「【肥後の大津】塘町筋(とうまちすじ)と苦竹年禰(にがたけとしね)神社と小松屋の自動販売機」くまとR子の子育て日記(397日目)

子育て日記
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大津町・日吉神社に初詣したついでに、大きな水車のある上井手公園まで、塘町筋を歩いてみた。

関連エントリー→「【2020年初詣】今年の三社参りは、菊池神社、日吉神社、河尻神宮」くまとR子の子育て日記(395日目)

塘町筋は、あの自販機がある通りね!
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2020年、くま(50歳)とR子(44歳)の子育て日記です。
第一子むーちゃん(♀)は6歳、そして、第二子たろー(♂)は3歳になります。
高齢出産、高齢子育て・・・引き続き、が、頑張ります。
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九州のおへそ熊本、そのまた真ん中付近に位置するのが大津町です。大津町はその昔、参勤交代の宿場町として栄えたそうです。その面影を残した塘町筋を、上井出公園まで歩いてみました。
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おおづの歴史

 この地は阿蘇の外輪山から流れ出す伏流水の豊かなところです。地域の郷土史である『合志川芥』という書物には、「此の所は「火児国大水(ヒゴノクニオオズ)」にと呼ばれていた」とあります。 

 また、この一帯は古く肥後の豪族合志氏の支配下に属し、戦国の頃永正年間(1504~1520)に佐々木合志の支族十郎義廉(氏不明)が東嶽城(現日吉神社地)を築き、城主になるに当たり、「大水(おおづ)」と同じ読みの雅名を求めて「大津」と改名し、さらに自ら新しい領地名に則り「大津」を氏として、「大津十郎義廉」と名乗ったのではないかと思われます。これが大津の地名の由来と推定しています。

 天正15(1588)年加藤清正が肥後の領主として入国、大津下井手、上井手の開さくに着手しました。その没後、井手は、細川氏により完成し、1,300町歩に及ぶ一大穀倉地帯となりました。
 江戸期に肥後と豊後を結ぶ豊後街道の要衝として細川藩主参勤交代の宿場町となり、さらに近隣52村余りを統轄する藩政の役所である大津手永会所が設けられ、政治・経済・文化の中心として栄え、今日の基礎が築かれました。

出典:www.town.ozu.kumamoto.jp

加藤清正と細川さん・・・熊本の歴史にはこの二人の名前がたびたび登場する。
大津町の発展の礎を作ったのもの、加藤清正公と細川藩主なのね。
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肥後の大津の塘町筋(とうまちすじ)

出典:ar.kumanichi.com

ここは、菊池郡大津町中心部を流れる「上井手(うわいで)用水」。江戸初期の建造で、瀬田で白川から取水される灌漑(かんがい)用水です。
その開削工事に伴って形成された堤(塘=とも)に沿って豊後往還が設けられ、かつて一帯は、宿場「塘町(とうまち)筋」としてにぎわいました。

出典:ar.kumanichi.com

僕的には、ここの通り沿いは大津町の山の手、一級住宅地と思っている(笑)。
駅にも役場にも近いしね。
大津町のホームページより、さらに詳しくみると・・・。

寛永の頃に熊本藩主細川忠利公により堀川(瀬田上井手)の開削工事が再開された際、工事の廃土により築かれた川塘の上に建てられた町並みが塘町筋です。

 ここは、豊後街道に面しており、宿場形成のために一部白川筋の住民を移住させるなど、当時政策的に作られた町です。

 旅籠・商家などが軒を連ねて宿駅大津の中心地となった。堀川の北側に並ぶ光尊寺・年彌神社・大願寺は何れも新住民の定着を願って建立されたものです。また、堀川には、上流から
地蔵橋(大林出分) 〔文政11年(1828)〕
光尊寺橋〔文化12年(1815)〕
松古閑橋〔安永 8年(1779)〕
大願寺橋〔江戸中期〕
井手上橋(塔の迫橋)〔文化14年(1817)〕

の5基の石造眼鏡橋があり、このうち下流の4基がこの町筋にあります。さらに、西南戦争の弾痕の残る大願寺山門や芭蕉百年忌に建立された芭蕉句碑など、往時をしのばせる史跡が多く、ここは歴史の香りのする町並みとなっています。

出典:www.town.ozu.kumamoto.jp

考えてみると、江戸時代の塘町筋、旧国道57号線沿いの商店街、そして現在の大津バイパス(今の国道57号線)沿いと、大津町のメインストリートは南下していったんだよね。
なるほど。
じいじとばあばのおうちのちかくでしょ。
じいじ?ばあば?

