『人類滅亡まであと何日・・・?』~バック・トゥ・1974(遥か昭和49年への旅)

1969年から2019年までの50年間を振り返るこの企画 ―――
今回は1974年(昭和49年)だよ
僕はまだ5歳だ!
僕はまだ生まれていません
1974年といえば・・・『木曜スペシャル』(日本テレビ系)にユリ・ゲラーが出演し、ブラウン管の向こうから日本中に大きな驚愕を与えた年だよ

出典:gakkenmu.jp

ユリ・ゲラーさん、くまちゃんとの会話によく出てきます(笑)

関連エントリー→結局、ユリ・ゲラーの超能力はホンモノだったのかニセモノだったのか?

出典:gakkenmu.jp

名前:くま(♂)
プロフィール:高齢子育て中、飲酒は週末のみ
特技:奥さんをフォローすること(嘘)
名前:カエル(♂)
プロフィール:ゆとり世代(さとり世代)、独身、潔癖症、シニカルな視点は世代のせい?
特技:インターネット超高速検索

「ウォーターゲート事件(6月)」「1974 FIFAワールドカップ(6-7月)」~バック・トゥ・1974

出典:commons.wikimedia.org

ウォーターゲート事件

ウォーターゲート事件とは、1972年6月17日にワシントンD.C.の民主党本部で起きた盗聴侵入事件に始まったアメリカの政治スキャンダル。1974年8月9日にリチャード・ニクソン大統領が辞任するまでの盗聴、侵入、裁判、もみ消し、司法妨害、証拠隠滅、事件報道、上院特別調査委員会、録音テープ、特別検察官解任、大統領弾劾発議、大統領辞任のすべての経過を総称して「ウォーターゲート事件」という。

出典:ja.wikipedia.org

ウォーターゲート事件は、ついにアメリカ大統領が辞任するまでに発展した政治スキャンダルだよね
トランプ大統領の話題の中でも、なにかと引用されることが多い事件です
それだけ、トランプを大統領から引きずり下ろしたい人が多いんだろうね・・・(笑)
くまちゃんはトランプ大統領が好きなんですか?
いやいや・・・でも、昨年から壮大なるブラック・ジョークを見ているみたいで、たまにこれは現実かと錯覚することもあるよ
ブラック・ジョークが悪夢に変わらないといいですね・・・

出典:commons.wikimedia.org

1974 FIFAワールドカップ

1974 FIFAワールドカップ(英: 1974 FIFA World Cup )は、1974年6月13日から7月7日にかけて、西ドイツ(現・ドイツ)で開催された第10回目のFIFAワールドカップである。西ドイツが決勝でオランダを2対1で下し、スイス大会以来2度目の優勝を遂げる。

この大会は既存のサッカー戦術に変革をもたらした大会であった。準優勝に終わったものの、今大会の台風の目となったオランダは、“フライング・ダッチマン”ヨハン・クライフを中心にヨハン・ニースケンスらが従来のポジションに捉われず目まぐるしく動き回る全員攻撃・全員防御の「トータルフットボール」を展開し、サッカー界にセンセーションを巻き起こした。

一方、優勝した西ドイツも円熟の境地を迎えた“皇帝”フランツ・ベッケンバウアーを中心としたリベロ・システムを披露した。オランダのトータルフットボールが全世界の注目を集めたため、それほど目立たなかったもののディフェンダーが戦術的に攻め上がるというシステムは画期的であった。“爆撃機”の異名を誇ったFWゲルト・ミュラーは決勝戦で決勝点を挙げ、西ドイツ代表の優勝に貢献した。

