【熊本の私鉄】菊池電車、熊延鉄道、山鹿温泉鉄道(鹿本鉄道)、百貫線、昔の熊本の方が私鉄・市電が発達していた?

熊本ぼちぼち新聞
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熊本空港アクセス鉄道は、どうやら肥後大津から延伸で決着したらしい(2022年12月現在)。ところで、熊本の古い観光マップを見ていたら、昔は熊本市中心部から伸びる私鉄がいろいろあったんだなあ、と驚いた。今はほぼ廃線となっているが、もし熊本の私鉄があのまま発展していたら…と想像が膨らむ。僕らの生活もまた変わっていただろうなあ。
現在は、菊池電車(熊本電鉄)が合志まで走っているだけ、でしょうか。

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【観光マップ】肥後巡り(昭和初期~30年代くらい?)

出典:page.auctions.yahoo.co.jp

ヤフオクに出ていたこの古い観光マップ。今となっては聞きなれない地名や路線が掲載されていて…実に興味深い(福山雅治風)。
ふむふむ。
出品者は、昭和30年代くらいの観光マップと推測しているとのことだが、もっと古い可能性もある。
例えば、「江津湖」(えずこ)が「畫津湖」になっていたりと、古い漢字が多用されています。
「画図」と「江津」があるのは知っていたが「畫津」は初めてみたぞ。そして気になるのが、JR(当時の国鉄)の路線の他に、赤と白の線で私鉄と思われる見知らぬ路線図がいくつか伸びているところ。「菊池電車」はわかるが、その他は今は存在しない私鉄かと思われる。まあ「熊延(ゆうえん)鉄道」の名前くらいは聞いたことあるが。
「熊延鉄道」の他にもいくつか、赤白の路線図がありますねえ。

出典:page.auctions.yahoo.co.jp

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【熊本・延岡を結ぶ幻の計画】熊延鉄道、春竹、御船、軍神西住大尉墓地(甲佐)

出典:www.pref.kumamoto.jp

「熊延鉄道」とはもともと熊本と延岡(宮崎県)を結ぶ壮大な計画だったらしい。しかし、実際には南熊本(当時の春竹)と美里町の砥用(ともち)を結ぶ路線として、蒸気機関車やディーゼルカーが走っていたという。
熊本市内から嘉島町、御船町を通って、甲佐町、美里町へと向かいます。今ももし「熊延鉄道」があったら、それはそれで便利そうですよね。

【美里町】八角トンネル

 大正4年4月、南熊本駅(熊本市)に開業。その後、下益城郡砥用(美里町)まで延線して、28.6キロ間を走っていた熊延鉄道の遺構のひとつです。
昭和39年に廃線になりましたが、落石よけのために作られたこの“八角トンネル(洞門)”は形も構造も謎が多く、7基が連なり間が空いている、という不完全な形は建設費削減説が有力のようです。近くには、同じ鉄道の遺構である“津留川橋梁”の橋脚も残っていて、約50年たった今でも貴重な産業遺構として多くの観光客を迎えています。

出典:kumamoto.guide

地図にある、甲佐町の「軍神西住大尉墓地」も気になった。「軍神西住大尉」とは当時有名だったらしい。
え~と(検索中)…甲佐町出身、大日本帝国陸軍軍人の西住小次郎さんは、戦死後、軍部から公式に「軍神」として最初に指定された軍人だったそうです。アニメ『ガールズ&パンツァー』の主人公、西住みほの名前もここかららしいですね。

出典:dic.pixiv.net

出典:ja.wikipedia.org

それぞれの想いを胸に、戦いはついに佳境へ──。西住姉妹と愛里寿の決戦を、大迫力でお届け。戦車道に青春を捧げる少女たちの生きざまを、余すことなく描いた『劇場版』のVariante(異本)、最終巻!

