【暴言】過去も未来も星座も超えて…とり・みき氏かゆうきまさみ氏が原田知世と結婚しちゃえばいいのに【時をかける少女】

サブカル
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原田知世には幸せになって欲しい。いっそ、とり・みき氏やゆうきまさみ氏、昔からの熱心なファンと結婚しちゃえばいいのに。
は?
名前:くま(♂)
プロフィール:酔っ払いおじさん、広く浅く世間を語る
特技:リフティング50回
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【連載終了】とり・みき氏「ナカグロへの道」、自身の半生を振り返る連載終わる【熊本日日新聞】

地元・熊本日日新聞で、とり・みき氏が自身の半生を振り返る「ナカグロへの道」という連載をやっていて、毎朝楽しみに読んでたんだよねー。
つい先日、連載が終わりました。
連載後半にはやはり、原田知世の話題がぽつぽつと登場し、僕も当時のことを思い出してとても懐かしくなった。とり・みき氏らは20代前半でクリエイターとしての道を歩み始めた頃。僕は熊本の中学生で、サンロード新市街の映画館で「時をかける少女」を観た。多分に漏れず、薬師丸ひろ子の映画を期待して見に行ったら、すっかり同時上映の方に夢中になったという。

関連エントリー→1980年代にはすでに失われていた青春の風景、原田知世『時をかける少女』(1983年)のノスタルジー~僕の中の大林宣彦監督その3

こちら、とり・みきさんの文章を一部引用させていただきます。本当に原田知世さんが好きだったみたいですね。

 このころの某所での文章原稿に私は「世界は3つの要素で構成されている」と記している。3つとはすなわち
①原田知世と関係ないもの
②原田知世と関係あるもの
③原田知世

 である。
 尋常ではない。最初からこの連載をお読みいただいている方ならば、当然、過去回で何度か紹介した父親と女優のエピソードを思い出されるであろう。ルークよ、お前にもシスの血が流れているのだ。
 どういうわけか我々のようなマンガやアニメの創り手や、そのファンには彼女の支持者が多かった。これについては別場所で長々と考察したことがあるのでここでは繰り返さない。ともかくそういった連中の行き場のないエネルギーの帰結先は当然のごとく「同人誌を作ろう」ということになる。コミックマーケットが今のように肥大化する前の話だ。今から見れば豪華メンバーのこの同人誌は、しかし結局はコミケ等では販売されず、私家版として主演女優と『時かけ』の映画スタッフ等、一部の関係者のみに贈られることになった。

出典:kumanichi.com

出典:kumanichi.com

青少年層を中心に多くのファンを獲得し、漫画・アニメ業界人のゆうきまさみ、出渕裕、とり・みき、河森正治といった人々が本作について書いたり語ったりしたことでさらにそれが広がった一面もある。彼らは同人誌「TOMO 16」を作って原田本人へ贈ったり、本作の翌年に原田主演で撮影された『天国にいちばん近い島』の一般エキストラに参加するほどであった。また、ゆうきは、原田が出演したテレビドラマ『ねらわれた学園』と内容をミックスしたパロディ漫画「時をかける学園」(「ねらわれた少女」とルビ)を執筆している。2003年『アイドル映画30年史』(別冊映画秘宝)誌上で、ゆうき、とりに三留まゆみ、田中良直を加えた4人で「20年目の『時かけ』座談会」が行われた。

出典:ja.wikipedia.org

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【原田知世はいい!】若手クリエイターに原田知世旋風【1980年代】

出典:80sanime.hatenablog.com

若手アニメ関係者に原田知世旋風
出渕裕・河森正治・美樹本晴彦・とり・みき・ゆうきまさみと若手のアニメ、マンガ関係者にとって、去年は「時をかける少女」の原田知世の年。知世笑い、知世しゃべり、知世ポーズとおそるべき特技をみがく毎日をすごす。

出典:80sanime.hatenablog.com

「知世笑い、知世しゃべり、知世ポーズ」、あったねー(笑)。
え~と(検索中)…当時のあれこれをいくつか。

とり・みき氏「原田知世はいい!」

出典:twitter.com

ゆうきまさみ氏「原田知世はいい!」

出典:twitter.com

ゆうきまさみ氏ととり・みき氏も登場、当時の熱気が伝わってくる。

出典:twicomi.com

きっかけは1983年公開の大林宣彦監督の映画「時をかける少女」だった。観賞後、私の挙動は明らかにおかしくなった。人と話していて話題に窮すると(私はよく話題に窮するのである)「それにつけても原田知世はいいですよね」と脈絡もなくつぶやいていたし、時にはマンガの登場人物にも同じことをいわせた。当時書いたある文章原稿には「世界は3つの要素で構成されている」と記している。3つとはすなわち
・原田知世と関係ないもの
・原田知世と関係あるもの
・原田知世