出典:ja.wikipedia.org

この年、この頃の日本では・・・この後にふれる長嶋監督引退の方が大きなニュースだったんだろうけど、実は世界のサッカー界では、「空飛ぶオランダ人」ことヨハン・クライフがサッカーの革命を起こしていた
全員攻撃・全員防御の「トータルフットボール」ですね
でもなんでクライフさんは「空飛ぶオランダ人」なんでしょう?
華麗なテクニックで、空を飛ぶように相手をかわすからでしょ?
ああ、なるほど
4年前の「1970 FIFAワールドカップ」で頂点を極めたペレとブラジルだったけど、時代は変わったことを印象づけた大会だったんだろうね
全員攻撃・全員防御・・・このオランダのスタイルが、多かれ少なかれ、今のサッカーの基本になっているようなことがよく言われますよね
そのオランダも、次のロシアで開催される「2018 FIFAワールドカップ」には出場できないからね、時代は変わっていくよね
いつの日か、アジアの国がサッカーのトレンドを示す日もくるのかしら?
もしそういうことがあるのなら、それが日本だったらうれしいですね
中国かインドじゃない?
人が多いし・・・(笑)

「長嶋茂雄引退(10月)」「佐藤栄作ノーベル平和賞受賞(12月)」「田中角栄内閣総辞職(12月)」~遥か昭和49年への旅


 プロ野球の引退試合で日本中の注目を集めた最初の選手は、元巨人の長嶋茂雄さんだろう。今なお語り継がれている名セリフ「わが巨人軍は永久に不滅です」に、後楽園球場の大観衆が、テレビの前の巨人ファンが涙したのが、1974年10月14日。
(中略)
 前年に第1次石油危機が起こり、戦後の高度経済成長期は終わりを告げた。40年前の74年はインフレが加速し、庶民の暮らしは「狂乱物価」の波にさらされていた。日本シリーズ9連覇を誇った巨人の黄金期もストップ。戦後最大のスターの引退に、朝刊社会面には「一つの時代を燃焼させた」という見出しが躍った。

出典:mainichi.jp

こちらも時代の節目を考えさせられるエピソード
日本の野球ですね
戦後続いてきた野球、巨人の黄金時代、川上、長嶋、王・・・野球に疎(うと)い僕ですら知っている
てゆーか、僕ですら、子どもの頃は野球をやってたからね
へー、くまちゃんがサッカーをやっていたのは知っていましたが
当時の少年はみんな、地域で野球やソフトボールを強制的にやらされるんだよ
張り切ってるおっさんがいてコーチをやってね・・・
その頃の子どもじゃなくてよかった(笑)
まあともかく、ヨーロッパでクライフが革命をおこしていた頃、日本では、「ミスタープロ野球」、「燃える背番号3」、巨人の長嶋茂雄が引退した
それにしても・・・昔の有名人って、こういう肩書っていうか、キャッチコピーがいいよね
僕はそういうステレオタイプなのはちょっと・・・
「燃える闘魂」アントニオ猪木、「下町の玉三郎」梅沢登美男とかね
さあ、次は政治の話・・・「政界の団十郎」「早耳の栄作」というニックネームを持つ佐藤栄作だよ

出典:ja.wikipedia.org

政界の団十郎?
早耳の栄作?

出典:commons.wikimedia.org

佐藤栄作ノーベル平和賞をめぐって

※抜粋

  • 1974年のノーベル平和賞受賞は、非核三原則の制定などが評価されてのものであった。
  • 平和賞を選考するノルウェーのノーベル平和賞委員会の一人のオイビン・ステネルセンは「佐藤氏を選んだことはノーベル賞委員会が犯した最大の誤り」と見解を述べて当時の選考を強く批判し、「佐藤氏は原則的に核武装に反対でなかった」と語ったという。
  • この報道に対して次男の佐藤信二は「受賞当時は一部から抗議を受けたが、それは誤解で父は真の平和主義者だった。非核三原則を打ち出したのは佐藤内閣であり、受賞はその点を評価された。父は受賞した時『佐藤個人ではなく、国がもらったものだ』と語っている」とコメントした。
  • 1974年(昭和49年)11月19日に元赤坂の迎賓館で行われた佐藤・キッシンジャー会談の具体的内容は、佐藤がキッシンジャーに、「もし可能なら、核兵器の先行使用の放棄を話し合うため、核保有5カ国が集まるよう受賞講演で提案しようと考えている」と述べ、全ての国が核兵器の先行使用を放棄する方向への提起を授賞式講演「核時代の平和の追求と日本」に盛り込みたい意向を伝えたが、キッシンジャーは、「米国はそうした話し合いへの参加を拒んでいる唯一の国だ」と答え、「米国が核兵器の先行使用を放棄したら、それは日本にとって危険だ」として、ソ連と中国の軍事的脅威を理由に拒んだ。
  • この受賞に対する当時の日本社会・世相の反応を示したものとして、赤塚不二夫の漫画『天才バカボン』に「佐藤栄作がノーベル平和賞をとって以来、世の中全てのことが全く信じられなくなった」という台詞がある。

