熊本空港アクセス鉄道、肥後大津から延伸で合意https://t.co/UMZIfmZ3AU#熊本県 と #JR九州 は29日、JR豊肥線と熊本空港を直結する「空港アクセス鉄道」構想について、肥後大津駅から分岐・延伸するルート案に合意した。三里木駅からのルートが #TSMC 進出を受け再検討され、変更となった。#鉄道 pic.twitter.com/V0JZxmV3bt
— 西日本新聞me (@nishinippon_dsg) November 30, 2022
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【観光マップ】肥後巡り(昭和初期~30年代くらい?)
【熊本・延岡を結ぶ幻の計画】熊延鉄道、春竹、御船、軍神西住大尉墓地(甲佐)
【美里町】八角トンネル
大正4年4月、南熊本駅(熊本市)に開業。その後、下益城郡砥用(美里町)まで延線して、28.6キロ間を走っていた熊延鉄道の遺構のひとつです。
昭和39年に廃線になりましたが、落石よけのために作られたこの“八角トンネル(洞門)”は形も構造も謎が多く、7基が連なり間が空いている、という不完全な形は建設費削減説が有力のようです。近くには、同じ鉄道の遺構である“津留川橋梁”の橋脚も残っていて、約50年たった今でも貴重な産業遺構として多くの観光客を迎えています。
それぞれの想いを胸に、戦いはついに佳境へ──。西住姉妹と愛里寿の決戦を、大迫力でお届け。戦車道に青春を捧げる少女たちの生きざまを、余すことなく描いた『劇場版』のVariante(異本)、最終巻!
【昭和天皇も愛した名門ホテルもいまや廃墟】阿蘇観光ホテル、戸下温泉、スイッチバック
出典:bunshun.jp
出典:tabi-mag.jp
1939年(昭和14年)7月、政府資金融資を受けた国策ホテルとして開業。当時では珍しかった回転ドア・水洗トイレ・洋式のバス・フルコース洋食ダイニングルーム・バーなどの設備を整えた本格的な洋式のホテルとして大きな注目を集めた。 太平洋戦争が終結し、敗戦後においては米駐留軍の保養施設として利用される(ゴルフ場やビリヤード・プールやクレー射撃場などの設備もこの頃設置された)。
その後、九州産業交通が経営を引き継ぎ、同社の系列ホテルとして運営。
1957年(昭和32年)には、昭和天皇が熊本行幸の際に阿蘇にも立ち寄り、同ホテルに宿泊する事になり、施設の全館大改修がおこなわれている。以来、昭和天皇は同ホテルを大変気に入り、これ以降2度熊本を訪れた際には同ホテルを利用した。
1964年(昭和39年)7月9日に火災を起こし、本館3,500平米が全焼した。宿泊客・従業員とも避難して死傷者は出なかったが、ロビーに展示されていた海老原喜之助が描いた絵画のほか貴重な美術品が焼失している。出火原因は漏電が疑われ[2]、1年間の休業と復旧工事を経て営業を再開した。
赤い屋根が大きな特徴で、阿蘇山麓からのどこからでも見渡せる建物として知られた。洋式の本館・和式の「蘇峰館」、家族や団体向けの別館といった3つの建物からなったが、九州産業交通の経営不振により同ホテルは1999年(平成11年)12月に閉館される事が決定し、翌2000年(平成12年)2月に約60年の歴史に幕が下ろされた。
跡地は現在、本館(洋館)は当時のまま残されているが、新館と別館は解体されている。閉館後、2005年には廃墟となった建物を用いて映画「輪廻」のロケが行われた。
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【日吉つつじの色香も燃えて】日吉神社(大津)、黒石原ゴルフ場(黒石原ゴルフ倶楽部)
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こちら日吉神社のある高台から見下ろした風景(2008年頃撮影)。こちら今は無き「アルコール工場」。
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【熊本の私鉄】菊池電車、熊延鉄道、山鹿温泉鉄道(鹿本鉄道)、百貫線、昔の熊本の方が私鉄・市電が発達していた?
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菊池電車(熊本電鉄)の御代志駅はつい最近リニューアルされたばかり。
熊本市内中心部を走る「熊本市電」は、今も重要な市民の足となっている。
「南阿蘇鉄道」は、トロッコ列車が人気。
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山鹿温泉鉄道は、かつて熊本県鹿本郡植木町(現・熊本市)の植木駅と同県山鹿市の山鹿駅の間を通っていた鉄道路線。1917年12月22日開業、1965年2月4日廃止となった。※写真は、山鹿駅前の鉄道記念碑
熊本では熊本市電、菊池軌道の他に、熊本電気軌道が路面電車として百貫線・川尻線の2路線を経営していた。この会社は昭20(1945).に熊本市電に買収され消滅してしまったが、市電の歴史を語るのにこの会社を抜きにすることはできない。
出典:tram.2-d.jp
「肥後大津ルート」熊本県とJR九州が確認書 空港アクセス鉄道計画|熊本日日新聞#熊本のニュース #熊本日日新聞 #熊日 #熊本 #空港アクセス鉄道 #熊本空港
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