である。
かように常軌を逸していたが、マンガ家をやっていたおかげで世間体という自制が働き幸い迷惑行動には至らなかった。

出典:www.nikkei.com

とり・みき氏が連載でも語っていたけど、映画『天国にいちばん近い島』の時、映画の撮影に紛れてニューカレドニアに行ったらしい(笑)。
すごいファンですね。

本作はほぼ全編が南太平洋の楽園、ニューカレドニアで撮影された。ニューカレドニアは日本からは非常に遠く、当時はまだ馴染みのない国であったが、この映画のおかげでブームをひきおこし、日本人観光客が増え、ロケが行われたウベア島には、島内に唯一のリゾートホテル「パラディ・ド・ウベア」ができたという。
(中略)
なお、リゾートツアー団体客を演じるエキストラの中には、原田のファンだった漫画家のとり・みき、メカニックデザイナーの出渕裕・河森正治らが参加している。とりは作中で重要な小道具となるタロウの紙芝居を描いている。

出典:www.wikiwand.com

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【そもそも原田知世とは?】角川春樹のポケットマネーで、大林宣彦が作り上げた幻想の中の少女【僕が愛した知世】

映画「時をかける少女」には、デビューしたばかりの彼女のフレッシュさ・ピュアさが奇跡的な映像記録として残っている。

出典:hominis.media

とり・みき氏らの愛、自分の思い出から原田知世を見てきたけど、そもそも、角川春樹と大林宣彦の彼女に対する思いが映画「時をかける少女」を生んだという事実。
角川春樹さんのポケットマネーで作られた映画だったんですね、へー。

企画経緯
原田知世は真田広之のファンで、映画『伊賀忍法帖』での真田の相手役を探す「角川映画・東映大型女優一般募集オーディション」に応募し、そこで角川春樹プロデューサーの目に留まり特別賞を受賞し芸能界入りした。その後、薬師丸ひろ子主演映画をテレビドラマ化した『セーラー服と機関銃』『ねらわれた学園』のヒロイン役を経て、本作で映画デビュー・初主演を果たした。角川は「原作のヒロインのイメージも、タイトル自体もぴったり」という筒井康隆原作の「時をかける少女」を選び、原田がとても気に入っていた『転校生』の監督大林宣彦に「尾道で原田の映画を撮って欲しい」と1982年6月にラブコールを出した。

(中略)
角川は「本当は自分が結婚したいくらいだけど、年齢の差で無理だから、息子の嫁にしたい」というほど原田に惚れ込んでおり、「彼女に1本だけ映画をプレゼントして引退させようと思う」と大林は伝えられた。大林は故郷の尾道でまた映画を撮るつもりはなかったが、角川の原田に対する思い入れを汲み取り、プライベートフィルムというニュアンスで監督を引き受けた。二本立ての併映は薬師丸ひろ子主演の『探偵物語』で、観客動員は保証されていたため、大林は若者に理解されなくても自分たちが楽しめるもの、大正ロマンチシズムをやろうと考えた。大林はのちに「あの映画は完全に僕と春樹さんの幻想の中の少女なんです」と語っている。

出典:ja.wikipedia.org

大林宣彦は語る。「あの映画は完全に僕と春樹さんの幻想の中の少女なんです」だと。
そして、角川春樹さんと大林宣彦監督は、映画を1本撮ったら、原田知世さんを一般人に戻そうと思っていたようです。

角川と大林は本作1本を原田にプレゼントして映画界から辞めさせようと考えていたため、原田の中学の卒業から高校の入学までの短期間に強行軍28日間で撮影した。通常1本の映画を撮るのは最低でも35〜40日、メジャーだと2ヶ月はかかる。必然的に徹夜での撮影が増え、キャスト・スタッフともほとんど睡眠を取らず、長時間の撮影で1日7回以上も食事が出た。大林によると、ずっと働いているスタッフといえど食べるのに飽きかけているときでも原田は豚汁を何杯も食べ、(残すと捨てざるを得なくなるので)スタッフに運んで食べるよう勧めて回った。その心遣いにカメラや照明などのスタッフが「頑張って撮ろう」という気になったと大林は話している。原田は「今日は暗いうちに帰れるんですか」という言葉も残している。原田は太ってラストカットの頃は顔が丸々していると話している。