出典:ja.wikipedia.org

佐藤栄作は、1964年から1972年まで内閣総理大臣をやった
長期政権だよね
その間、非核三原則提唱、沖縄返還などをなし遂げました
そして、ノーベル平和賞の受賞です
1972年に退陣しているから、僕はほとんど覚えてないもんね
僕が知ってるのは次の田中角栄からだよ
1972年に内閣総理大臣となった田中角栄さんは、この年、1974年にスキャンダルで退陣することになります
田中角栄、昭和49年(1974年)に「金脈問題」で退陣

 角栄氏は1918年、新潟県生まれ。高等小学校(現在の中学校)を卒業後、15歳で上京。住み込み店員などをしながら、1936年私立中央工学校を卒業、1943年土建会社を設立します。

 1946年の戦後第1回の総選挙で落選しましたが47年、新憲法下初の総選挙で新潟3区から初当選。89年10月に病気で引退するまで連続16回当選し、72年7月には54歳で首相に就任しました。

 首相になると、日中国交正常化を果たし、「日本列島改造論」をもとに開発主導の政策を推進しました。

 1976年のロッキード事件で、受託収賄罪などの容疑で逮捕。自民党を離れた後も、自民党最大派閥の旧田中派を率いて「キングメーカー」として政界に強い影響力を及ぼしました。

出典:withnews.jp

「コンピータ付きブルドーザー」、または、「目白の闇将軍」こと田中角栄ね
ニックネームをひっぱりますね(笑)
田中角栄って、今でも印象的な総理だけど、在任期間は短いよね
でも、この人は退陣後も、裏で政界を操っていたんだよね
影のドンというやつですね
うちのじいさんが田中角栄が好きで、うちに田中角栄の「わたくしの少年時代」という本があったなあ
ぱらぱらと読んだ記憶がある
田中角栄さんを題材にした本は今でも人気ですよね
あ、Amazonにあった(笑)

出典:commons.wikimedia.org

・・・この写真の男の顔をみてごらんよ
なんかやってくれそうな、強い顔をしてるでしょ
こういう顔の政治家って今いないよね・・・
意志が強そうな顔立ちですね
最近不遜(ふそん)な顔の有名人といえば・・・本田圭佑?
でも、この角栄の顔を眺めていると本田ですら子どもに見える
まあ、本田はまだまだこれからだろうけど・・・
本田圭佑選手も政治に興味がないこともないような発言をしていますからね
いや、絶対、いつか出てくるって
僕は間違いないと思うな


ノストラダムスの大予言ブーム~『宇宙戦艦ヤマト』、『アルプスの少女ハイジ』放送もこの年

「ノストラダムスの大予言―迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日」の購入はこちら→Amazon

