今回は1973年(昭和48年)ね
日本の現代史を振り返りつつ・・・僕の歩んだ50年を再確認する意味合いもある
過去と現在と未来はつながってることを学ぶ企画だぞ!(悦)
1973年、ふたりは出会った。若きトランプに帝王学を授けたといわれる悪名高き弁護士。https://t.co/cW6QxHcwhw pic.twitter.com/kTo43euvGx
— GQ JAPAN (@GQJAPAN) 2017年11月14日
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デビュー2作目(1980年)ね
「ドバイ日航機ハイジャック事件(7月)」「金大中事件(8月)」「第四次中東戦争(10月)」~バック・トゥ・1973
出典:twitter.com
ドバイ日航機ハイジャック事件
ドバイ日航機ハイジャック事件(ドバイにっこうきハイジャックじけん)は、1973年7月20日に発生した日本航空機に対するハイジャック事件である。日本赤軍とパレスチナ解放人民戦線の合同作戦で、犯人グループは乗員乗客150人の人質を解放後、同機を爆破しリビア当局に投降した。本件で囚人の釈放などは実現しなかったが、身代金の授受などは非公開。
フランスのポップス・シンガーソングライター、ミッシェル・ポルナレフの日本で先行販売であった『ポルナレフ革命』のマスターテープはこの飛行機で空輸されていたため、爆破によって焼失し、発売が12月に延期された。
この頃は、日本人が国際テロに絡んでるっていうのが、今の感覚からすると怖いよね・・・
でも、僕らが知らないだけで、今もそういう日本人もいるのか・・・?
一緒じゃない?違うの?
え~と(検索中)・・・なるほど
よど号ハイジャック事件(1970年)やこのドバイ日航機ハイジャック事件(1973年)が日本赤軍
あさま山荘事件(1972年)が連合赤軍の仕業です
ざっくりいうと、赤軍の国内組が連合赤軍、海外組が日本赤軍のようです
それだわかりやすいね(笑)
それにしても・・・ミッシェル・ポルナレフのマスターテープも事件に巻き込まれるとは!
金大中氏拉致事件
韓国の元大統領候補、キム・デジュン=金大中氏が8月8日、東京・千代田区のホテルで拉致された。キム氏は5日後、ソウルの自宅に戻ったが、こんどは身辺保護を理由に、韓国当局に軟禁された。警視庁は、ホテルに残された指紋などから駐日韓国大使館の1等書記官を容疑者と断定、出頭を要請した。これを拒否した韓国側はその後、書記官の関与を認め、キム・ジョンピル首相が陳謝のため来日した。結局、事件は全容が分からないまま後味の悪い政治決着となった。
韓国も、昔は北朝鮮と似たようなことやってたんだな・・・
第四次中東戦争
第四次中東戦争(だいよじちゅうとうせんそう)は1973年10月にイスラエルとエジプト・シリアをはじめとするアラブ諸国(以下、アラブ諸国を総称する際に「アラブ」という名称を用いる)との間で行われた戦争の名称。中東戦争の一つに数えられる。
この時点で、第四次中東戦争なんだね
中東戦争は、ユダヤ人国家イスラエルと周辺アラブ国家との間での戦争である。1948年から1973年までの間に大規模な戦争が4度起こっており、それぞれが第一次から第四次に分類されている。
こういう歴史を踏まえて、つい先日の「トランプ米大統領、エルサレムをイスラエルの首都と承認」というニュースがまた・・・
米国のこれまで数十年間の政策を転換する決定であり、中東での対立を激化させる恐れがある #イスラエル https://t.co/HjJYSHsiIm
— ロイター.co.jp (@Reuters_co_jp) 2017年12月6日
「日本のフォークブーム」「大洋デパート火災(11月)」~遥か昭和48年への旅
僕らの時代は、ブサは相応の恰好をするようになったもんね
やはり、その人なりのファッションですよ
自分が好きな恰好していいじゃないですか・・・
つつましいカップルが銭湯に行く歌ね
僕も1990年代冬の頃、女の子と一緒に銭湯へ向かう道すがら、「神田川みたいだね」とかほのぼのしたことあるもん
アパートから神田川までは5キロくらい離れてたけどね(笑)
同棲でもしてたんですか?
