↓この年、サザンオールスターズは活動停止中、桑田佳祐はクワタバンドを結成した。
プロフィール:高齢子育て中、飲酒は週末のみ
特技:奥さんをフォローすること(嘘)
プロフィール:ゆとり世代(さとり世代)、独身、潔癖症、シニカルな視点は世代のせい?
特技:インターネット超高速検索
今の時代につながる萌芽(ほうが)を探すよ
チャレンジャー号爆発事故で始まった~バック・トゥ・1986
この原発事故のニュースはなんとなく耳に入っていたけど、この数年後、1988年に佐野元春が『警告どおり 計画どおり』というシングルを発表してやっと、その意味について多少考えるようになった・・・我ながら意識低いのう(苦笑)
↓『警告どおり 計画どおり』は、シングル集に収録されています。
タレントのローラさんが、自身のインスラグラムに「みんなで沖縄をまもろう!」と投稿しました。呼びかけたのは、ホワイトハウスに向けた「辺野古の埋め立て中止」を求める嘆願書への署名です。(籏智広太 @togemaru_k)
【New】ローラがインスタで呼びかけた理由https://t.co/YWKMBss2d1
— BuzzFeed Japan News (@BFJNews) 2018年12月18日
んー、これについては移転以外のベターで実現可能な(政治的にも)案がなく、現状の問題を解決できなくなるので反対だなあ。
「みんなで沖縄をまもろう!」 ローラがインスタで呼びかけた理由 (BuzzFeed) – https://t.co/ni0ZAWfik8— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2018年12月19日
【新着記事】藤原 かずえ: 辺野古移転の反対を理不尽に正当化する理由なき反抗 https://t.co/GzFbKSi5jk pic.twitter.com/DdkujrhkQi
— アゴラ (@agora_japan) 2018年12月24日
田舎の高校生の僕なんかは、全くピンときてないけどね
そして、レーガン大統領はさらに歴史を動かしていく
関連エントリー→『レーガン、トランプ、バック・トゥー・ザ・フューチャー』~バック・トゥ・1985(遥か昭和60年への旅)
11月に亡くなった元米大統領の父 #ブッシュ 氏。冷戦終結、湾岸戦争という激動の時代を担った指導者でした。当時、外務省担当記者だった #三浦俊章 編集委員が振り返りつつ、いまの「政治から失われたもの」を考えます。https://t.co/jjyaSj6Ft1
— Asahi Shimbun GLOBE+ (@asahi_globe) 2018年12月14日
永遠の18歳・岡田有希子~遥か昭和61年への旅
全国コンサートがスタートして3日後の4月8日、自宅マンションでリストカットを行いガス自殺未遂。2階上のマンション住民がガス臭に気づき、管理人が110番と東京ガスに通報した。レスキュー隊が駆けつけたとき、岡田は押入れの下段でうずくまり、泣いていたという。現場から程近い北青山病院にて治療した後、芸能事務所に戻った直後の12時15分、事務所が入居しているビル(東京都新宿区四谷)の屋上から飛び降り、全身強打で即死した。享年20(満18歳没)。遺書とみられる、鉛筆書きの便箋が残されていた。
そしたら、体育教官室でテレビを見ていた生徒だか先生がびっくりした調子で、岡田有希子が死んだって・・・
原因は今でも不明だけど、年上の恋人・峰岸徹との関係か?
坂道を走りながら、16歳の僕はその意味がわからなかったね
↓2015年に復刻されています。
マラドーナ!マラドーナ!~遥か昭和61年への旅
出典:Amazon
1986年のサッカーワールドカップ(W杯)メキシコ大会は「マラドーナのための大会」と呼ばれた。彼を“伝説化”させた試合が、同年6月22日のイングランドとの準々決勝の2ゴールだった。
アルゼンチンの主将として臨んだ当時、25歳のディエゴ・マラドーナは、0-0で迎えた後半6分、相手GKとの競り合いとなり、ヘディングシュート。見事、ゴールが決まったが、左こぶしは明らかにボールに向かって動いていた。イングランドのGK・シェルトンは右手を高く挙げて「ハンドだ」と抗議した。しかし、主審の判断は覆らず、ゴールが認められた。試合後、マラドーナは「神の手とマラドーナの頭でゴールした」と「ハンド」を暗に認めた。“神の手ゴール”は、こうして生まれた。
ただ、マラドーナは「世紀の詐欺師」では、終わらなかった。そのわずか3分後、彼に、本物の神が舞い降りた。
センターライン付近でボールを得たマラドーナは、猛スピードでドリブルを開始。イングランドDFは懸命に追いかけ足元を狙いスライディングをかける。一瞬、バランスが崩れたが、倒れない。4人を抜き去ったマラドーナの勢いは増し、最後はGKもかわして、ゴール右にけり込んだ。60メートル以上を突破した「5人抜きゴール」に世界中が酔いしれた。マラドーナはひざまずき両手を高々と掲げた。その姿に、今度こそ観衆は熱烈な拍手と大きな歓声を浴びせた。プロの神髄を見せつけたテクニックは「神の手」さえも正当化してしまった。
イングランド戦を2-1で勝利したマラドーナは、準決勝のベルギー戦でも華麗なプレーで2得点を挙げた。そして、決勝の西ドイツ戦は、密着マークを受けながらも終了6分前、一瞬のスルーパスで決勝点をアシスト。3-2で西ドイツを下し、2度目の優勝に導いた。
これこそ清濁併せ吞む、サッカーの醍醐味か?
マラドーナの時代も遠くなってゆく
伝説の名実況 「マラドーナの5人抜き」 NHK山本アナ
【僕の1986年】クリスマスの思い出
僕の青春、この年はなんもなかったよ
でも、あの年、熊本市民会館にもKUWATA BANDが来たんだよね
その数年後、サザンの復活祭には福岡まで行ったのは確実に記憶してるんだけど・・・
なんかその記憶が夢の中なんだよねえ・・・行ったとしても一人で行ってるし、証拠はなにも残っていない
誰にも迷惑はかかりません
何もなかった青春の1ページだけど、KUWATA BANDをフォローできたのと、この年のクリスマスに放送された『メリー・クリスマス・ショー』だけがいい思い出だよ
関連エントリー→桑田・ユーミン・さんま躍動!1986年のメリー・クリスマス・ショー(Merry X’mas Show)!
ザ・ベストテンの中継をやっていて、たまたまそこを通りかかったという思い出がある、たしかあれも1986年だよ
懐かしいなあ・・・あの娘、大学を卒業してすぐに結婚したって風の便りに聞いたけど、今頃どうしてるかなあ
↓全英語詞のスタジオ・アルバム(ヒットシングル収録なし)
↓KUWATA BAND のすべてを楽しみたいならこのライブアルバム
↓KUWATA BAND時代のヒットシングル4曲も収録したベスト盤
↓初回盤には、約30年ぶりに発掘されたKUWATA BANDのMVを3曲収録