冒頭ふれたように、この年ユリ・ゲラーの衝撃的なテレビと同時に・・・前年1973年に発売された、五島勉著「ノストラダムスの大予言」がベストセラーとなった
読んだことはありませんが、「恐怖の大王が降ってくる」・・・ですよね
そこは聞いたことあります
僕らの世代前後は、世紀末を本気で信じていたからね・・・
みんな多かれ少なかれ、1999年に何かあると心のどこかに思いながら、大人になっていった
これって人生に少なからず影響を与えていると思うよ
そうなんですか?
よくさあ、死を意識することで、人生をよりよく生きることができるみたいな人生訓があるでしょ?
あれって本当だと思うけど、それとは違って、自分が30歳かそこらの時に人類が滅亡するかもしれないって思って生きることは、あんまり人生にいい影響を与えないんじゃないかな・・・
滅亡に向かって生きるのはネガティブです
僕もオカルト好きだし、かなり本気で信じていた子どもだったから、自戒をこめて・・・
世界の不思議みたいなものにワクワクすることはいいことだと思うけど、人知を超えたものを前に絶望を覚えるだけで終わらせちゃうのはよくなかったなと、大人になった今、反省している
どうせ滅亡するからどうでもいいや、と思っちゃうってですか?
そうそう
少なからず、そういう気持ちもあったもんなあ・・・
世紀末の先、未来を見つめる勇気とやり方を自分で見つけることができたらいいけど、できない子も多いから大人は教えてあげなきゃね
子どもはなんでも信じちゃいますからね
そこでヤマトですよ
この年、「宇宙戦艦ヤマト」の放送が始まった
僕はヤマトに救われた部分も多いと思ってる
「ノストラダムスの大予言」と「宇宙戦艦ヤマト」は同じ年だったんですね

「ロマンアルバム 宇宙戦艦ヤマト」の購入はこちら→Amazon

ヤマト大好きだったんだよね
そうらしいですね
主人公になりきっていたんでしょ?

出典:トミー・ヤマケイ、甘いバリトンの誘惑~富山敬という伝説の声優

ヤマトの主人公・古代進になりきってたもんね、僕なんか(笑)
でも、僕はヤマトで「愛」という単語を覚えたよ
くまちゃん、5歳でしょ?
「愛」の意味を理解してたんですか?
いやいや、ヤマトはこの後の再放送、映画化、そして、2作目の映画『さらば宇宙戦艦ヤマト』でブームのピークを迎えるからね
僕が本当に夢中になったのは、その『さらば』以降だよ
小学校3年生とか4年生の頃?
それでも「愛」について考えるのは早熟だよね(笑)
意味は理解していなかったと思います(笑)
まあ、わからん(笑)
とにかく、1974年の『宇宙戦艦ヤマト』から、アニメブームは始まった
でも実は、ヤマトと同じ年に、『アルプスの少女ハイジ』もテレビで放送されたんだよね
1974年はいろんな意味で始まりの年だよね
ハイジもなんかの始まりなんですか?

「組曲 アルプスの少女ハイジ」の購入はこちら→Amazon

ハイジは宮崎駿の才能がはじめて一般視聴者に届いた作品だよ
監督じゃないけど、実質作品をしきっていたのは彼だからね
それまでも宮崎駿は才能の片りんを発揮していたけど、ひとつの作品として多くの人々にきちんと届いたのはこれが最初じゃない?
いわばジブリ作品の元祖という訳ですね
つまり、1974年という年に、今の日本のアニメーション隆盛のきっかけとなった『宇宙戦艦ヤマト』、『アルプスの少女ハイジ』というふたつのベクトルの違う作品が誕生したということだよ
なるほど


最後に・・・この年、僕が人生で初めて自分で買ったシングル・レコードがこれ
西城秀樹の「傷だらけローラ」!
(笑)
なぜに笑う?


『人類、月へ!』~バック・トゥ・1969(遥か昭和44年への旅)その1
『ビートルズの終焉・・・』~バック・トゥ・1969(遥か昭和44年への旅)その2
『われわれは明日のジョーである』~バック・トゥ・1970(遥か昭和45年への旅)その1
『私の人生暗かった・・・圭子の夢は夜ひらく』~バック・トゥ・1970(遥か昭和45年への旅)その2
『世界金融の転換点、ニクソン・ショックで変動相場制へ』~バック・トゥ・1971(遥か昭和46年への旅)
『沖縄返還、平和の祈りをパイルダーオン!』~バック・トゥ・1972(遥か昭和47年への旅)
『ブルース・リー、死す・・・「考えるな、感じろ!」』~バック・トゥ・1973(遥か昭和48年への旅)