日本のフォークも初期のメッセージ性の強いフォークソングと、『神田川』に代表される四畳半フォークとはまた違うからね
そして、ちょっとこういうしみったれたフォークへのアンチテーゼとして、この後、都会的なユーミンなんかが登場する訳だよ
1970年代後半から音楽を自分で選んで聞くようになった僕は、当然そっちに感情移入していくことになる
ヱヴァンゲリヲンでも使われてましたよね
大洋デパート火災
大洋デパート火災(たいようデパートかさい)は、1973年(昭和48年)11月29日午後1時15分に、熊本県熊本市(現在の同市中央区)下通1丁目3番10号にあった百貨店の「大洋デパート」(鉄筋コンクリート地下1階、地上13階建て・一部9階建て)で発生した、火災事故である。
だって数日前に遊びに行ったばかりだったから・・・
熊本・大洋デパート火災 11月29日昼過ぎ、熊本市の大洋デパートから出火、買い物客と店員数千人は停電で暗闇になった店内を逃げ・・・ https://t.co/sH9VmS5a4C
— kuma (@tomitokocom) 2016年6月21日
ブルース・リー、死す・・・
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享年32歳、あまりにも早い最後だった・・・
俳優であると同時に、ちゃんとした武闘家なんだから
ブルース・リー
1940年、中国古典劇俳優の父の巡業先、米サンフランシスコで生まれる。香港に戻り中国武術を習得し、65年から映画などに出演。71年に映画「ドラゴン危機一発」、72年「ドラゴン怒りの鉄拳」、73年「燃えよドラゴン」などに主演したが、同年7月20日、32歳で死去。日本では没年の12月に「燃えよドラゴン」が公開され、彼の筋肉美や端正な格闘スタイルが人気に火をつけた。当時の少年たちの間で、叫び声「アチョー」がはやり、武具「ヌンチャク」もブームとなった。
出典:kotobank.jp
今の時代、ともすれば頭でっかちになりがちだけど、でも、十分考えた上で、一番大事なのは・・・
考えるな、感じろ
元々はアメリカ・香港合作映画「燃えよドラゴン」の冒頭で主演のブルース・リーが放った台詞。
原典(英語)では “Don’t Think. Feel!” 。弟子(または弟弟子)に稽古をつけるに当たって行ったアドバイス。
稽古自体が「相手の動きに対して直感的に動けるようになれ、考えていれば隙が出来る」といったもので、考えて動いてしまうクセを直すために何度も同じ動作を繰り返させたが、結局直らず最後に釘を刺すように言い放ったのがこの
「考えるな、感じろ/Don’t Think. Feel!」である。
該当シーンでの彼の演技をより正確に文字に起こすとすると”FEEEEEEEEEL!!!”とできるほどの激しい情感を伴っている。
・・・それにしても、大川隆法、今度はブルース・リーかよ
胡散臭っ
これまでの旅はこちら→
『人類、月へ!』~バック・トゥ・1969(遥か昭和44年への旅)その1、
『ビートルズの終焉・・・』~バック・トゥ・1969(遥か昭和44年への旅)その2、
『われわれは明日のジョーである』~バック・トゥ・1970(遥か昭和45年への旅)その1、
『私の人生暗かった・・・圭子の夢は夜ひらく』~バック・トゥ・1970(遥か昭和45年への旅)その2
『世界金融の転換点、ニクソン・ショックで変動相場制へ』~バック・トゥ・1971(遥か昭和46年への旅)
『沖縄返還、平和の祈りをパイルダーオン!』~バック・トゥ・1972(遥か昭和47年への旅)