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【昭和天皇も愛した名門ホテルもいまや廃墟】阿蘇観光ホテル、戸下温泉、スイッチバック

出典:bunshun.jp

「軍神西住大尉墓地」の記載もあるから観光マップはやはり戦後、昭和20年代から30年代くらいのものかな。有名な立野の「スイッチバック」は、豊肥本線全線開通(昭和3年)後かと思われる。
豊肥本線(ほうひほんせん)・立野駅では、立野駅と赤水駅の標高差188mを克服するためスイッチバックが取り入れられています。

出典:tabi-mag.jp

甲佐町方面から、興味を阿蘇方面へと移すと、今は無き「阿蘇観光ホテル」が気になる。当時は相当立派な観光ホテルだったと思われる。
え~と(検索中)…阿蘇観光ホテルはかつての国策ホテルとして相応の格式を持ったホテルで、天皇陛下も利用されていたそうです。2000年(平成12年)2月に約60年の歴史に幕が下ろされました。

1939年(昭和14年)7月、政府資金融資を受けた国策ホテルとして開業。当時では珍しかった回転ドア・水洗トイレ・洋式のバス・フルコース洋食ダイニングルーム・バーなどの設備を整えた本格的な洋式のホテルとして大きな注目を集めた。 太平洋戦争が終結し、敗戦後においては米駐留軍の保養施設として利用される(ゴルフ場やビリヤード・プールやクレー射撃場などの設備もこの頃設置された)。

その後、九州産業交通が経営を引き継ぎ、同社の系列ホテルとして運営。

1957年(昭和32年)には、昭和天皇が熊本行幸の際に阿蘇にも立ち寄り、同ホテルに宿泊する事になり、施設の全館大改修がおこなわれている。以来、昭和天皇は同ホテルを大変気に入り、これ以降2度熊本を訪れた際には同ホテルを利用した。

1964年(昭和39年)7月9日に火災を起こし、本館3,500平米が全焼した。宿泊客・従業員とも避難して死傷者は出なかったが、ロビーに展示されていた海老原喜之助が描いた絵画のほか貴重な美術品が焼失している。出火原因は漏電が疑われ[2]、1年間の休業と復旧工事を経て営業を再開した。

赤い屋根が大きな特徴で、阿蘇山麓からのどこからでも見渡せる建物として知られた。洋式の本館・和式の「蘇峰館」、家族や団体向けの別館といった3つの建物からなったが、九州産業交通の経営不振により同ホテルは1999年(平成11年)12月に閉館される事が決定し、翌2000年(平成12年)2月に約60年の歴史に幕が下ろされた。

跡地は現在、本館(洋館)は当時のまま残されているが、新館と別館は解体されている。閉館後、2005年には廃墟となった建物を用いて映画「輪廻」のロケが行われた。

出典:ja.wikipedia.org

阿蘇観光ホテルは一度も利用したことがない。近くの「戸下温泉」の温水プールにはよく通っていたが、こちらも今はない。淋しいのう。
熊本地震以後、阿蘇大橋、長陽大橋の周辺もかなり変わりました。

関連エントリー→長陽大橋の下に消えた、今はなき幻の「戸下温泉」(熊本・南阿蘇)

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【日吉つつじの色香も燃えて】日吉神社(大津)、黒石原ゴルフ場(黒石原ゴルフ倶楽部)

関連エントリー→「【初詣】境内には遊具、神社南側のつつじ園は迷路のように走り回れる|日吉神社(菊池郡大津町)【日吉つつじの色香も燃えて】」くまとR子の子育て日記(248日目)

続いて菊池方面に目を移す。大津町の「日吉神社」がやけに大きく記載されているなあ。もともとそんなに存在感のある神社だったのか?
地図の中の寺社では、「菊池神社」「高橋稲荷」そして「日吉神社」が掲載されています。
日吉神社の近くには「黒石原ゴルフ場」とあるが、黒石原ゴルフ場(黒石原ゴルフ倶楽部)は、黒石原だから自衛隊の黒石原演習場あたりにあったのだろう。黒石原ゴルフ倶楽部は、現在の「くまもと阿蘇カントリークラブ」の前身らしい。

