2019年、くま(50歳)とR子(43歳)の子育て日記です。
第一子むーちゃん(♀)は5歳、そして、第二子たろー(♂)は2歳になります。
高齢出産、高齢子育て・・・引き続き、が、頑張ります。
☆☆☆☆☆
ママの友達が手術することになったので、手術の成功と回復を祈って六殿(ろくでん)神社へ。ここは熊本市内ですが、幣立神宮や高千穂神社に勝るとも劣らないパワースポット感あふれる場所です。
☆☆☆☆☆
ママの友達が病気に・・・
※ちょっとクールすぎる5歳児。う~む・・・。
※たろー様が現在よく使う言葉:「まま」「うん(肯定)」「あんぱんちー(否定、気に食わないと攻撃的になる)」「ぱぱ、たた、ばば(パパ)」「ねーねー」「にーにー(これもお姉ちゃんのこと。おかげでますますお姉ちゃんは男の子と間違われます)」「ばーば、ばあちゃん」「じじ(じいじ、ねずみ)」「にゃー(キティちゃん、猫一般)」「あんぱ(アンパンマン)」「あんにゃ(バイキンマン)」「もんもん(くまモン)」「あった(見つけたとき)」「ないねー(見つからないとき)」「ばか(誰が教えた・・・)」「%&#$(意味不明)」
【雁回山】熊本市中心部より約30分のパワースポット、古代様式の桜門も見事な六殿(ろくでん)神社
※境内に猫を発見して興奮するたろー様。
天皇在位60周年(昭和61年)を記念し、参道入口に建立された大鳥居をクルマでくぐって神社へ。
雁回山遊歩道案内図。寂れ具合もいい感じです。この日、散策している中高年夫婦も見かけました。
一人で階段を上るたろー様。お姉ちゃんとママはもう先に進んでるよ。
この桜門が、六殿神社の見どころのひとつです。
桜門について。古代様式と室町時代の調和なんですね。
中世社寺建築の主流は禅宗様式であるが、この桜門は古代の和様を基調としている点に特徴がある。しかし、古代の社寺建築は木割が大きく、力感を感じさせるのに対し、この桜門は木割が小さく、全体的に繊細で華麗さを感じさせ、同じ和様を基調としていても、古代と違う室町時代の特徴をよく示している。
子どもたちも、ママのお友達のことをお祈りしてくれたと思います。たぶん。
本殿の中も、雰囲気のある絵が多数ありました。鎮西八郎源為朝とか?
本殿側から見た桜門。桜門の下に、人懐っこい猫ちゃんもいました。
六殿神社は、治承2年(1178年)に、平重盛・武蔵の六孫王権現を勧請したと伝えられ、守富荘を治めた木原氏の氏神だと伝えられています。10月9日の大祭には、古式豊かな神楽と流鏑馬(やぶさめ)が奉納されます。神楽は肥後神楽の一つで木原神楽とも呼ばれ、起源・伝来は不明です。式神楽・三座神楽・新榊の舞・剣弓の舞・二剣の舞ほか7番の十二座舞われます。現在、木原神楽保存会が結成され、子ども神楽として伝承・保護されています。
また国指定重要文化財の楼門は、楼門は天文18年(1549年)に宇土城主名和氏が建てたもので、屋根は入母屋造のかやぶき、その他巧みな手法と複雑な装飾は、室町時代の典型的な建築の様を示しています。加藤清正は慶長5年(1600年)9月、宇土城を攻撃したとき、木原を通り楼門が焼けていないことから、由緒ある神社が無事だったことを喜び、「当神社に対する軍勢の乱暴、放火、竹木伐採を禁じ、違犯者は厳罰に処す」旨の制札を慶長5年10月6日境内に建てさせました。今に残るこの制札は、縦36.7㎝・横51㎝・厚さ0.8㎝、上部を山形に切り落とし、かすかに墨色を留めています。
昭和61年には天皇在位60周年を記念し、参道入口に大鳥居が建立されました。
本殿の周り、六殿を巡る
※すっかり猫ちゃんに夢中のたろー様。
本殿を取り囲む森林を順路でまわります。静寂の中、かなりのパワースポット感です。
六殿は、宿大神社、大王宮、中王宮、代官宮、菅原神社、鉾神社、の六つです。
源平の昔から史跡伝説に富む雁回山、そのパワーを貰えたはず!
雁回山(木原山)と呼ばれる標高314mの丘陵地帯、丘陵の北斜面の東北から西に広く展開する平坦地の単純な地形、富合平野はその面積19・75平方㎞、別名木原山の名において源平の昔から史跡伝説に富む。
古くから鎮西八郎為朝の伝説がある。為朝は源の為義の八男であるが、仁平元年(1151)13才のとき、乱暴を忌まれて、父から九州に追われた。はじめ豊後にあったが、肥後に入って阿蘇氏と結んだ。阿蘇平四郎忠景の子忠国のむこになり、鎮西八郎為朝と称した。
為朝の伝説は方々に残るが、木原山はことに有名で木原城(飛雁城)は為朝の城跡といい、雁回山の別名は、為朝の剛弓におそれて雁が列をみだしてからだという。
人懐っこい猫もいる!
社務所で売ってる御守りを首につけていたので神社の飼い猫ちゃんかと思われます。
たろー様は神社にいる間、ほとんど猫ちゃんと戯れていました。
猫ちゃん、またねー!