考察:なぜ我々は「社会の窓」という表現を使わなくなったのか?

最近あんまり使わない言葉
なんですか?
「(小声で)社会の窓が開いていますよ」
ああ・・・社会の窓ですね、最近は使わないですね

それは、ナカイの窓!
☆☆☆自己紹介ここから☆☆☆

名前:くまちゃん(♂)
プロフィール:高齢子育て中、飲酒は週末のみ
特技:奥さんをフォローすること(嘘)
名前:カエルくん(♂)
プロフィール:ゆとり世代(さとり世代)、独身、潔癖症、シニカルな視点は世代のせい?
特技:インターネット超高速検索

☆☆☆自己紹介ここまで☆☆☆

なんで「社会の窓」・・・?

ところで、なんで「社会の窓」って言うんだろうね?
え~と(検索中)・・・
しゃかいのまど【社会の窓】

〔昭和二十年代のラジオ番組名から〕
男性用ズボンの前に付いているファスナーを俗にいう語。

出典:kotobank.jp

男性のズボンのファスナーのことを指す「社会の窓」

男性のズボンのファスナーのことを指す「社会の窓」。この言葉は、昭和23年から放送されていたNHKのラジオ番組『インフォメーションアワー・社会の窓』に由来しているそうです。この番組は、社会のさまざまな問題の裏側を探るという内容で、「普段見られない部分が見える」といった意味合いから、ズボンのファスナーが開いていることを「社会の窓」と言うようになったとのこと。

ちなみに「社会の窓」、対象は男性だけで、反対に女性の場合は「社会」の科目名に引っ掛けて「理科の窓」などと言われることがありました。でも、こちらはほとんど普及しないまま消えてしまったようです。

出典:gakumado.mynavi.jp

へー、ラジオ番組からか・・・「理科の窓」なんて、定着しないしない!(笑
でもさあ、社会の窓が開いていますよ・・・って言われてすぐにやるのも、なんか気恥ずかしいんだよね(笑
いや、すぐに対応しましょうよ(笑
すぐにやると、素直に負けを認めるみたいで、なんかイヤじゃん
じゃあ、どうするんですか?
例えば、話題を変えて、相手の目先をちょっとかわした隙に、さっとチャックを上げるとかさ
メンドくさい人ですね(笑

なぜ我々は「社会の窓」という表現を使わなくなったのか?

では、なぜ我々は「社会の窓」という表現を使わなくなったのか?
何故でしょう?
う~ん・・・
感覚的に・・・オヤジギャグが嫌がられるのと一緒じゃないですか?
わざわざ、婉曲(えんきょく)に言うところが、逆にウザいとか?
そんなような気がしますね、おそらく
洒落なんだけどね・・・
そのへんの感覚が世代で違うんじゃないですか?
だったら、そのうち一周回って、この言葉が新鮮に感じるときがくるかもね
たぶん来ないと思います・・・

ところで・・・社会の窓が開いていますよ、を英語で言うと?

外人は何て言うのかね・・・そういうときは
「社会の窓が開いている」を英語で言うとですか・・・え~と(検索中)
Your fly is undone.
Your zipper is undone.

できるだけ紳士的にというのであれば、下の文かなと思います。
open「開いている」はちょっと直接的な感じがして私は使わないと思います。

出典:jack8.at.webry.info

ゆうあ、ふらい、いず、あん、どーん・・・ヨォ!
「ヨォ」はいらないです(笑
fly 可算名詞

a
[しばしば複数形で] (ズボンなどの)ボタン[ファスナー]隠し.
Your fly is undone. ズボンの前があいてますよ.
b
(テントなどの)垂れ幕[布] 《出入り口》.

出典:ejje.weblio.jp

他にも、こういう表現もあるそうです・・・
「社会の窓が開いている」のをどうして英語ではXYZを使って言うのでしょうか?

これは”Examine your zipper.”(あなたのチャックを調べてみてください)のことで、Examineの”X”と、yourの”Y”、zipperの”Z”の略号です。

出典:jack8.at.webry.info

い~くす、わい、ずぅえ~と!XYZの方がカッコいいね、こっちで覚えておこう!
(笑

提言:「社会の窓」に変わり得る、新たな表現を考える!

では、新しい言葉を考えてみよう!
新しい言葉?
「社会の窓」に変わり得る、新しい表現だよ・・・最近の若者もつい使っちゃいそうになる言葉
え~、そんな言葉、ありますかね・・・
「知覚の扉」はどう?
「知覚の扉」ですか?
知覚の扉

『知覚の扉』(ちかくのとびら、原題 The doors of perception)は、1954年発行のオルダス・ハクスレーの著書で、幻覚剤によるサイケデリック体験の手記と考察である。

※抜粋
体験後、ハクスレーは品揃え豊富な薬局に行き、ゴッホの画集を見る。「ゴッホの椅子」という物自体を描いたというコンセプトの作品を見ても、椅子には、絶対や永遠を見いだすことができず、佳作でありながらも所詮それらの象徴しか描けてないと感じる。いっぽう、ボッティチェルリの名作とは呼び難い絵に描かれた衣服のシワには、幻覚体験中に自分のズボンのシワに見たのと同様の、絶対や永遠を感じる。

出典:ja.wikipedia.org

君、「知覚の扉」が開いてるよ
いやいや・・・意味がまったくわかりません
そのくらいぶっ飛んでる方が、今の時代にあってるだろう?
えええ・・・
知らない人からいきなり、「知覚の扉」が開いてるよ・・・って言われたら怖いよね(笑
それ絶対に浸透しませんから!
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