出典:golfdigest-play.jp

「くまもと阿蘇カントリークラブ 湯の谷コース」は、1952年に開場した井上誠一氏監修、保田与天氏が設計を手掛けた熊本最古のゴルフ場です。

出典:aso-yunotani.co.jp

こちら日吉神社のある高台から見下ろした風景(2008年頃撮影)。こちら今は無き「アルコール工場」。

関連エントリー→「【くまもと公園探訪】大津中央公園、昔ここにはアルコール工場があってのう・・・(遠い目)」くまとR子の子育て日記(412日目)

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【熊本の私鉄】菊池電車、熊延鉄道、山鹿温泉鉄道(鹿本鉄道)、百貫線、昔の熊本の方が私鉄・市電が発達していた?

出典:twitter.com

いやいや、一枚の観光マップから、かつての熊本観光に想像が膨らんで楽しかったよ。てゆーか、昔の熊本の方が私鉄が発達していたなんてビックリ。
唯一現存する「菊池電車」も、今は菊池市の手前、合志市・御代志駅までです。ただ御代志駅も最近新しくなったようですね。そうそう。熊本にはあと市電もありましたね。路面電車は熊本市内中心部でまだまだ存在感を示しています。
あ、現存する私鉄は「南阿蘇鉄道」もあるね。第三セクター方式だが。

菊池電車(熊本電鉄)の御代志駅はつい最近リニューアルされたばかり。

出典:mobile.twitter.com

熊本市内中心部を走る「熊本市電」は、今も重要な市民の足となっている。

出典:kumamoto-guide.jp

「南阿蘇鉄道」は、トロッコ列車が人気。

関連エントリー→「【南阿蘇】トロッコ列車、秋の南郷谷を走る」くまとR子の子育て日記(227日目)

古い観光マップには、「菊池電車」や「熊延鉄道」の他、「鹿本鉄道(山鹿温泉鉄道)」、「百貫」とある。
「鹿本鉄道(山鹿温泉鉄道)」、「百貫線」は廃線となりました。かつて路面電車は、「百貫線」「川尻線」の2路線も存在したようですね。

山鹿温泉鉄道は、かつて熊本県鹿本郡植木町(現・熊本市)の植木駅と同県山鹿市の山鹿駅の間を通っていた鉄道路線。1917年12月22日開業、1965年2月4日廃止となった。※写真は、山鹿駅前の鉄道記念碑

出典:ja.wikipedia.org

熊本では熊本市電、菊池軌道の他に、熊本電気軌道が路面電車として百貫線・川尻線の2路線を経営していた。この会社は昭20(1945).に熊本市電に買収され消滅してしまったが、市電の歴史を語るのにこの会社を抜きにすることはできない。

出典:tram.2-d.jp

もしもこれらの私鉄・市電が、過去から現在にかけてもっと発展していたなら?
熊本県民の生活は、どう変わっていたでしょうか?
もし菊池電車が菊池市中心部からさらに大津町まで伸びていたら、これから誕生する「熊本空港アクセス鉄道」とリンクして便利だったからもね。さらにいうなら、市電が健軍から益城町を通って熊本空港まで伸びていたら…熊本市・益城町・大津町・菊池市・合志市を結ぶ環状線ができていたのにね。そして真ん中を突っ切るのがJR豊肥本線だよ。そしたら福岡、いや東京・大阪なみの公共交通網が完成したかもね。あ、でも地下鉄がないか(笑)。
地下鉄がなくても(苦笑)…熊本市と周辺都市が環状線で結ばれていたら、相当便利ですよ。今の熊本はクルマ社会です。ですが、もし公共交通網が発達していたら、クルマがない人にももっと生活しやすい熊本になっていたことでしょう。

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