出典:ja.wikipedia.org

ふたりのオジサンは本当に少女を愛していたんだね。そして無垢な少女は他のスタッフをも魅了していく。
こちらのコメントも興味深いですよ。

また、2013年『FLASH』の「僕と角川春樹が愛した原田知世よ!」という特集で大林は、本作の制作費1億5千万円は角川春樹のポケットマネーだったことを明かした。「角川春樹のプライベート映画だから、観客は角川春樹だけでいいと思っていた、二人の”あしながおじさん”ならぬ、”胴長おじさん”が、知世のために映画を1本プレゼントしてあげようと。知世が30歳、40歳、50歳、おばあちゃんになったとき、昔を懐かしんで、部屋でひとり誰も観なかった『時をかける少女』を観ている姿もいいな、と考えていた」「その思いが観客に伝わったんでしょう。純愛ラブレターをこっそり見せてもらったような感覚。またファンのみんなにとっても『僕が愛した知世』になった。それが、一種の奇跡を生んだんでしょうね」などと話している。

出典:ja.wikipedia.org

まさに奇跡だな。少女はついに日本全国の映画をみた若者をも魅了していく。繰り返すが、薬師丸ひろ子が好きで『探偵物語』目当てに映画館に行ったのだが、『時をかける少女』の原田知世により惹かれてしまったという。
当時はそんな人が続出したんでしょうね。

『時をかける少女』(ときをかけるしょうじょ)は、1983年7月16日に公開された大林宣彦監督、原田知世初主演の日本映画。筒井康隆のジュブナイルSF小説『時をかける少女』の最初の映画化作品。大林宣彦の「尾道三部作」(他の2作は『転校生』・『さびしんぼう』)の2作目に数えられ、ロケの多くを広島県尾道市(一部は竹原市)で行っている。
併映は『探偵物語』。
主演の原田知世は、第7回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。配収は28億円を記録し、邦画では年間2位となった。

出典:ja.wikipedia.org

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【純愛ラブレター】「時をかける少女」をもう一度【1983年】

出典:cress30.exblog.jp

また映画を観たくなった。もう何度観ていることだろう。

関連エントリー→1980年代にはすでに失われていた青春の風景、原田知世『時をかける少女』(1983年)のノスタルジー~僕の中の大林宣彦監督その3

その映画は、制作者たちが主役の少女ひとりのために作って、それがなぜか全国の観客をも魅了することになった奇跡の映画でした。

【ストーリー】
尾道の高校に通う16歳の芳山和子(原田知世)は、土曜日の放課後、理科室を掃除中にフラスコからこぼれた不思議な液体の匂いを嗅いで昏倒してしまう。
覚醒した和子は、その香りがラベンダーのものであることを確信する。
この時から和子は、時間を超える能力を持つようになった。
意を決して和子が同級生の深町一夫(高柳良一)にそのことを告げると…。
角川映画第2のヒロイン、原田知世の映画デビュー作。
映画と共に彼女自身の歌う主題歌「時をかける少女」も大ヒットした。
大林宣彦監督の「尾道三部作」にも数えられ、その後もテレビドラマ、アニメなど何度も映像化された不朽の名作。
【スタッフ】
原作:筒井康隆(角川文庫版)、監督:大林宣彦、脚本:剣持亘 潤色 大林宣彦、プロデューサー:山田順彦 大林恭子、撮影監督:阪本善尚、音楽監督:松任谷正隆、主題歌:「時をかける少女」(作詞・作曲:松任谷由実)/唄:原田知世
【キャスト】
原田知世、高柳良一、尾美としのり、根岸季衣、岸部一徳、入江若葉、きたむらあきこ、上原謙、入江たか子

エンディングの原田知世がまだ良いのである。

出典:twitter.com

【HD画質】原田知世 時をかける少女(1983年)

出典:Amazon

映画の音楽は松任谷正隆です。

原田知世シングル盤「時をかける少女」のB面「ずっとそばに」もユーミンの曲でとてもいい曲。バースデイ・アルバムも当時よく聴いたなあ。
こちらがデビュー・ミニ・アルバムなんですね。

1982年のデビューから35年。シンガーとしても女優としても、まさに円熟期を迎える原田知世のデビュー・ミニ・アルバム『バースデイ・アルバム』に、当時東芝EMIからリリースされた『ポシェット』『イマージュ』という企画アルバム、さらにシングル「愛情物語」といった作品の収録曲を含めた、最初期の作品集としてリイシュー。 (C)RS

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【暴言】過去も未来も星座も超えて…とり・みき氏かゆうきまさみ氏が原田知世と結婚しちゃえばいいのに【時をかける少女】

