督を務めるのは長崎が4クラブ目。サッカーへの情熱は衰え知らずだが、「美容院の頭皮マッサージで『硬いね。疲れていますね』と言われた」と笑う。12日で50歳。オフにはカヤックをこぎ、海から長崎市街の景色を楽しむ。妻とJ2山形に所属する長男利弥、長女との4人家族。長崎県南島原市出身。
昔からいい男だけど、なんていうか、深みのある男の顔になってきた
高木監督の白髪カッコいいよね
V・ファーレン長崎いいなあ・・・
※高木監督は2012年までロアッソ熊本の監督、2013年からV・ファーレン長崎の監督となり、2018年ついにJ1昇格を勝ち取りました。
バラエティ番組でも活躍、国民的歌手・前川清
※出身地・佐世保市で記念コンサートに際して(毎日新聞2018年2月1日 地方版より)
前川さんはクラブ歌手時代の1968年に「内山田洋とクール・ファイブ」に加入。翌69年2月に「長崎は今日も雨だった」でメジャーデビューした。ソロ活動の他、テレビ番組「笑顔まんてん タビ好キ」で人気を博している。2016年5月から佐世保観光名誉大使を務めており、前川さんは「のんきな性格になったのも佐世保の土地柄のおかげ。テレビを通して地元の良さをアピールしたい」と改めて抱負を述べた。朝長市長は「佐世保の誇りです」と握手を交わした。
出典:mainichi.jp
前川清も若いころから顔が変わらないよね
高木監督の顔がなんかちょっと前川清っぽくなってきたなあ
・・・と思ったんだよ
ちょっと白髪まじりで、真面目な表情の時が似てるよね
これがウワサの「長崎顔」だって
くまちゃんが勝手に言い出してるだけです
※「噂の女」は内山田洋とクール・ファイブの代表曲のひとつ
↓この選曲!前川清がマイ・フェイバリットな洋楽を歌っています!
人生相談も好評、マンガ家の蛭子能収氏
蛭子能収(エビス・ヨシカズ)
1947(昭和22)年生れ。長崎県出身(※)。漫画家、タレント。長崎商業高校卒業後、地元の看板屋に就職。1970年に上京し、チリ紙交換やダスキンのセールスマンとして働きつつ、漫画家を目指す。1973年、漫画雑誌「ガロ」に『パチンコ』が掲載され漫画家デビュー。1980年、33歳で漫画家専業に。ヘタウマな作風が人気を博す。1980年代後半からはタレントとしても活躍。テレビ番組に欠かせない存在となる。主な著書に『蛭子能収コレクション』『ひとりぼっちを笑うな』『蛭子の論語』『蛭子能収のゆるゆる人生相談』などがある。
※正確には、熊本県天草市生まれ、長崎県長崎市育ち。長崎市立長崎商業高等学校卒業。
面白いらしいよね
※「蛭子能収のゆるゆる人生相談」より
【Q】「私立高校1年と公立中学2年の2人の娘がいますが、お金が苦しいので、下の娘には、私立への進学を諦めてもらおうかと思っています。どう説得すればいいでしょうか?」(ゆゆか~さん・41・主婦・埼玉県)【A】「貧乏は恥ずかしいことじゃない。卑屈になるのがよくないだけ」(蛭子能収)
「金がないけん、公立へ行って」と言えばいいだけじゃないですか。2人とも私立に行かせられないことがつらいんですかね。金がないことを子どもに言えないのは、そもそも貧乏が恥ずかしいということがあるんですよね。オレは40歳までずっと貧乏でした。27歳で長男が生まれたときも貧しかったから、まずは「どうしよう」と考えて、ちっともうれしくありませんでした。
それでも、貧乏が恥ずかしいとか、つらいと思ったことがありません。2人の子どもにも、オレは稼ぎが悪いと正直に話していたし「金がないから我慢しなさい」と、よく言っていました。そのころのオレは、ちり紙交換をしていましたが、それを子どもたちに隠しませんでした。あえて言うと、日当で金がもらえたから毎日が給料日。金をもって家に帰れることが誇らしかったくらいです。家族を路頭に迷わさなければいいんですよ。貧乏といって、自慢することはないけれども、卑屈になることはいけないことだと思いますよ
出典:jisin.jp
【予想】10年後の福山雅治
福山雅治×ジョン・ウー監督、映画「マンハント」(2018年2月9日公開)
出典:eiga.com
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