昨年4月の熊本地震で被災した熊本県南阿蘇村の阿蘇長陽大橋(全長276メートル)が27日、開通しました。(内)フルバージョンは→https://t.co/qeSM4HANai pic.twitter.com/MJiWHyogtN
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【1970年代】豊肥本線「立野駅」から歩いて。子どもの頃、戸下温泉の温水プールに通っていた記憶が…
【1980年代を待たず廃泉】戸下温泉は、1979年(昭和54)着工の立野ダムにより廃泉となった
戸下温泉(としたおんせん)
熊本県北東部、阿蘇(あそ)郡南阿蘇(みなみあそ)村戸下にあった温泉。泉質は含重炭酸土類石膏芒硝(せっこうぼうしょう)泉。阿蘇カルデラの西壁が雨水の侵食、あるいは断層によって切られてできた谷間、いわゆる立野(たての)火口瀬の中に位置する。黒川が白川に合流する手前の安山岩質断崖(だんがい)の割れ目からの自然湧出(ゆうしゅつ)を掘削して泉源とするこの温泉は、泉量の多い横穴式温泉としても有名であった。間近に中央火口丘の雄大な山裾(やますそ)、原生林で知られた北向(きたむき)山、数鹿流(すがる)ヶ滝などの自然景観に恵まれ、また国道57号、JR豊肥(ほうひ)本線立野駅からの便もよいので、宿泊施設の少ないわりに宿泊者数は多く、年々伸びていたが、1979年(昭和54)着工の立野ダムにより廃泉となった。[山口守人]
出典:kotobank.jp
立野ダム
熊本市など下流域で氾濫(はんらん)を繰り返してきた白川の洪水被害を防ぐため、国土交通省が1983年に事業を始めた治水ダム。総事業費約917億円で、2022年完成予定。総貯水量は約1千万立方メートルで、豪雨時に一時的に貯水し、下流へ流す水量を調整。今年度は本体工事に着手する計画だった。
(2016-05-24 朝日新聞 朝刊 2社会)出典:kotobank.jp
↓2023年5月完成!
立野ダム、洪水調節可能に 熊本・南阿蘇村、大津町 本体のコンクリート工事完了で式典、見学会|熊本日日新聞 https://t.co/qtbaK6mrw4 #熊本のニュース #熊本日日新聞 #熊日 #熊本
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【夏目漱石も宿泊】蜃気楼のように消えた温泉郷、戸下温泉(熊本・南阿蘇)
南郷谷(奥阿蘇)の玄関口、かつそこには巨大な温泉郷があった
戸下の七曲りは現在通行止になっているため、あんな所に道があったのか?と思う人がいるに違いない。しかしかつては南郷谷の玄関口であり、かつそこには巨大な温泉郷があった。明治32年の熊本県雑種税のうち温泉地等級をみると、一等が山鹿温泉、二等は日奈久温泉だが、三等に栃木温泉が、また四等に戸下、地獄、垂玉温泉が入っている(五等に湯谷温泉と黒川温泉もみえる)。当時の九州日日新聞をみると「南峡には栃木、戸下、地獄、垂玉、湯の谷の五温泉を有し、就中戸下、栃木は概して中流以上の浴客多く…」とあるが、この戸下温泉こそ、今はなき幻の温泉郷である。
戸下温泉は明治15年に開かれた。黒川と白川の合流し北向山の原生林を眺める風光明媚もあり、徳富兄弟、坂本繁二郎、佐藤春夫などが次々と訪れ一躍有名温泉となった。夏目漱石は『二百十日』執筆前にここに投宿し、その後阿蘇山に登って道に迷っている。戸下温泉の開発には特に長野一誠という地元の勇士が奔走して代々経営にあたり、碧翠楼という旅館名を出せばまだ思い出すかたも少なくなかろう。一誠は県議を3期務めたあと衆院議員となり、南郷谷の開発に力を注いだ功労者である。長野家にとってもここは拠点であった。
しかし現在、この戸下にはまったく何も存在しない。あれだけ栄華を誇った温泉郷が、まるで蜃気楼のように忽然と姿を消している。理由はダム問題だ。昭和59年の立野ダム損失補償交渉妥結調印により、栃木は川下から上がって営業を続けたが、戸下はおよそ200年の歴史に幕を閉じた。碧水楼があった場所には、現在ダムの補償金でできた長陽大橋の無骨な橋脚が、まるで昔を踏みつけるようにして聳え立っている。見ていて痛々しいが、しかしかつて車でも数分を要した戸下の七曲りが、今では数秒で通過できるようになった。これも時代の変化だろう。またこの戸下には、黒川に架かる30メートルほどの眼鏡橋がまだ現存している。なんと明治33年製の石橋で、昭和28年の大水害にも流れずけなげに生き残っている。
【思い出の戸下温泉】おばあちゃんは昔、戸下温泉で働いていたそうな
長陽大橋手前の展望スペースにて(2023年6月4日(日)撮影)。