とり・みき氏所蔵のティーカップ。「時をかける少女」で知世さん演じる主人公が実際に使っていたものだとう(ただし口をつけるシーンはない)。

出典:www.nikkei.com

原田知世には幸せになって欲しい。いっそ、とり・みき氏やゆうきまさみ氏、昔からの熱心なファンと結婚しちゃえばいいのに。
とり・みきさんたちに怒られますよ(苦笑)。

原田知世 – 時をかける少女(Full Version) デビュー35周年記念アルバム『音楽と私』(2017年)より

「音楽と私」ツアー千秋楽

2017年11月28日火曜日
原稿執筆を抜けだしてBunkamuraオーチャードホールで原田知世さんの35周年記念『音楽と私』ツアー千秋楽を観てきました。今日は知世ちゃん50歳の誕生日でもあります。
ニューアレンジの『時をかける少女』で始まり、最後は再び伊藤ゴローさんと二人だけのボサノバ風時かけで終わるという構成。途中、サプライズでハッピーバースデーの演奏や、大林監督と角川春樹さんのビデオメッセージが流れたり。知世ちゃん自身による『くちなしの丘』のギターの弾き語りでは、はらはらして自分の胃が痛くなりました(いつもソロでは同じ想いをしているので他人事ではないのです)。

それにしても、歌手活動もしている俳優さんというのは他にもいるけれど、原田知世のようなスタンスで両方を続けている人というのは、ちょっと珍しい気がします。おそらく彼女にとっても、ときには片方が片方の救いになってきたことでしょう。そして、いっときは封印していた『時かけ』も、それ以前の曲である『ときめきのアクシデント』も、こうしてアニバーサリーのステージで歌えているというのは、長年のファンには、とても嬉しいことでありました。→「時をかけた少女」日経ビジネスオンライン 2013/11/28

出典:torimikisblogarchives.blogspot.com

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【追記(2023/7/4)】とり・みき氏はご結婚されてるらしい

とり・みき氏の短編集「山の音」「トマソンの罠」「パシパエーの宴」を読んだ。面白かったぞ。「山の音」なんて映画化してもいいんじゃない?
へー。
で、その中の「トマソンの罠の風景」という短編の中で、とり・みき氏が結婚されているらしいことが判明した。奥さん、いらっしゃるっぽい。「原田知世と結婚しちゃえばいいのに」なんて言ってスミマセン(笑)。
アハハ(苦笑)。

航空会社に務める狩野忠は、恋人である伏田英理の実家がある九州の山村を訪れた。帰郷した英理が音信不通となったためだ。英理の実家を訪ねるが、本人には会えず、英理の母親から「この土地の者との縁組が決まった」と伝えられる。狩野は英理に会おうとするが、仮面をつけた異形の者から「殺されるぞ。あの山伏のように……」と警告を受ける──。(表題作「山の音」より)
他に「カットバック」、「隣の女」、「羽根の塔」、「憑かれた男」、「砂浜のメリークリスマス」、「銀河ネットワークで歌を歌ったクジラ」(原作・大原まり子)を収録。

15年ぶりに学生時代住んでいた街を訪れた辰巳は、様変わりした街の風景に驚く。そこで辰巳は、ドアもないのに階段だけが壁に向かって消えている不思議な建物を撮影している人物に出会う。彼はそんな“無用の長物”をかつて巨人軍に在籍した大リーガーになぞらえ「トマソン」と呼んでいた。しかし辰巳は、その建物の不思議な造りの“理由”を、なぜか自分が知っている気がするのだ……。(表題作「トマソンの罠」より)
他に、「エリート」、「鰐」、「コインランドリー」、「雪の宿」、「帰郷」、「石の声」、「渋谷の螺子」、「トマソンの罠の風景」を収録。

ワイドショーのディレクター玉木康介は、人気女優が新興宗教「みことの会」に入信した事件を追っていたが、担当をはずされてしまう。代りに怪奇ネタを探していた玉木は、「件(くだん)」という人面牛身の妖怪の存在を知る。「件」は生後数日しか生きられないが、その間に予言をし、それは必ず的中するというのだ。取材を進めるなかで、「件」が「みことの会」とつながりがあることが判明する……。(表題作「パシパエーの宴」より)
他に「レンタルビデオ」、「カラオケボックス」、「木突憑」、「宇宙麺」、「甕」、「冷蔵(庫)人間第1号」、「金玉人間第1号」、「day dream」、「鏡地獄」(原作・江戸川乱歩、脚本・薩川昭夫)、「望楼」を収録。

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