※たろー様が現在よく使う言葉:「まま」「うん(肯定)」「ぱぱ、たた、ばば(パパ)」「ねーねー」「にーにー(これもお姉ちゃんのこと。おかげでますますお姉ちゃんは男の子と間違われます)」「ばーば、ばあちゃん」「じじ(じいじ、ねずみ)」「にゃー(キティちゃん、猫一般)」「あんぱ(アンパンマン)」「あんにゃ(バイキンマン)」「もんもん(くまモン)」「あった(見つけたとき)」「ないねー(見つからないとき)」「ばか(誰が教えた・・・)」「あめ(キャンディーの方です)」「あんぱんちー(否定、気に食わないと攻撃的になる)」「きっく(すべてパンチだったがパンチとキックを区別するようになった)」「えーえー(仮面ライダー01のこと)」「たーたん(お姉ちゃんがたーちゃんと呼ぶので自分のことをたーたんと呼ぶようになった)」「き(好き)」「たーたん、まま、き(たろうはママが好き)」「ねーねー、まま、しゅき。たーたん、ぱぱ、しゅき(お姉ちゃんはママが好き。たーちゃんはパパが好き)」「まま、いらん(ママが気に食わない時。ママ大ショック・・・)」「だめ」「%&#$(意味不明)」

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上井手公園と水車と苦竹年禰(にがたけとしね)神社

肥後大津駅は北側と南側に乗降口があって、どちらかといえば今は南口の方が賑やかになってきているかもしれない。しかし昔は北側の乗降口しかなくて、そこからの続くわずか数百メートル大津駅通りが町の中心だった。
ふーん。
そして、数年前、この大津駅通りから、塘町筋をぶち抜いて、本田技研方面へとのびる立派な道路が作られ、町の中心部の景色もずいぶん変わった。この新しい道路の入口あたりに位置するのが、上井手公園と水車と苦竹年禰(にがたけとしね)神社だよ。
上井手公園は、まだ新しい公園なのね。

上井手公園は、加藤清正の治水政策の結果、白川の水を広く灌漑などに役立てるための上井手をある意味顕彰するための公園で、水車なども復元されています。この水車と苦竹年禰神社の鳥居がなかなか良い雰囲気を醸し出してます。

上井手(堀川とも)の流れの音も心地よく、加藤清正の治績の凄みを感じたりもします。

この上井手沿いは散策に向いており、塘町筋と呼ばれています。
菅原神社・大願寺・天満宮・阿弥陀三尊来迎図像塔・松古閑地蔵堂・光尊寺・日吉神社など歴史にふれることができます。

加藤清正は、上井手を作るために、白川沿いの住民を移住させたそうですが、住民たちは氏神から離れるのを恐れたようなので、元の場所から遷座させたそうです。

出典:allkumamoto.com

いつもクルマで通り過ぎていたけど、こうやって近くを歩くのは初めてかも。
なかなか風情があるわね。
こうえんに、ゆうぐはないの?

※ここは遊具があるような公園ではありません(苦笑)。

ねーね?

上井手公園は、JR肥後大津駅の北口を出て、徒歩数分のところ。

水車の手前、公園の入口付近の立派な門構えは、参勤交代の頃に細川藩の施設の名残りだそうです。

水車はなにかと大津町の発展に貢献してきたようです。

苦竹年禰(にがたけとしね)神社の由来です。子どもの頃、よくここで遊んでいたのに、初めて知った(苦笑)。

年禰神社

旧年禰神社 苦竹の氏神です。「年禰」とは、一年の稔りを祝う言葉です。室町時代、鍛冶村で刀鍛冶業を営む延寿氏が、阿蘇神の三神を、旧苦竹村(現新村)に勧請しました。ところが、江戸初期の上井手開削にあたり、苦竹の村人を苦竹町(現室町南側)に移住させ、あわせて当社も寛永8(1631)年に井手の北岸に遷宮されました。護岸と宿駅の街並形成のため集められた住民の鎮守として遷されたのでしょう。

 ここには、全国でも珍しい鯰の石絵馬が奉納されてありました。方形の安山岩の表面には、一対の鯰が陽刻されています。両側に陰刻の銘文があり、江戸中期宝永2(1705)年に井手筋の苦竹町の住人が納めたとあります。近接する上井手の安全を祈念して、水の神である阿蘇の神様を象ったのでしょうか。(町指定文化財・大津町歴史文化伝承館所蔵)

奉納の5年後になる宝永7(1710)年には住民の苦竹帰住が許されて、故地に新村が形成されました。そのため、当社の氏子は室町・新村両処におられます。ここは、大津町の街並の元となる塘町筋形成の歴史を物語る史跡です。

 昭和38(1963)年から平成20(2008)年、南側に中央公民館(旧大津地区分館)があり北側に移されていましたが、町の都市計画に伴い平成26(2014)年に原地に再建されました。

出典:www.town.ozu.kumamoto.jp

この神社、昔は公民館の裏にあって、人目につく機会も少なかったんですよね。

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なぜかビールが安い、小松屋の自動販売機

出典:Googleストリートビュー

そして、知る人ぞ知る・・・なぜかビールが安い、小松屋の自動販売機。
ねーねー、それ秘密にしとこうよ(苦笑)。
あ、ままがいつもびーるをかうところ!ぎゃははは!
まーま、びーる!

昭和30年代の建築で、まるで当時の町から抜け出てきたような「小松屋」さんです。

出典:ar.kumanichi.com

小松屋前の憩いのスペース。趣のある場所ですが、昼間からここで飲んでる人もちらほら?(笑)

出典:ar.kumanichi.com

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